やっぱモンドには興味がねぇや
FirstUPDATE2024.7.31
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「必殺」シリーズで田中様を演じた山内としおっているじゃないですか。友人の話では、藤田まことがコンサートを回ってる時に山内としおがスペシャルゲストで招かれることが多かったらしく、例の

「中村さん!」

と発したらバカウケだったらしい。ま、そりゃあ、笑うわ。
てなわけで今回は中村主水の話を・・・、いや違う。そっちの主水じゃない。
モンドにかんしては以前にわりと長々と書いたことがあります。


ただこのエントリ、前置きが長いし、PostScriptにも書いたように正直本題と前置きの関連性が薄すぎるんで、そのうち書き直そうと思っててずっと放置してあるんだけどね。
それはともかく、モンドですよモンド。
上記リンクでもあるように、世の中には「世が世なら正道」と言えるものを研究対象にしている人と、どんな世だろうが基本的には珍奇なもの(=モンド)を研究対象にしてる人に分かれる、んでこのふたつは「マニア」という言葉で一括りにされがちですが、実は相当違う。いやある意味真逆の志向なんですよね。

アタシで言えば、もう、完全な前者、つまり「世が世なら正道」と言えるものを深掘りしたいタチです。
ただね、リンク先にあるような「星の子ポロン」なんか最たる例だと思うけど、ああいったモンド的なモノの方が深掘りされやすい傾向にある。逆に言えば正道的なものは、リアルタイムでは当たり前すぎるからなのか、それとも「これだけ一般的なんだから他の誰かが研究するだろ」と反射的に思ってしまうからなのか、実はあんまり深掘りされないんですよね。

それこそね、ココにちょろっと書いたけど、戦後すぐの子供事情で言えば、普通に家族と暮らしていた子供よりも戦災孤児のデータの方が圧倒的に多い。
戦災孤児がモンドかはともかく、少なくとも普通の家族と暮らしていた子供たちよりも「特殊」なわけで、言い方を変えればマイノリティということになるのかもしれない。つかいくら動乱の世だったとしても「家族のある子供よりも戦災孤児の方が多かった」というのはさすがにない。戦災孤児が「あふれていた」というのは事実だけど、数としてはあくまでマイノリティです。

マイノリティはある意味知的好奇心をくすぐるようなところがあり、深掘りしたがる人が一定数いる。でもマジョリティはそうじゃない。
音楽で言っても、1990年代に席巻したビーイング系やコムロ系を深掘りしようって人は本当にいない。いやまったくいないわけじゃないけど、もっともっとマイナーな人たちの方が深掘りされる傾向にあるってだけです。
その結果、時代を経てくると何がマジョリティで何がマイノリティなのかわからなくなる。1970年代アニメなんか、当時高視聴率を誇っていたメジャーどころのアニメよりも、令和の今、下手したら「星の子ポロン」や「チャージマン研!」のが知名度があるような気すらするわけで。

本当は「チャーポロ方面には」というエントリではそういうことを書きたかったのです。
だからこそ、対象としてメジャーどころもいいところだった「ど根性ガエル」の話を持ってきたし、つか当時の風潮として「根強い人気がある証明」が「何度も夕方に再放送される」ってことだったんだから。
ただ、書いてるうちに長くなってしまって、ただただ、無意味にアニメの再放送の話が前置きとしてくっついてる、みたいになってしまった。
さすがにね、これは修正しようとは思ってたんだけど、なかなかね、うーん。

さて、ここからが本題です。ってなげー前置き。

エンターテイメントというものを俯瞰で見た時、これは言えるな、と思うのは、あくまで「基本的に」という注釈は付きますが「マジョリティ=メジャーな作品は良い作品が多い、マイノリティ=マイナー≒モンドな作品はダメな作品が多い」ということです。
で、ですよ。どちらを「後世に残したい」かで言えば、やっぱ良い作品の方です。つか良いけど何故かマイナー、正道であるにもかかわらず現今の認知度が薄い作品についてもっと知って欲しい、という気持ちが強い。
ましてやそういう人が本当にいないので、だったら、アタシがやるか、と。

6月よりYouTubeチャンネルを立ち上げたのですが、一番最初、どの映画から始めるかは本当に迷った。というかかなり悩んだ。
結果「グラマ島の誘惑」にしたのですが、これはいろいろ考えた末の妥協点なんです。
それこそね、いきなりメジャーどころから始めた方がわかりやすいし、いや逆にマイナーどころから始めたらそれはそれでチャンネルの方向性も伝わりやすい。
ただアタシは、散々研究はしたけど、それでも「YouTubeを好んで見るオッサン」の傾向が掴めなかった。大衆向けにした方がアクセスを稼げるのか、それともマニアックにした方が良いのかの判断が出来なかったのです。

これはYouTubeに限らずインターネットあるあるなんだけど、大衆向けの題材のがアクセスが稼げるか、というと違うんですよ。
そりゃあ、YouTubeで言えば1000万再生を目論むのであれば大衆向けの方がいいのかもしれないけど、高い高い目標として1万再生くらいならば、下手したらマニアックな題材の方がアクセスを稼ぎやすかったりするんです。
でもそれが必ずYouTubeに当てはまるのか、つかマジで「YouTubeを見てるオッサン」の最大公約数みたいなのがまるでわからなかったので、メジャーっちゃメジャー、マニアックっちゃマニアック、さすがにモンド的ではないけど、カルトっちゃカルトと言える「グラマ島の誘惑」で行こうと。

もしですが、アタシの中にモンド的な嗜好があれば、たぶん「グラマ島の誘惑」は選んでないですよ。「「グラマ島の誘惑」?あんなのメジャーすぎる!」と歯牙にもかけなかったであろうと。
それこそね、邦画ネタで行くにしても大蔵貢時代の新東宝からやると思うし、マジあの時代の新東宝映画は「モンドの宝庫」ですからね、新東宝だけでもネタ切れの心配はない。
というかそもそもの話、アタシは大蔵貢時代の新東宝について何の興味もない。もちろん何本か(何十本、か)は見てるけど、モンド的嗜好のないアタシのアンテナには引っ掛かりませんでした。

これは理屈では説明出来ない。何故モンド的なものに惹かれないか、それはただ単純に「何となく」なんですよ。んなもん「カクカクシカジカの理由」でなんて、もしトウトウと述べる人間がいたら「ウソばっかり」と思ってしまいます。
「好きになるのも嫌いになるのも、ほとんどたいした理由なんてない」ってだけの話ですが、

無理矢理ひとつだけ理由付けするなら、アタシは商業主義にたいしてまったく否定的ではない。「商売第一で作品が穢れた」とか言い出す人間の神経がわからないとさえ思っている。
いつぞやの「セクシー田中さん」問題でもそういうことを言いたがる人がSNSでいっぱいいたけど、何を言ってるんだ、としか思わなかった。
アタシは「だから日テレに問題がない」と言ってるのではありません。つかあの件については日テレは問題外なのですが、あれって別に「そろばん勘定を優先させた結果」でもないんですよ。
そろばん勘定優先ならもっと上手く立ち回れると思うし、別にそろばん勘定優先だからって必ずしも作品に悪影響があるわけじゃない。むしろプラスに働くことも多いんだから。

何だか話が取り留めもなくなってきたので終わります。ま、とにかく、モンド的なものには興味がないってのは未来永劫変わらないってだけで。







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