アタシは戦前芸能文化マニアぢゃないよ
FirstUPDATE2024.4.2
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いやエントリタイトルでは「戦前芸能文化」としたけど、実際のところ、ギリギリマニアと呼ばれて恥ずかしくないのはクレージーキャッツくらいで、ドリフターズも8ビットマイコンも、到底マニアの域ではないんですよ。

この判定が正しいかどうかはわからない。しかし、自分が知らないマニアックな知識を<ソラ>で、当たり前のように「あれってこうだったじゃん」なんて人を何人も見てくると、ああもう、アタシなんかマニアの風上にも置けないわと。つまり自分のレベルが低すぎるわとね。
これは如何にモノホンの人とリアルで接したことがあるかで判定が変わると思う。つかリアルマニアに実際に接したことがなければ、自分がどの程度のモンなのか判断が出来ないと思うのです。

これは先日、栗原重一の研究会に参加させていただいてあらためて思ったんだけど、専門分野の知識がある人ほど「専門分野ではない事柄にたいして謙虚」なんですよ。
つまり「深く調べる、深く愛でる」ということがどういうことかわかっているからこそ、いくら周りから「それだけの知識があれば十分マニアじゃん!」なんて場合であっても「いやいや、もっと深くやってる人がいるのに自分なんてとてもとても。自分なんかがマニアなんて名乗ったらモノホンの人に申し訳ない」という気持ちになるんです。

ま、この場合、マニアという言葉があんまり良くなくて、どちらかと言えば「専門家」とか「研究者」といった方がいいんだろうけど、アタシがマニアかどうかはともかくとしても、少なくともアタシは何の専門家でも研究者でもないですよ。ただのファンです。
しかし、ただのファンであると同時に「もっと深く知りたい」という好奇心はあるので、調べたいことなんかいくらでもある。んで、あくまで<好き>で調べようとしてるんだから、まだモノホンの人から教示してもらうのならまだしも、間違っても「インターネットでサクッと」なんて絶対にしたくないのです。

ココでも書いたけど、何でインターネットなんてくだらないモノで、調べる楽しさを奪われなきゃいけないんだ、自分で調べてわかった時の多幸感を捨ててまで知識を増やそうなんて思わないのです。
もちろんこれは、本当に<好き>ということに限る。嫌いではないけどたいして興味がないもの、要するに「国会図書館くんだりに行ってまで自分で調べようとは思わないモノ」にたいしては「インターネットで得る知識」を享受して楽しみます。先のリンクの「星の子ポロン」のように。
でもね、戦前芸能文化だったりクレージーキャッツだったりドリフターズだったり8ビットマイコンだったり、あと<街>だったりは、可能な限り「自分で調べたい」のです。

これね、いわば「マニアの真似事」なのかもしれない。
でもマニアと言い切るには足りないところが多すぎるし、いわゆるオタクとも違うような気がする。当然、先述の通り、専門家でも研究者でもない。
じゃあ何なんだ、となっても、良い呼称がないのです。
もうしいて言えばですが<好事家>が一番近い。いや好事家にもオタクとかマニアの意味があるんだけど、ひとつ違うのは「物好き」とか「変わり者」というニュアンスがあるところで、これなら知識量は関係ないし、偏執的な愛情があれば成立する。
一日中、国会図書館に籠もって何か調べてる、なんてことも「アイツは好事家だから」となれば周りも納得するんじゃないかと。

これはネットでもリアルでもいますが「◯◯を持ってないヤツが△△を語るな」とか「オレはそんな人間をファンと認めない」とかいう、とてつもなく偏狭な人がいますが、いやいや、別にアンタに認められなくてもいいよ。つかアンタ、資格の発行元かなんか?と思ってしまう。こういうのに限って実はたいしたことがない。つかただのマウンティングです。
少なくともアタシが存じているモノホンの人はみな寛容で、誰も知識量でなんか計らない。そんなことよりも<好き>という気持ちが伝われば歓迎してくれる。
つまりマニアックなブツとか知識量でマウンティングを取る輩なんか小山のボス猿になりたがってるだけの程度の低い人間で、アタシなんかこういう輩こそマニアとは認めない。いやもしそういうのがマニアだと言うのであれば、絶対に仲間にはなりたくない。

もしかしたら、それこそが「瀬川昌久イズム」かもしれない。
アタシは瀬川昌久先生からいろんな知識を授かったけど、一番学んだのはそうした「<知識量>では計らない。<愛情>で計る」という姿勢かもしれません。
これ、逆に言えば、こちらも相手を知識量で計ってはいけないってことだし、仮にこちらが知識量で劣っていたとしても卑屈になる必要はないんです。
自分が知ってることであれば、何でも伝えたい。けして「出し惜しみ」はしない。当然、相手の知識量に合わせて「これはまだ理解するのが難しいだろう」とか「良きタイミングで」ってのはあるんだけど、それも別に出し惜しみする気があるからじゃなくて、もっと好きになって欲しいという気持ちからです。

いやさぁ、マニアにしろオタクにしろ国家資格でもなんでもないんだからさ、んなもん名乗れる資格があるかなんてどうでもいいよ。
つか「マニアじゃありません」「オタクじゃありません」「そこまでの知識がなければマニアックなブツも持ってません」ってことにした方がこっちも気が楽だわ。







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