何か某中日ファンのTwitterアカウントが裏アカバレから大炎上して、本アカ諸共消し去ったみたいなんですがね。ま、結局復活したみたいだけど。
ま、この手の話は定期的に起こる。オモテ=本アカでは良くも悪くも当たり障りのないことだったり、情報のみのポストだったのが、裏アカの方では暴言吐きまくり、バイアスまみれの思考モロ出し、みたいな感じで、それがバレて本アカを消す事態になる、なんてのは珍しくもなんともない。
というかさ、本当に疑問なんだけど、そんなみんな、当たり前のように裏アカって持ってるの?と。
アタシもかつて、現今使ってるTwitterアカウントとは別のアカウントを使っていたことがあります。
と言ってもこれは裏アカではない。本アカが完全にサイト告知専用みたいになってたので、気軽にポスト出来るアカウントが欲しいな、と思って作ったのです。
もっともいろいろ状況が変わって、本アカの方で普通にポストするようになったので別アカの方は放置状態になってしまいました。
つまり、この別アカ、暴言を吐くために作ったわけじゃない。
いやね、今から10年以上前、ちょうどTwitterが市民権を得てきて、裏アカを作る人が増えている、みたいなニュースがあった頃に友人と喋ったことがあるのですよ。
本アカではとても書けない、自由に、何を思われてもいい、そんなアカウントが別にあったら楽しいんじゃない?と。それはわかるんですが、じゃあ実際自分が裏アカを作ったとしていったい何を書くのか、となったら何も思い浮かばなかった。
あんまりネガティブなことを書いてもしょうがないと思うんだけど、メチャクチャぶっちゃけて書けばアタシの私生活はかなり悲惨です。よくそれで生きてられるな、と思われるほどのレベルで、正直他人さんから羨ましがられる要素なんか微塵もない。
そんな状況だから不満とか並べようと思えばいくらでも並べることが出来るんですよ。とくに政治絡みのことなんか無限に書けるわけです。
ただね、たしかに悲惨は悲惨なんだけど、じゃあ悲惨がってるかと言うとまったく悲惨がってない。つか悲惨だけど悲観はしてない。むしろこの状況を楽しんでるフシさえある。
たしかにアタシは全身ノンポリ人間です。でもそれだけじゃない。アタシが政治のことを一切書かないのは、アタシ自身が「周りが思うほど悲観してない。悲観するヒマがあったら他に楽しめることなんかいくらでもある」って感じなので、怒りや憤り、悲しみ、虚しさを感じることがあんまりないんですよ。
これ、何度も書いてるんだけど、アタシは見た目と物言いがキツいせいか誤解されまくってるんだけど、実は他人さんよりもあきらかに怒りの感情が薄いのです。
それこそ野球を見ていても腹が立つということがない。昨年の京田のバトルブロックの時でさえ、さすがに「おいおい、それはおかしいだろ!」とは思ったしリアルタイムで連続ポストもしたけど、じゃあひとりごとで「しばくぞコラ!京田と審判、◯したろか!!」とか言ったのか、というと、まったく言ってない。
世の中にはたしかに「それくらいのことで、何をそこまで興奮するのか」という感じの人はいます。
例えば飲食店で、料理が運ばれてくる順番が多少前後しただけで怒り狂う人もいる。そりゃあ注文を忘れ去られてたなら多少はわかるけど、調理の手順もあるし、その程度で怒り狂うってのは理解出来ない。
アタシなんか、注文を忘れられていても、だまってその店から立ち去るだけで、店員に怒鳴り散らすこともない。そんなことよりも「じゃあどこの店に入るか」で頭がいっぱいになるから怒るヒマもないんです。
それでもね、まったく、一切怒らないかと言うとそんなことはない。でもそんなの、年に1回か2回かのレベルで、しかもほぼプライベートだし、その場でキチンと話し合うようにしてるから怒りを持ち越すことはない。
そうなるとね、もしアタシが裏アカなんか持ってても書くことがないんですよ。
つか本アカに書いてることがホンネそのもので、これは「複眼単眼・ホンネ」にも書いたのですが、暴言も他人さんへの罵倒もないけど、全部ホンネなんです。
つかさ、アタシからすれば、本アカだろうが裏アカだろうが、どちらにせよインターネットで発信してるってことには変わりないんだから、そんなこと書いてどうするよ?と。
他人から良く思われたいというのが普遍の心理だとしても、ちょっといい顔しすぎじゃね?そこまで他人から良く思われたいなんて、やっぱかなりヤバいんじゃないの?と。いや人格的にというよりも精神的にさ。
さらにそもそもの話をします。
何故人は、それこそ裏アカを作ってまで暴言が吐きたいのか、たぶん「言いたいことを言ってスッキリしたい」ってのがあるんだろうけど、もうこれがわからないのです。
たしかに本心を吐き出したらスッキリするぞ、とか言うのですが、それがね、不満を溜め込む原因となった当人にブツけるってのならまだわかるんですよ。でも不特定多数が読む、しかも個人情報を出してないアカウントで吐き出してラクになるの?
アタシ個人の考えですが、何かしら嫌な思いをした時、それを他人に吐き出してラクになることはないと思っています。
これを他の人に説明するのによく「記憶の再生」という言葉を使うのですが、嫌なことを吐き出す時、その時の状況を脳内で再生しながら喋るわけですよね。でも脳内での再生回数が増えれば増えるほど、その記憶は定着してしまう。アタシはそれが嫌なんです。
嫌なことは絶対に記憶に定着させない、と思ったら、記憶の再生なんかしちゃいけない。もしその瞬間は吐き出すことでスッキリするかもしれないけど、相手が必ずしもこちらの期待通りの言葉を投げかけてくれるとは限らないし、となったら「吐き出してスッキリ」するよりも「とにかく他に楽しいことを考える」方が後々引きずりづらいんです。
ましてや文字として残すなんて最悪で、せっかく記憶から消えかけているのに、その文字を見るとまた思い出してしまう。
とはいえ、アタシも過去に不快な出来事を文章にしたことはあるんだけど、そういう場合は「これは本当に客観的に見て、誰が聞いても「それはおかしいよね」と思えることなのか」ってのを必要以上に留意しています。
アタシは何も、怒りをSNSに書くな、とは思っていない。しかし骨髄反射的に怒りの感情をインターネットで発信するとか狂気の沙汰としか思えないんです。
言うまでもなくSNSは「じっくり吟味して、精査して書くような場所ではない」のです。とくにTwitterのような短文がメインのSNSは骨髄反射で構わない。というか「骨髄反射こそSNSの根幹」なのかもしれない。
だからこそ、なんですよ。骨髄反射の楽しいことは多少文章がメチャクチャでもいいんだけど、骨髄反射の怒りなんて主観もいいところというか、大多数の人には「だから何?」になるし、骨髄反射を支持する輩なんて間違いなくロクなもんじゃない。そんなロクなもんじゃない人間に賛同されて嬉しいか?
裏アカ云々の是非よりも、インターネットで暴言を吐くことの無意味さ、インターネットでのマウンティングの無意味さを議論しなきゃいけない時期なんだと思うけどね。
追記・明後日は日曜日ですが本サイトの更新日なので、その代わり明日Scribbleは休みます。