あまりドリフターズを過大評価して欲しくない
FirstUPDATE2024.2.8
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 2023年の年末より松本人志の例の騒動が起きてから、やたら「ダウンタウンの笑いの構図はイジメそのもの」「一方、ドリフターズの笑いは誰も傷つけない云々」みたいな論調のポストが目に付くようになってね、そういうのを見るたびにアタシはこう思ってた。

頼むから、ドリフターズをそういう持ち上げ方するの止めてくれ・・・

 正直、アタシは、自分自身がドリフターズのマニアか、いまだにわからない。たしかに2023年から「DRIF BEATS」なんてのを始めてね、ドリフターズについてあーだこーだ書く機会は増えたのですが、本当に詳しいか、と聞かれると自信がない。少なくともクレージーキャッツに比べると<マニア>と言えるだけの知識がない、と思っている。
 それでもね、それなりにドリフターズは見てきた。つまりはっきりとした、ドリフターズとはどういうものか「だいたい」のイメージではなく、それなりに「確固たる」イメージがある、ということです。

 そんなアタシが思うに、ドリフターズの笑いが「誰も傷つけない笑い」だとか間違っても言えない。「時代が違う」ことを考慮しても、どちらかと言えば、それこそエノケンやエンタツアチャコから連なる「差別意識を利用した」笑いの作り方をしていた人たちです。
 むしろ旧態依然とした差別意識を用いない笑いを作っていたのは世代的には一世代前のクレージーキャッツであり、そういう意味でクレージーキャッツの笑いの作り方は笑いの歴史の中ではポツンと孤立しているのです。

 何が言いたいのかと言うと、差別意識を利用した、言い方を変えれば「弱者を笑い者にする」というやり方の方がスタンダードなんです。
 これは日本だけではなく世界的に見てもそうで、チビ、ハゲ、醜悪な顔、知能に問題がある、そうした人をイジることで笑いを作ってきたコメディアン、ヴォードヴィリアンの方が圧倒的に多いわけで。
 と書けばドリフターズが如何にして笑いを作ってきたかを考えれば、ある意味王道のやり方をしてきたかわかるはずです。
 もっと具体的に言えば

・いかりや長介 ゴリラ扱い、下唇イジり
・荒井注 ハゲイジり、高齢イジり
・仲本工事 無気力、風見鶏
・高木ブー デブ、鈍重、足手まとい
・加藤茶 知能に問題がある
・志村けん さらに知能に問題がある

 もっと言えば「ドリフターズですよ!特訓特訓また特訓」のオチは精神病院オチになってる。この頃まで「敵対する者が実は精神病患者で精神病院から脱走してきた」というのはよくあったのでドリフターズだけが特別ではないんだけど、それでもそういうことをドリフターズがやったかどうかで言えば「やったことがある」ということになるわけです。
 他にも「8時だョ!全員集合」において、食べ物を粗末にするとか「首がチョン切れるとか残酷すぎる」とか、あと作り物のチ◯コを出すとか、もう枚挙にいとまがないほど叩かれたわけですが、こういうのはね、やっぱ、多少なりとも差別意識がなければ笑えないんですよ。
 もちろん見せ方の問題もある。ドリフターズはその辺が実に上手くてイジメに見えないように作っていたのはたしかで、下剋上もだし、いかりや長介は荒井注や志村けんの頭は実によく叩いたけど、可哀想に見えやすい加藤茶の頭はあまり叩かない、という配慮もしていたわけで。

 では、今回の騒動で比較対象となったダウンタウンはどうか、です。

 正直ダウンタウンの一般的なイメージがどういうものなのか、そんなことははかる術がないのでわからない。ましてやSNSを見て「ダウンタウンはこう思われていた!」と語るのは愚の骨頂です。
 そこで、これとて個人的な体験でしかないし、あくまでひとつの例にすぎないんだけど、ひとつ、サンプルを提示したい。
 この話、もともとは2009年にエントリしたのですが、個人的なっつーか心理的な事情があってScribble化を見送った経緯があるんです。
 つまり、本当はあまり表に出したくないんだけど、ま、書き直しならいいかと。

 とにかくです。2000年代後半、アタシの知り合いに暴力沙汰がきっかけで強度のPTSDを発症した人がいました。
 何しろ<暴力>が起点となったPTSDです。町中で大声を上げる人がいる、なんてシチュエーションにすらセンシティブになってる状態で、当然のようにバラエティ番組なんか見れない。というか漫才のツッコミさえも無理だった。偶然目撃してしまうとガタガタと震え出し、あまりの恐怖にテレビのスイッチを切ることすら出来ない、という。

 しかしこの人は「ダウンタウンは別」と言い切った。
 その人はそれまで別段ダウンタウンのファンだったわけではない。というか好んでダウンタウンの番組を見たことがなかったと言います。
 だったらなおさら、と思うわけで、とくに浜田の滅多やたらに頭を叩くとか、大声で怒鳴るようにツッコむとか、もう、PTSDの琴線に触れそうな要素しかないように思うんだけど、違ったらしい。

「この人たちは<芸>でやってるのがわかる。だから<痛み>を感じない」

 アタシはこの一例だけを用いて「ダウンタウンは暴力的ではない」「ダウンタウンはイジメではない。<芸>である」と言いたいわけではありません。
 ダウンタウンは暴力的である、イジメである、と思う人がいるのは理解出来るし、どちらが正しいのか決める必要もない。
 ただ、どちらが面白いとかではなく「暴力的」もしくは「イジメ的」かどうかにかんしては、正直、ダウンタウンもドリフターズも「ほとんど同等レベル」だとしか思えないんです。
 そもそもドリフターズの人たちはダウンタウンを可愛がると同時に高く評価していたし、志村けんが「いかりやさん亡き後、オレの頭を叩けるのは浜田だけ」と絶賛していたのは有名な話です。また

(1990年代半ば当時の)若手の中で一番なのは、文句なしにダウンタウン。彼ら、テレビではあんなふうに見えるけど、本当はものすごく礼儀正しい。収録でも絶対に見せ場を作ってくれるから安心して任せられる(2003年12月23日更新「日本一のドリフファン」


 これはアタシが高木ブーさんとの私的な雑談の中から聞き出したものなので間違いない。
 実はこの話、続きがあって「それに比べて◯◯◯◯◯はちょっとね、自分たちがオイシイところを持っていこうとしすぎる」とブーさんは続けられた。
 ◯◯◯◯◯は当時、ダウンタウンのライバルというか、下手したら同等以上に人気のあったコンビですが、つまりブーさんはただ無難に、共演の多かったダウンタウンを褒めていたわけではない。ちゃんと比較して、少なくとも◯◯◯◯◯と比べたらダウンタウンの方がドリフターズに近いやり方をしている、と感じていたんでしょう。

 つまりご本人がそういうふうに思っているのに、ダウンタウンを叩くダシにドリフターズを聖人君子的な持ち上げられ方をされるというのはドリフターズ自身にも不幸なことなんです。
 ドリフターズの人たちは、それが笑いになるならば多少は差別意識を利用しても構わない、言い方を変えればなりふり構わず笑いを取りにいった、からこそ今のドリフターズがあると思っている。
 というか笑いの作り方にかんして、いかりや長介は度々、ローレル&ハーディやアボット&コステロ、そして清水金一からの影響を語っていたように、今よりもずっと差別意識に満ちた笑いがメインストリームだった頃の笑いをお手本にしていると公言しているわけで、良くも悪くも「数世代前の王道の笑い」で、こう言っては申し訳ないけど、少なくともクレージーキャッツよりはオリジナリティが低い、ということになってしまう。


 ま、アタシが少々「変な持ち上げられ方」にたしいてセンシティブすぎるだけかもしれないけど(その理由はココに書いてます)、ドリフターズはそんな変な評価しなくても日本で歴代トップクラスの優秀なコメディチームってだけで十分だと思うのですがね。

これ本当はScribbleとしてアップする予定だった文章で、だから「今(2024年初頭)に話題になっている松本人志の騒動」が話のベースになっています。
でもまァ、やっぱもうちょっとちゃんと書いた方が親切というか、具体例を挙げていくとどうしても長くなってしまうので、ならば「DRIF BEATS」用のエントリに昇格させようと。
つか別にさ、松本人志なりダウンタウンが嫌いだろうがなんだっていいけど、「機に乗じて」叩くのがカッコ悪いと思わないのかね。しかもドリフターズをダシにしてさ。
ま、そういう輩には何を言ったところでバイアスから抜け出せないんだから意味ないのですが。




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