アタシが生まれた1968年に日立がキドカラーという愛称のテレビ受像機を発売開始し、その宣伝のために飛行船まで飛ばした、なんて話はココで書いたので省略してね、いや今回はただのダジャレなんだけど。
日立のキドカラーテレビはもちろん「輝度が優れた明るいカラーテレビ」だったのでこのような愛称がついたのですが(Wikipediaによると『<希土>類元素をブラウン管内部の蛍光体材料として用いた』こともかかっていたらしい)、それほど輝度はテレビがキレイに見える重要な要素です。
じゃあエントリタイトルの「キドゼロー」って何なんだよ、輝度をゼロにしたら画面が映らなくなるじゃん、と思われるはずです。
でもこれ、テレビ<受像機>の話じゃなくて、どちらかと言えばテレビ<製作>において、こっちの方向性もアリなんじゃないかと思ったので。
もうここ20年くらい、テレビ番組におけるテロップ過多問題が言われており、いやもう昨今ではそれが当たり前になりすぎて、もはや何も言われなくなっています。
このことについてはアタシも何度か書いた。個人的にはよろしくない事象だとは思うのですが、それでも「消音していてもテロップのおかげで内容がわかる」イコールそれで多少は視聴率にも貢献しているんだろってことを換算すれば、まァ、もう今さら目くじらを立てるようなことでもないのかね、と。
でもね、だったらその反対があってもいいんじゃないか。
要するに、ほとんど音だけで内容がわかる、一応映像も用意されてるけど見なくても何ら問題なく内容を把握出来る、みたいなの。
実際、これをやってるユーチューバーは多い。冒頭に「ラジオ感覚で聴いていただけたら」と発したりしてスタートするのですが、この手のYouTube動画って実際、かなり便利だったりするんですよね。
例えば野球を見ている時。
これは何度も書いてることですが、野球の一番良いところは「試合中ずっと集中して見ておかなきゃいけないわけではない」ことです。
だから3時間ゲームだろうが4時間ゲームだろうが気にならない。何となく、ボヤーっと試合経過を把握出来りゃいいや、くらいの感じでね、用事や仕事があれば基本的にそっちに集中してるんだけど、応援しているチームのチャンスやピンチになれば野球に意識を向ける。そういう見方が出来るのです。
つまり野球って、クライマックス以外はわりとテキトーに見てても大丈夫なスポーツなんですよ。
そういう見方が染み付いてしまうと、野球<だけ>見てるのってかなり退屈で、そんな時に「ラジオ感覚」のYouTube動画が役に立つ。
目はどちらかと言えば野球を見てるんだけど、耳はYouTube、みたいなのってすごく良いんですよ。
え?だったらラジオでいいじゃんって?いやいやそれでもいいんだけど、完全に「音だけ」と「たとえ数秒でも<画>としてあった方がわかりやすいこともあるので一応映像付き」ではぜんぜん違う。
だったらね、テレビ番組もそういう<つくり>のがあってもいいと思うんですよね。
例えばトーク番組とかって、必ずしも映像が必要かというとそうでもなく、でも、やはり、部分部分で映像があった方がより面白くなる場合も多い。
でもテレビ受像機が光々と照らされていたらうっとおしい、みたいな。
そういう場合用に、テレビ受像機の輝度をかなり下げてみると、わりと良かったりするんです。
これは現今、どんなテレビ受像機でも「輝度を極端に下げる」のは可能だと思う。でも肝心のテレビ番組がそういう<つくり>になってない。要するに「映像=1、音声=9」くらいの割合になってる番組作りがなされてないというか。
最近とくに「番組が終わったふうでもないのに実は終了しており、気がつきゃ次の番組が始まってる」なんて視聴者を莫迦にした番組が多いけど、こんなのテレビに見切りをつけられるきっかけ、ただテレビ離れを起こすだけってわかんないのかね。
こんなこすっからしい<やり方>でテレビの需要を減らすより「テレビの視聴スタイル」をもっと研究した方がいいよマジで。