純エンターテイメント「待って居た男」
FirstUPDATE2023.12.28
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 ふと、これまで何本の映画を見てきたか、と考えることがあります。ま、そんなの、数なんて数えてないし、計算してみる気もない。んなもん数十本とか数百本のレベルではないからね。
 ただね、何となく把握していることもありまして。

 アタシは当サイトでも映画の話を結構書いてますが、ほぼ邦画に限られる。だからどうしても「邦画ばっかり見て洋画には興味がない」と思われがちなのですが、実は邦画と洋画で見た本数はほぼ同じくらいだと思うのです。
 ただ、それでもさすがに日本で言えば戦前戦中期以前、つまり1945年以前に作られたものに限るなら邦画の方がたくさん見ている。洋画も見ているんだけど、邦画はね、見たい、というより一時期「なるべく見なきゃいけない」と自分にカセを掛けていた時期があるので本数が増えたというカラクリなんですが。

 何しろカセを掛けていたくらいなので、当然駄作もいっぱい見ている。というかもうはっきり言えば大半が駄作と言っても過言ではない気がします。
 いやね、もうそれはしょうがないんですよ。無作為に見ていけば映画なんて、作られた時代、作られた国関係なく駄作のが多くなる。
 それでも数を見れば見るほど、ごく少数ではあっても傑作、名作、佳作が含まれてくるものなのですが、こと「戦前の邦画」にかんしては名作と思えるものが本当に少ないのです。
 例えばココに1940年に作られた「孫悟空」という映画について書いてるのですが、では「孫悟空」を誰にでも勧められる名作か、というと、正直自信がない。
 他、名作と言われる「狂った一頁」、「人情紙風船」、「大学は出たけれど」「鴛鴦歌合戦」、「隣の八重ちゃん」、「エノケンのちゃっきり金太」、「ハワイ・マレー沖海戦」、「無法松の一生」なども、やっぱり「誰にでも勧められる」レベルかというと、うーん、という気持ちになるというかね。

 それでも、何か、たった一本、誰にでも勧められる作品がないのか、と問われるなら、個人的には「待って居た男」を推します。
 実はこのエントリを書くにあたって、1942年にマキノ正博監督、小国英雄脚本で作られたこの作品を見返したのですが、正直かなりビビった。もともと「面白い」という認識があったにもかかわらず、それを飛び越えて「戦前邦画の中でとびきりの超特級のエンターテイメント」だと思ってしまいしまた。
 しかし同時にあからさまな欠点にも目が行った。「超特級のエンターテイメント」と感じながら「これはちょっと、やっぱ易々と誰かに勧めるには辛いな」とも感じた。
 理由は簡単です。それは「物語に集中出来ない要素があまりにも多すぎる」と。

 「待って居た男」はものすごく簡単に言えば「ユーモアミステリ時代劇」とでもいいのか、劇中に殺人事件まで起こるにもかかわらず、終始コメディタッチで描かれており、かと言ってストーリーの邪魔になるほどフザけてるわけでもなく、軽いタッチとミステリ要素が何の違和感もなく同居しています。
 あくまでストーリーの根幹を貫くのはミステリなので、やはり<筋>がわかっている方がより楽しめる。楽しめるんだけど、これは今の人が観たらかなりわかりづらいだろうなぁと思う箇所が散見出来るのです。
 まずは役者の問題です。
 さすがに主演となる長谷川一夫、山田五十鈴、高峰秀子、榎本健一は非常にわかりやすく、仮に彼らの存在をご存じない方が見てもすぐに見分けられると思う。
 しかし戦前の、つまりモノクロの時代劇を見慣れてない人からしたら、それ以外の役者を判別するのはかなり困難なような気がするんです。
 マキノ正博はエンターテイメントの職人なので、各人のキャラクター設定を単純明快にしており、アタシがフィクションにおいて最重要と位置付けるキャラクターエピソードもテキパキと描いていてはいるんですよ。
 でも、やはり、モノクロである限り着物の<色>で識別出来ないし、男性陣は全員<髷>なので、これまた髪型で識別することは不可能です。

 何より問題なのは、物語が大きく動き出す中盤です。
 次々に事件が起こるこれらのシーンは<夜>のシーンであり、画質の悪さも相まってほとんど何が起きているかわからない。
 あんまり大きな声では言えませんが、某ようつべに「待って居た男」がアップされており、もしこれでご覧になったらマジで何のことかわからないと思う。
 アタシはさすがに某ようつべにあるものよりも高画質の映像を持っているのですが、それでも所詮はアナログのVGA解像度であり、コントラスト比も悪く、内容を完全に把握しようと思えば相当レベルで集中して観てないと無理です。
 前述した「孫悟空」は同じモノクロ映画でありながらファンタジーだけあって扮装で見分けがつきやすいし、何よりストーリーを追うことで面白さが変わる類いの映画じゃない。だから「何となく」の感覚で観ても、面白い面白くないというよりは好き嫌いくらいは判別出来るはずです。
 しかし「待って居た男」はそうじゃない。やはり細かい筋立てがわかっていた方が面白く感じやすいし、そもそもこの作品は小国英雄による細部まで目配せした脚本が面白さの<軸>なので、せめて主要登場人物の設定くらいはわかっていた方が絶対楽しめる。

 そこで不肖、アタシが「とにかく<ココさえ>押さえておけば大丈夫!」と思えるように、主要登場人物の説明を書いておきます。
 本当はもっと入り組んでるんだけど、あまりにも詳細にやっちゃうと余計わからなくなるからね。

◇ 長谷川一夫(ぶんきち)

 役名はあえて<ひらがな>で書きます。漢字で書きゃ「文吉」だけど「ふみきち」とも読めるし、あくまで劇中で発せられる言葉にした方がわかりやすいんで。だから以降も正確な役名ではなく「劇中でどう呼ばれているか」を重視します。
 主役のひとりですが、なかなか登場しない。事件が起こり始めて目明しがどうこう、という話になって以降、「竹の間に泊まっている」という形で山田五十鈴に続いて出てきます。
 それにしてもこの登場のさせ方は上手い。一切顔は映さず山田五十鈴の問いかけに生返事を繰り返した挙げ句、オチで顔見せ。
 もうこれはマキノ正博の名人芸ですね。
 とにかく独特のエロキューション(発声)と色気でメロメロになる。マジでこの頃の長谷川一夫はカッコいい。
 設定としては「江戸で知られた超有能目明しの弟子で、ご当人も超有能で、超有能目明しの娘と結婚し、夫婦ふたり水入らずで旅に出ている」という。

◇ 山田五十鈴(おみつ)

 で、その「超有能目明しの娘」、そして「ぶんきち」の夫婦になったのがこの「おみつ」です。
 あ、これは説明しておいた方がいいか。「目明し」というのは今で言えば「警察の手先」に近く、たいていの時代劇では「目明し=私立探偵」というニュアンスです。
 なので長谷川一夫と山田五十鈴は「私立探偵と自身の父も私立探偵の娘の夫婦」ということになる。だから「私立探偵の娘の血が騒いで」山田五十鈴も探偵ごっこを始めるというね。

◇ 高峰秀子(おゆき)

 主演格4人のうち、唯一序盤から登場します。
 事件の舞台となる宿場町の宿屋の女給、つまり従業員で、父ひとり娘ひとり、苦労を重ねて生きています。とはいえこの父娘関係には秘密があり、実は・・・。
 アイドル時代の高峰秀子なので本当にキュートで、山田五十鈴の色気とは対象的に可愛さが全面に出てますね。

◇ 榎本健一(きんた、同心)

 同心、とはいわば刑事のようなもので、今で言えば警察の人間にあたります。
 ただし、何しろ榎本健一、エノケンが演じるのですから相当ヌケた刑事で、つまり「超有能な探偵=長谷川一夫とアタマが足りないヌケた刑事=エノケン」のコンビで事件解決にあたるという。
 正直、エノケンが登場してからは話がわかりやすくなるので説明はパス。

 一応この4人が「主演」ということになる。何しろこれはオールスター映画なので主演格の役者がこれだけ勢揃いしている、という。
 さて、です。これ以外にも登場人物はいろいろいるわけですが、あくまで本筋に関係ある人物のみにスポットを当てます。

◇ 横山運平(りへい、おとっつぁん)

 高峰秀子(おゆき)の父。何だか隠された事情があるようで・・・。

◇ 山根壽子(おふじ、おくさま)

 犯人のターゲットとなっているのが彼女です。
 山根壽子はココでの分け方で言えば「純和風」系統の顔立ちなのですが、意外とヒール役もやっており「巷に雨の降るごとく」(1941年)では「自分に惚れた男を利用する悪女」を演っていたりします。
 だから、ま、無条件に「何の罪もないのにターゲットに」というわけでもなく、ちゃんと恨まれる理由は存在しまして。

◇ 大川平八郎(せいじろう)

 ま、「おふじ」の旦那ということになりますが、彼も女性関係で恨まれるというかね、清廉潔白ではないですな。
 ちなみに大川平八郎は東宝の前身となったP.C.L.時代の二枚目スターです。

◇ 江川宇礼雄(とみぞう)、清川荘司(げんじ)

 このふたりはいわば「おとり」というか、観ている人間に怪しいと思わせるための役、というかね。
 ってそんなの割っちゃって大丈夫なの?とお思いでしょうが、いいんですよ。別にこの映画は本格ミステリというか「誰が犯人か」を探るのが楽しい類いの映画じゃないんで。

◇ 山本礼三郎(やましろや)、藤原鶏太(こうしゅうや)、中村是好(こうざんどう)

 この3人はいわば狂言回しというか、物語を進めるための存在というかね。だからコメディアン系統の藤原鶏太(=藤原釜足)とかエノケン一座の名バイプレーヤーである中村是好が起用されているのです。
 ただし、黒澤明作品で、とくに「酔いどれ天使」の山本礼三郎のイメージが強い方には「半分コメディリリーフ」の山本礼三郎は新鮮かもしれません。

◇ 鳥羽陽之助(つるぞう)、柳谷寛(ふじたろう)

 先の3人が「半分コメディリリーフ」ならこのふたりは完全なコメディリリーフです。
 鳥羽陽之助はかつて高勢実乗と「極楽コンビ」を組んだ半分コメディアンみたいな人ですし、柳谷寛も喜劇作品で喜劇的演技を見せることが多かった役者で、完全にこのコンビの芸はコントです。
 しかし探偵が依頼者にいきなり小声で「で、犯人は誰?」と聞くギャグの初期の例じゃないかね。

 ま、あとは、別にいいか。
 とまあ、ここまで書いちゃってるんでね、映画を観てない人にも犯人がわかるかもしれませんが、この映画の見どころは何と言っても「関係者一堂を集めてエノケンが種明かしするところ」なので、むしろこの程度わかっていた方が楽しめるんですよ。
 ミステリというか探偵モノで、探偵が「関係者一堂を集めて」種明かしするのはルーティーンですが、アタシはね、やるんならやるで「作中最大の見せ場」になってないといけないと思ってる。

 そういう意味で「待って居た男」は完璧に近い。
 何より良いのは種明かしのシークエンスの前に観客に真犯人を割ってくれているのです。もちろんエノケンを裏で手を引いているのが長谷川一夫ってのもちゃんと説明済み。
 要するに観客は長谷川一夫の立場でニヤニヤしながらエノケンの種明かし芸を堪能出来るんですよ。

 もうマジで、このシーンだけでも観て欲しい。つか謎解きも犯人が誰かもどうでもいい。
 エノケンがうっかり長谷川一夫に「ねぇ~?」と言いかけて、マズいと気付いた後の得意の口元をペロペロやる芸とか、山田五十鈴の悔しがる演技の可愛さとか、長谷川一夫の惚れ惚れする「座り姿」のヨサとか、中村是好のどうでも良さそうな相槌とか、藤原釜足の引っ込み方とか、全部が全部、喜劇的であり、完全なエンターテイメントになっているんです。

 今回のエントリはタイトルに「純エンターテイメント」と入れたけど、戦前に限らずここまでエンターテイメントに徹したシーンは邦画では本当に珍しい。チャンバラシーンでもレビュウシーンでも戦闘シーンでもないのに(しかも本来アタシが苦手な時代劇で)ここまで面白いシーンは空前絶後で、極端な話、マキノ正博と言えばこのシーンだとさえ言える。
 マキノ正博は「多作の名匠」なので傑作も佳作もずいぶん残しています。
 さすがにアタシもマキノ正博全作品を観たわけじゃないけど、「待って居た男」のこのシーンに敵う作品はないんじゃないか。
 だってそれほど完璧だから。ここまでアタシが絶賛するなんて珍しいですよ。

 ただし、です。
 作品として完璧か、というと、かなり残念なところもあって、先述の通り、中盤は何が何だかわからない。
 それもね、もし完璧なコンディションのネガフィルムが発見されて、徹底的にリマスターした映像を拝めるならこの欠点は解消されるけど現実的にはあり得ないし、ま、これは「作られた時代が悪かった」という以外にありません。
 そしてもうひとつ、クライマックスの種明かしですが、実は全部が種明かしされるわけではないんですよね。
 最初に材木が倒れてきた時の犯人とか(たぶんこれは「不慮の事故」で、この事故を目撃したことで犯行手口を思い付いたってことなんだろうけど、わかりづらすぎる)、途中で◯◯◯◯が殺されるんだけど、手口がどうもよくわからん。
 あと動機も、ちょっと後出しジャンケン気味だなぁ。ま、一応は示唆は入ってるけど。
 どうもダシール・ハメットの「影なき男」(未読)を原作、いや原作ではないけど換骨奪胎して作られているみたいだけど、要するに単純にミステリとして観たらフラストレーションが残るというか、だから「ミステリ要素があるエンターテインメント」として観るのが正解だと思います。

 さらに、何だか実行犯は「同情の余地がある」という感じに描かれているのですが、一番最初の軽い事故での立ち振る舞いを見ると、かなり狡猾ですよね。だってさ、あそこで、いや、さすがにこれは止めておくか。

とにかく種明かしシーンが滅多やたらに面白いので、初見以来ず~っと「面白い作品」という印象で、だからこそこんなエントリを書こうと思い立ったわけで。
でも「わかりづらい箇所を補足しておいた方がいいな」と思ったのですが、これが死ぬほど大変でした。何度か見直したんだけど、殺人事件の犯人の行動を完全に追い切ることが出来ませんでした。
普通ミステリでこういうことがあるとマイナスにしかならないんだけど、この作品に限ってはマイナスにならないというか「どっちでもいい」という感じで、それは「待って居た男」がミステリではなくエンターテイメント作品だから、に他ならないと思うわけで。




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