結局最後はスタミナのあるヤツが勝つ
FirstUPDATE2023.10.7
@Scribble #Scribble2023 #老いらく #メンタル #やぶにらこぼれ #アタクシ事 勝ち負け 野村克也 若さ 単ページ #2003年 #2010年代

「人生の勝者」という言葉ほど胡散臭い言葉もないと思うのですが、ま、勝者になれるか、んで勝者であることが良いのかはともかく、やっぱね、ゲームだろうがスポーツだろうが人生だろうが「負けっぱなし」ってつまんないとは思うわけで。

というか「負けっぱなし」だろうが、偶然に偶然が重なって「勝ちっぱなし」であろうが、どっちにしろ面白くない。
負けを知ってるからこそ、というか負けた時の悔しさを痛いほどわかってるからこそ勝った時に喜びが爆発するわけですが、それでもまだ、負けっぱなしと勝ちっぱなしとどっちがいい?となったら、そりゃ周りからは不遜に見えるかもしれないけど、まだ勝ちっぱなしの方がいい。
負けっぱなしの人生なんて確実に認知が歪む。アタシだって勝敗で言えば負け越してるとは思うんだけど、それでも「勝つ喜び」は知ってるわけで、おかげでそこまでヒネてない。
ま、真っ当な性格とも言い難いけど。

それはともかく、勝ちと負けの境界線がどこにあるのか、そこを探るとわりと面白い。
そもそも「勝負しよう」と思えることでしか勝ち負けなんかつかない。んなもん、最初から勝てるわけがない、とか、もしくはその逆、さすがに負けるってことはないよな、程度のレベル差があればハナから勝負にならないんだから、となると勝ち負けをつける時なんて「どっちに転んでもおかしくない」んです。つまり能力差でははかれない。言い方を変えれば「紙一重」とも言える。
だからね、勝ちか負けかを分けたポイントってのが必ずあるはずなんです。

野球の話になって恐縮ですが、野村克也はよく「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」と言っていましたが、負けた時ってたしかに「あそこのポイントから負けの流れになったな」というのがわかりやすいのにたいし、勝ってしまうと意外とそのポイントが見つけづらい。しかも勝った喜びに気持ちが支配されやすいので「どこのポイントから勝ちの流れになったか」という分析を怠りがちになる。
ま、それは人間だからしょうがないにしても、せめて負けた時くらい、勝負を分けた境界線を探ろうぜってことなんだと思うんです。

アタシはね、もしかしたら、最後の最後に笑うのは「スタミナのある方」なんじゃないかと。
スタミナったっていろいろある。単純に体力だったり、メンタルのスタミナだったり、五体満足でいれたり、そういうのを全部含めてスタミナなんですよ。
とか書くと根性論のように思うかもしれないけどそうじゃない。
いやね、マジでこのトシになってつくづく感じるのは、スタミナがなくなったってことなんですよ。

今アタシはYabunira開設20周年記念のエントリを書いててね、開設当時に書いてた私的な日記を読み返しているのですが、もうビックリするくらい、20年前の自分ってアクティブなんですよ。マジでコイツ疲れ知らずかよ、と。
当時のアタシは30代半ば。すでに「若い」ってほどでもないんだけど、少なくとも今の自分と比較するととんでもないタフ野郎に思えてしまう。今のアタシが日記の主人公=20年前の自分自身の真似なんか到底出来ないわ、と痛感するわけで。

えと、ココでも書いたように、日記を書いてた2003年3月にメンタルが崩壊してね、もしこの手のメンタル崩壊があったら今のアタシなら半年から一年はほぼ何も出来ないと思う。
でもね、20年前の自分は、そりゃ痛手は負った状態ではあったけど、それでも前向きに、何か楽しいこと、面白いことはないか探してる。かなり貪欲に。
自分のことを褒めるのもアレだけど、ホント、20年前の自分ってすげえな、と思う。というかこれが若さかよ、と。いや若さ故かもしれないけどスタミナお化けだわと。

何が言いたいのかというと、とどのつまり、負けた後なんだな、とね。
現実的に考えて勝ちっぱなしの人生なんてあり得ないのですが、さすがに一度も勝ったことがないってのもあり得ないとしても延々負け続け、これもう死ぬまで勝てないんじゃないか、と思ってしまう状況は訪れる場合はある。もうどうやっても歯止めが効かない。
こんなことが続けば勝負そのものを避けるようになってしまうわけで、やがて一切勝負には参加せずに謎の上から目線の傍観者になってネットで暴言を撒き散らすような人間になってしまう。

負けて負けて、負け続けて、それでもまた勝負してやろう!と思えるかどうか、それはもうスタミナなんですよ。
勝負するってのはメンタル面はもちろん体力面でもメチャクチャしんどい。んなもんネットで罵詈雑言吐いてる方がはるかにラクです。勝負に参加さえしなければ負けることがないから。
でも負けることがない代わりに勝つこともない。勝ちたいなら勝負に参加しろ、とは言うけど、もはや勝負に耐えられるだけのスタミナがない。
これもよく言われることだけど「切り替えろ」とか言われても、んなもんダメージがデカければデカいほど、そんな簡単に切り替えられないですよ。アタシだって本心を言えば2018年に負った心の傷が本当に癒えたかというと癒えてない。つまり、あれから5年以上経つのにまだ切り替えられてないとも言えるわけで。

気持ちはモヤモヤしたまま、怪我も癒えてない、体調も絶好調とは言い難い。それでも、そういうのを一旦全部飲み込めるのがスタミナなんです。
スタミナさえあれば、いつの日か、また勝つことが出来る。負ける可能性も増えるけど勝負していってる限り勝てるチャンスも大いに出てくる。
一番ダメなのは「勝てる見込みがないから勝負に参加しない」ってことなんだけど、でもね、トシを重ねるとどうしてもそういう思考に寄っていってしまうもんなんです。
仮に負けてもすぐに自分を納得させてしまう。納得させられる術を知ってるというか、自分のような<老いらく>が勝つよりも若い人間が勝った方がいい。だからこれで良かったんだ、とかね。

負けて悔しいって気持ちを持てないなんてマジでもう終わりで、勝負に参加しないことが一番ダメとしてもその次にダメなことなんです。
いいトシして悔しがるとかって「カッコ悪い」とかじゃなくて、悔しがるにもスタミナが必要で、いや今度こそ勝ってやる!と思うにはさらなるスタミナがいる。
メンタルを鍛えるのは難しいし、そもそもメンタルを鍛えすぎたら悔しいという気持ちも後退してしまうので、これは鍛えない方がいいのかもしれない。でも、だからこそ、アタシのようなオッサンは体力と体調を整えるってのが必要なんだろうな。

あのジジイ、マジヤバいッス!マジスタミナお化けッス!!って思われるように努力しよう。
その前にまず、体調を整えるためにゆっくり寝ます。







Copyright © 2003 yabunira. All rights reserved.