事実は小説よりも奇なり
FirstUPDATE2023.10.4
@Scribble #Scribble2023 #フィクション #ことば #人間関係 嘘松 伏線 クライマックス 伝説の92 素人の発想 メチャクチャな展開 ありがち 単ページ #某巨大掲示板 #2000年代 #2020年代 #オタク/マニア #映画 #時代劇

よく2ちゃんねるだか5ちゃんねるだかがつまらなくなった原因として「嘘松」という言葉が流行ったからだ、みたいなことを言われるんですがね。

いや、言葉として流行ったかどうかというよりも、本当か嘘かで話の面白さなんか変わらない、と常々書いてきたし、そもそも他人さんの体験談なんか嘘だろうがホントだろうが、マジでどうだっていい。さらに言えば、たかが不特定多数が集まる掲示板に嘘を書こうが、しかも体験談的な嘘なんだから悪いことなわけがないわけで。

ま、それは大前提として。

アタシの考えとして、どれだけ面白い、いや面白い云々というよりは「良く出来た」お話し、つまりはフィクションですよね、よりも、アタシというたったひとりの、そこまで修羅場をかい潜ってきたわけでもない人間でもですよ、現実に起こったことの方が<はるかに>奇想天外なことがあった。それも一度や二度ではない。

これは今度詳しく書く予定ですが、フィクションを創作するにおいてきわめて重要だと言われているのが「伏線」というヤツです。
伏線をどれだけ張り巡らせられるかは「面白いフィクションになるかどうか」というか「終盤に行くに従って面白さが加速度的に上がる装置」なので、「あえて伏線を張らない」場合を除いてはやっぱり伏線はあった方がいい。
さらに、どれだけ淡々と進行するフィクションにもクライマックスが存在する。これも「アンチクライマックス」という言葉があるように絶対ではないんだけど、それでもクライマックスがあった方が大多数の人間の感性として「面白く感じやすい」のは間違いない。

しかしですよ、現実に起こったことなど、まず伏線なんてない。ほとんどが「ある日突然」といった感じで訪れるし、いや、何しろそれまでの「人生」とか「人間関係」すべてが伏線になってるから「膨大な伏線が張ってある」とも言えるんだけど、その伏線が終盤に従うにつれ「昇華」されることは、まずない。いやもう、皆無と言い切ってしまえるレベルです。
これまた当然のようにクライマックスなんかないし、物語もスパンと終わるわけもなく、延々続いていく。
恋愛モノで言えばカップルが結ばれてエンドなのがフィクションだけど、現実ではヒロインが「旦那の屁が止まらない」なんてくだらないことで悩んだりしなきゃいけないわけです。

そういやココでも書いたように、吾妻ひでお作品を<不条理>なんて言ったりしますが、現実ってモンは不条理なんてもんじゃないですからね。むしろ条理的に物事が進む方が奇跡ですもん。
だから「事実は小説よりも奇なり」なんて当たり前すぎるくらい当たり前の話で、だからアタシなんか「まさかそんな展開にはならないだろ」とか「まさかそんな人間いないだろ」みたいな話ほど「ああ、本当の話なんだ」と思う。いやそもそも「作り話なんじゃね?」と疑うこともない。

2007年だから、2023年からすれば16年も前になるのですが、その頃「伝説の92」なんていう、まさしく伝説の2ちゃんねるスレがありました。
ものすごく簡単に言えば「離婚するとなったら自分(=女性側)に非があっても無条件に男性側から慰謝料を貰えると思い込んでいた、まァいや莫迦な女性の話」なんですが、もっと詳しく知りたい方は、と言っても全文読んでもらうにはあまりにも長すぎて忍びないので、要約してあるページを貼っておきます。


もちろん感想は人それぞれなのは理解してますが、正直ここまで破天荒な展開を創作するのってメチャクチャ難しいのですよ。
何だか「素人の発想なんかメチャクチャな展開」と思い込んでる、それこそ「嘘松」なんて言いたがるような人はそう思ってるんだろうけど、とんでもない。
ド素人が物語の構成をしたら、むしろ過去に見た読んだフィクションに引っ張られまくって「どっかで見た」みたいな話になっちゃいがちなんですよ。
逆に言えばメチャクチャな展開こそ、よほどの手練れか、それともあきらかに精神に異常をきたしているような人でないと作れない。つまり「伝説の92」ほどのメチャクチャな話を「そこら辺の素人がこしらえた創作」とはとても思えないんです。

そういや一時期、2ちゃんねるに「一見平和でのどかな村だが、実は秘密が隠されていて「行っちゃいけないスポット(例・廃神社など)」がある。そして主人公一行はそれを無視して・・・」みたいな<体験談>が大量に投稿されたことがありました。
これは一時期の、いわゆる「なろう小説」が異世界で云々ばかりだったのと一緒で、素人が作るとどうしても「似た展開」、もっとはっきり言えばありがちな展開になってしまうわけで。

だからこそ、実はリアリティってのが難しいのです。だって現実=リアルをほぼそのままフィクションに置き換えたらぜんぜんリアリティがなくなるから。
よく言われるようにピストルの発射音とか映画のように「ズキューン!」みたいな音じゃなくて「パンッ!パンッ!」っていう甲高い、かなり間抜けな音だし、時代劇でもよほど切りどころが良くない限り血しぶきなんか飛ばない。

何が言いたいのかというと、リアルとリアリティは違うのです。リアリティとはどちらかと言えば「むしろ嘘を盛ることで現実に近いように見せかけるテクニック」で、要するに「嘘松!嘘松!」って言ってるヤカラって「このイッチはものすごく高度なテクニックを持ってる!」と言っちゃってるようなもんなんですけどね。







Copyright © 2003 yabunira. All rights reserved.