「8時だョ!出発進行」の小さな謎
FirstUPDATE2023.7.28
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 これ、CRAZY BEATSをメインにするかDRIF BEATSをメインにするか悩んだんだけどね。
 と言うのはこの話の<軸>となるのは、どちらかというとドリフターズの方なのです。

 1971年4月、ドリフターズ主演の「8時だョ!全員集合」(以下、全員集合)に代わり「8時だョ!出発進行」(以下、出発進行)がスタートしたのですが、結局「出発進行」は予定通り半年で終了しました。
 その間ドリフターズは日本テレビで「日曜日だョ!ドリフターズ!!」をやっていたのですが、「出発進行」が半年で終わった理由として、ほぼ以下のことが言われていました。

① 「出発進行」の視聴率が極端に悪かった
② クレージーキャッツ主演番組をプレゼンするにあたり、渡辺晋が「半年経ったら必ずドリフターズをTBSに返す」という約束を実行した
③ 当時の日本テレビ幹部が「こんなに金のかかる番組(筆者注・「日曜日だョ!ドリフターズ!!」)、TBSに返してしまえ」という意向があり、日本テレビがドリフターズ番組の存続に意欲を示さなかった

 このうち①にかんしては現在では否定されています。
 「出発進行」の視聴率は平均15%と、当時とすれば「良くもなければ悪くもない」数字で、悪いというのはあくまで「全員集合」に比べて、の話です。
 ②にかんしては「全員集合」と「出発進行」のプロデューサーだった居作昌果の著書(「8時だョ!全員集合伝説」)に書かれていることなので、まさかここまで大それた嘘をつくとは思えないので、おそらく本当なんだと思う。

 問題は③です。
 これもソースがあって、「全員集合」で美術をつとめた山田満郎の著書「8時だョ!全員集合の作り方」にあるのですが、正直、これをソースにするには相当怪しいのではないかと思うのです。
 もう少し正確に引用すれば

当時の日本テレビ幹部がこういったと言うんです。「こんなに金のかかる番組、TBSに返してしまえ」って。


 こうして見ればわかるように、山田満郎は「日本テレビ幹部」の話を直接聞いたわけではない。誰か(おそらく日本テレビの人間か、「日曜日だョ!ドリフターズ!!」にも関わったスタッフ)からの又聞きでしかないのです。
 正直これをソースにするには相当無理がある。というか、渡辺晋が「ドリフターズを貸し出すのは半年だけ」という話を日本テレビにしてないわけがないと思うわけで。


 当時のテレビ番組はバラエティもドラマさえも、2クール、つまり半年が基本であり、多少視聴率が悪くても半年は続ける、しかし視聴率が良くても半年経てば問答無用で終了させる。
 これは日本テレビのプロデューサー兼ディレクターだった井原高忠の「どんな番組も半年がいいところ」という考えと同じです。
 それを超えて長寿番組化されるのは、よほどスポンサーの意向が強かったり、番組を継続させるにあたり何の障害もない場合に限られていたと思う。
 ましてや井原高忠がいる日本テレビです。「通例通りの半年の約束だったんだから、半年で返すのは当たり前じゃねーか」と思っていたとしか思えない。

 もし仮に、日本テレビの幹部なる人が、このような発言をしたとしても「(TBSの全員集合ほど)視聴率が上がらなかった」ことへの嫉妬というか軽口として「あんなカネのかかる番組、うちじゃいらないよ。うちならもっと安くて良い番組が作れる」という負け惜しみだった可能性もあるわけで。

 いや、日本テレビ=ドリフターズ、TBS=クレージーキャッツが上手くいかなかったのは、それぞれのテレビ局に「活かすノウハウ」がなかったことに尽きると思うのです。
 ドリフターズを初めて活かしたのは日本テレビの白井荘也と言われています。そして「日曜日だョ!ドリフターズ!!」の演出を手掛けたのも白井荘也です。
 しかし、それだけではどうしようもない。ノウハウってのは末端のスタッフまでわかっているかどうかなので、軸となる人だけがわかっていてもしょうがないのです。
 クレージーにしたところで、それまでクレージーはTBSでほとんどバラエティ番組をやっていない。
 植木等単独主演の「植木等ショー」はあるけど「植木等ショー」のスタッフは誰も「出発進行」にかかわっていない。

「日曜日だョ!ドリフターズ」の演出は白井さん(筆者注・白井荘也)でした。 ジャニーズの番組とかやってた実にセンスのいい人。「全員集合」のスタッフはそのまま「出発進行」に移行しましたから、日テレでは「全員集合」とは違う作家を使ったはずです。あの頃のクレージーはもう個々の活動をやっていましたからね。メンバー全員が集まってひとつの番組をやるのは久しぶりだったと思う。
僕はクレージーとは「シャボン玉ホリデー」のときからのつきあいだから、特に苦労はなかったんだけど、その時、クレージーと初めて仕事をした若手の作家たちというのはクレージーのコントをTVで見てた世代だから、そのギャップはあったと思います。


 上記引用は「笑芸人 Vol1 土曜8時テレビ戦争」からの田村隆のインタビューですが、唯一、「出発進行」のスタッフの中で「シャボン玉ホリデー」の作家だった田村隆はクレージーキャッツをわかっていたけど、田村隆だけでは、やはり、どうしようもないわけで。

 というか根本的な疑問なんだけど、そもそもこんな遺恨が残る、まどろっこしいことをせずに「日曜7時」という枠で、クレージーキャッツを理解しているスタッフが多い日本テレビで、クレージーキャッツの主演公開番組をやれば良かっただけなのに、とつくづく思う。
 ま、その辺のことはココで書いた通り、「ハイやりました!」って番組が絡んでるんだから簡単な話じゃないのはわかるけどさ。

途中に田村隆さんのインタビューを引用しましたが、これ、出来れば全文読んで欲しいほど面白い。クレージーキャッツファンもドリフターズファンもどちらも面白がれるはずです。
何というか、クレージーキャッツとドリフターズの<コント>の考え方の違いというか、「8時だョ!出発進行」の頃の時代が如何にドリフターズの時代だったかが嫌でもわかる。
あと田村隆さんのインタビュー以外にも1981年5月以降の「全員集合」のサブタイトルと視聴率も記載されているので、資料としても貴重です。ま、古本なら安いんで今の間に、是非。




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