エントリタイトル通り、「白雪姫と七人の」とくれば続く言葉は何?と聞かれたらなんと答えるか、これ、結構世代で分かれると思うんですよ。
アタシの世代だと「小人(こびと)」ってことになるのですが、どうも、小人ってのはダメなんですよね。って今現在はまたオッケーになってるみたいだけど(デ◯ズニー公式サイトも「七人のこびと」表記になってる)、たしかに一時期はダメだったんです。
いやさ、小人はダメ、とか言ってるわりには「こびとづかん」がオッケーなのはよくわからなくて。アタシ個人としたらそもそも「小人の何がダメなのか」って感じなんだけど、白雪姫はダメで「こびとづかん」がオッケーってどういう理屈だよ、と。
それはともかく、とにかく七人の<小人>は罷りならんとなって、じゃあどうするのか、と思ってたら「七人の<おじいさん>」という表記を見かけるようになった。
最初、この表記を見た時はひっくり返って笑った。何だよ<おじいさん>って。つかさ
↑コイツは<おじいさん>でいいよ。でもさ
↑コイツは?本当に年齢的に<おじいさん>なのか?かなり幼い言動のイメージがあるんだけど。
ところが検索してみると<おじいさん>表記はかなりマイナーのようで、むしろ<おじいさん>よりも<おじさん>のがヒットした。
いやいやいや、<おじさん>って。なんだその忖度の入った表現。そもそも<おじいさん>にしろ<おじさん>にしろワンチーム感がぜんぜんないんですけど。
で、ですね、再び「七人のこびと」表記に戻る直前は「七人のドワーフ」という表記がメジャーだったようです。
ま、ま、たしかに、彼らはドワーフの特徴に完全に当てはまるし、ウォルト・ディズニーもドワーフのイメージであのキャラを採用したのかもしれないけど、ドワーフなんてゲームをやらない人にはピンとこなさすぎる。
では「こびと」ならピンとくるか、というとね、これ、本当に難しい問題なんですよ。
そういやアタシはココに「キチ◯イって言葉にはいろんな意味が含まれているのに、統合失調症が独占すんな」みたいなことを書いたことがあります。
これらのコトバ(筆者注・キ◯ガイ、気狂いなど)によって、治療は停滞し、家族は萎縮し、回復期にある患者にショッ クを与え、ひいては異常な状態をおこす一因となりかねないという事実が医学的に存在する (用語と差別を考えるシンポジウム実行委員会編 『続・差別用語』 汐文社/安藤健二著「封印作品の謎」からの孫引き)
たしかに1970年代後半の時点では「その通り」だったかもしれない。だけれども<キチガ◯>という言葉がメディアから消え去った現在はまったく状況が違うはずです。
もはや『回復期にある患者』が<◯チガイ>という言葉を聞いて『異常な状態をおこす』とは到底思えない。「ほとんど耳にすることのない」「意味がわからなくなりつつある」言葉にショックを受けるとか、ちょっとあり得ないと思うんです。
むしろそれなら、ものすごく侮蔑的に「この統合失調症が!」と言われた方がよほど『異常な状態』を招きかねないと思う。
「こびと」もだし「メ◯ラ」とか「ツ◯ボ」とか「カ◯ワ」とかもそうで、アタシらの世代なら知らないわけがない言葉だけど、今の若い世代がこれらの言葉を諳んじてるかというと甚だ怪しい。
たしかにね、これらの言葉には相当強固な侮蔑のニュアンスがあったとは思うんですよ。でも今これらの言葉を冷静に見ると、何だか隠語のようにも思えて、良くも悪くも「あいまい」な感じがする。
つかどう考えても「あのメ◯ラの方」と「この視覚障害者が!」なら前者のが柔らかい。身近に視覚障害者がいるから余計そう感じる。だって「視覚障害者」という言葉は<そのまま>すぎて、逃げ道がない気すらするんです。
実際、「七人の<こびと>」表記が復活したのって、もう<こびと>から侮蔑的、差別的なニュアンスが消え去ったからなんじゃないか。
で、今度は現在の「統合失調症」とか「視覚障害者」とか「耳の不自由な人」の方が差別的なニュアンスが強くなって、これらが差別用語扱いになる。
こんなしょーもないイタチごっこをいつまで続けるつもりだろ。常用されれば侮蔑的な使用をする人間が増えるのは当たり前だし、どれだけクリーンな言葉もやがて差別用語になるのに。