いやぁ、もう何と言ったらいいか、本日、つまり7月6日に転居先まで来ることが出来ました。って微妙な書き方だけど、あくまで「転居先に来た」だけで引っ越し全体が終わったわけではないっつー。
ま、転居先がどこなのかは明日以降に書くとして、今回の引っ越しだけは「これほどまでとは」と思えるほど、地獄レベルの大変さでした。
実はScribbleを休止している間、一度更新しようと思ってね、最後まで書き上げたんですよ。
何でそれをアップしなかったか、はボツとなった文章に理由が書いてあります。
もう、うんざりするほどいろんなことがあってね。
それがただのアクシデントというか「その時限り」とか「少し時間をロスした」程度ならぜんぜんいいのですが、もう数時間単位で「はい、今後一週間の予定、全部組み直し!」みたいになるんだから。
しかもすべての事態を把握してないとこっちが、つまりアタシが「無計画」とか「見通しが甘い」というふうに見えちゃうわけで。
いやいや、こんなの予測出来るなんてマジモンの予言者だけだよ。つか常識的なアタマがあれば「ふぅ、これでもう大丈夫だな」みたいには何回もなってるんですよ。
上記引用、つまりボツとなった文章を実際に書いたのは7月2日の朝でした。
しかしその後も信じられないくらい目まぐるしく事態が変わり、結局「これもう、全部書き直しだな」レベルにまでなったんでボツにしたんです。
とにかく転居先に移動する当日まで、様々な想定外の連続でね、次また何かあるか、と思うと呑気に「今日で神戸から離れます。神戸最後の日です!」なんて書けなかった。つかどうせ書いても事態が変わってボツになるのが想像出来たので意味がないと。
何にしろ転居先までは来たわけで、こうやって駄文を書こう、書いてもボツにはならないと踏んでるのですが、まァね、引っ越しがどれほど大変だったかはこれくらいにして、んで先ほども書いたように転居先のことも置いといて、転居元、つまり神戸のことを書きたい。
もともとアタシは神戸生まれですが、2019年に不測の事態で神戸に戻ることになって、結局4年半神戸に在住したことになります。
で、アタシが居住していたのは、昔で言えば林田区になる。昔ったって1945年5月、つまり太平洋戦争最末期に廃止になり、林田区は新設された長田区に大部分が、一部は兵庫区に編入され消滅しています。
要するにアタシはリアルタイムで居住地が林田区だった頃のことを知らない。中央区が葺合区と生田区に分かれていた頃は憶えてるけど。
正直ね、林田区だろうが長田区だろうが兵庫区だろうがどうでもいいんですよ。でも、実際に居住してみての<感覚>や<空気感>で語るならば、林田区区域は兵庫区や長田区の<感覚>や<空気感>ではなく、やっぱ「林田区」なんですよ。つか林田区内から林田区外に出るとあきらかに<何か>が変わったような感じがするんです。
アタシは神戸の東寄りの地域で生まれ育ちました。具体的には書けないけど、とにかく「三宮よりも東」なのが重要で、正直、三宮より東で生まれ育った人間は元町より西になんか行かない。マックスで新開地までです。
だからアタシは兵庫区より西の神戸をほとんど知らないまま育った。行くとなってもせいぜい須磨の海水浴場か水族館に行くくらいで、だからとくに震災の被害の酷かった新長田近辺や鷹取近辺のことは、同じ神戸でありながら何の実感もなかったんです。
それが何のことか、旧林田区に居住するようになって、さすがに鷹取はともかく新長田周辺は身近な場所になった。だから例の鉄人28号など何度見たかわかりません。
つまりね、たしかにアタシは4年半神戸に住んでたんだけど、生まれ育った神戸とはまったく別の神戸にいた、ということになるんです。
どっちにしろ神戸なんだから一緒なこともいっぱいある。神戸の最大の問題点である区域行政なんか神戸である限りどれでも同じレベルで酷い。
それでも日々の中で感じる<空気感>は「三宮より東」で生まれ育った人間には新鮮で、同時にきわめて退屈でした。
良い人にも恵まれたし、良い店も知ることが出来た。同時に「おそらく未来永劫変わることがないネガティブな箇所」もいっぱい見てきた。
だからね、アタシにとって「思い出深い、ポジティブな印象はあるけど、二度と住みたくない」ということになります。
「二度と住みたくない」ってところだけを抽出すればネガティブもネガティブだけど、それを言えば神戸市全体はおろか関西一円も一緒。もう今後、二度と関西に居住することはない。「たぶん」でも「と思う」でもなく、絶対、です。もしそんな事態になったら自ら命を断つよ。
でもね、だからこそ惜別の気持ちも生れたし、いろいろ、本気になって神戸のことを調べようと思った。実際、転居するひと月ほど前からは少しでも時間が空けば神戸市立中央図書館に足を運んで「ずっと気になってたこと」を調べまくりました。
ま、林田区はぜんぜん関係ないけど、早ければ来月にもその成果の一端をお見せ出来ると思います。(追記・それが「星電社レクイエム」(2023年8月8日更新)です)
正直、2019年に神戸に舞い戻った時は絶望しかなかったのが、なかば開き直りとは言え前向きになれたし、何より「今度こそ冷静に神戸という故郷を見直そう」と真剣に向かい合えたのは本当に大きかった。
ま、この話は今後も継続して書いていきます。