病気は治るけど人格は変えられない
FirstUPDATE2023.6.15
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「病気は治るけど人格は変えられない」

これは、とある精神科医の先生の言葉なんですけど、ま、この場合の病気とは<うつ>の話です。
これを聞いたのは今から10年代以上前だけど、いまだに言葉を忘れることが出来ません。

詳しくは書けないのですが、とある女性が旦那の暴力に苦しんでおり、で、その旦那とやらが完全に「自己愛性人格障害」の特徴に当てはまっていたのです。
結局、この夫婦は離婚するのですが、最初は何とか、旦那を変えられないかとその女性は模索していた。しかし、その話を聞いた精神科医の答えが冒頭の言葉だったわけで。
つまり「あなた(の旦那のせいで患った)の病気(うつ)は治るけど(残念ながら旦那の)人格は変えられない」という話です。

いやね、何を書きたいかというと、最初ね、もう一回某中田の話を書こうと思ったんですよ。つか実際書いた。んで最後まで書き終わった。
でも、もうボツにしようと。あまりにも某中田が可哀想だから。
もちろん「こんな袋叩きに合うとか可哀想だろ」ってことじゃない。
こう言っちゃナンだけど、先の旦那と同様、某中田もあまりにもキレイに自己愛性人格障害の特徴に当てはまる。当てはまりすぎる。
つまりね、<うつ>のような精神疾患よりもはるかに重い不治の病を患った人間にたいして「これ以上、あれこれ言うのは可哀想だろ」と思ったわけで。

実際、例の動画を出して以降、今日までに2回ほど自身のYouTubeチャンネルを更新したみたいですが、支離滅裂な正当化は自身が「自分は異常ではない」と言うのと正反対の典型的な異常者の行動です。
つかあそこまで異常な言動をしておいて、まだ自身の異常が認められないなんて異常者以外の何物でもない。
つかね、アタシでさえ「自分は異常者である」と認めざるを得ないのですよ。やっぱ、悪い意味で普通とは違う。けして異常者でありたいなんて思ってないんだけど、いくら嫌々でも自分の言動を振り返ると間違いなく異常者にカテゴライズされるな、と。

某中田の言動にたいして違和感が大きくなった要因として、あまりにもタイミング良く、いや悪くか、どっちでもいいけど、上岡龍太郎の死去が発表されたこともあると思う。
上岡龍太郎は常々「芸人になるヤツなんか社会の落伍者、狂ったヤツばかり」と言っていましたが、これはけして自虐でも罵倒でもない。
何にもなれない落ちこぼれが芸人の世界に入ってくるのだ、だから売れてるヤツが売れてない人間を助けてやるのが当たり前だ、という、どちらかというと慈悲の精神なのです。

先日も書いた通り、上岡龍太郎は本当に聡明な人だった。学歴とか知識量に左右されない、複眼的な視点を持っていました。
そしてまた、上岡龍太郎はお人好しレベルの<情>の人でもあったわけで、あれだけ聡明なのに冷淡なところはまるでなく、常に<情>を換算した上で実に広い視野を持っていたのです。
そして、何より凄いのは、着地点は常に<笑い>だったことで、どんな場面でも最後は<笑い>に昇華させようとした。

アタシはこういう人が「アタマがヨイ」と言うのだと思う。
某中田もどちらかというと捲し立てるように喋るタイプだけど、正直、上岡龍太郎とは<芸>の能力が違いすぎる。しかも「アタマのヨサ」も<情>というところも、何もかも上岡龍太郎に劣っているわけです。

メチャクチャ大雑把に言えば上岡龍太郎と某中田は同タイプなのかもしれない。しかし「自分の芸は20世紀まで」と早々に見切りをつけた上岡龍太郎に、21世紀になって世に出た某中田は何ひとつ勝ってるところがない。
いわば上岡龍太郎の超絶劣化版が某中田とも言えるわけで、某中田から見れば自身の超絶有能版とも言える上岡龍太郎が逝去によって再び注目を集めることになった。
これもね、たまたまのタイミングだったとは言え「可哀想だな」と思うんです。

あと、これはどうしても言いたいんだけど、何か某巨大掲示板(というかそのまとめサイト)なんかで「某中田で笑ったことがない。面白くない」という意見がありますが、それは今の時点ではどうでもいいんですよ。


↑でも書いたように、1980年代前半くらいまでの上岡龍太郎は完全に「ソツのない司会者」に徹しており、上岡龍太郎自身が面白いという印象はまったくなかった。
ただ、自身の持つポテンシャルと、最後の最後は<笑い>に昇華するという姿勢は不変で、だからこそ1990年代の爆発につながるのです。

もう一度言いますが、人格は変えられないのですよ。そして上岡龍太郎の言う通り、芸人の世界くらいは異常者が生きていける世界ってのは個人的にはなくなって欲しくない。
しかしね、同じ異常者でも「人徳のある異常者」であって欲しいし、異常者は異常者でも人徳皆無の異常者は芸人の世界ですら否定的に見られる。今回の件でそれがあきらかになったような気がするわけで。

引退してからすでに20年以上経ってるのに、まだ<死>という事態に悲しみにくれる芸能人がいっぱいいる上岡龍太郎と、怒りを通り越して可哀想扱いされる某中田の一番の違いは、芸でもアタマのヨサでもなく<人格>だと思うんで。







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