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徹底比較「クレージーだよ天下無敵」VS「エノケンの頑張り戦術」
FirstUPDATE2023.6.8
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 さてさて、無事CRAZY BEATSも新装と相成りましたので、記念として大型企画をやりたいと思います。
 ま、大型ったってたいした長文ではないけど、本気度は何気に高かったりするんでね。

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 1966年に制作された(公開は1967年)「クレージーだよ天下無敵」(以下、天下無敵)は、坪島孝の「子供の頃に見て面白かった「エノケンの頑張り戦術」(以下、頑張り戦術)のような映画を作りたい」という思いが結実した作品です。
 しかし留意が必要なのは「天下無敵」は「頑張り戦術」のリメイクではないということです。
 「些細なことで何かと歪み合う男ふたりが、とある事件に直面して手を組むが、再び歪み合ったところでオチとなる」という大枠以外は設定を含めて共通項はない。
 渡辺プロダクションの社長だった渡辺晋はクレージー映画の企画に行き詰まった時、エノケン映画を参考にしようとしたと言うし、エノケン映画のメイン監督だった山本嘉次郎は、歌えるコメディアンである植木等を、同じく歌えるコメディアンだったエノケンと重ね合わせて「花のお江戸の無責任」を撮ったりもしている。
 だから完全なリメイクが一本くらいあっても良さそうなものなのだけど、それは実現しませんでした。

 ただし、リメイクではないし、東宝クレージー映画でもないのですが、たった一本「同じ原作を使って作られた」作品があります。
 原作者は「銭形平次」でお馴染みの野村胡堂ですが、「磯川兵助功名噺」という原作を元にエノケン版は原作通りのタイトルで、そしてクレージー版は「ほんだら剣法」というタイトルに改めて犬塚弘主演で作られています。
 エノケン版の話から始めますが、これが意外にも面白いんですよ。戦中に作られたわりにはギャグも豊富で、とくに扇子をめぐる大人数での追っかけシーンは圧巻と言っていい。また冒頭の歌がクライマックスの伏線になっているのも素晴らしい。

 一方「ほんだら剣法」は大人数の追っかけシーンはないし、歌の伏線もない。代わりに御前試合のシークエンスがあったりするのですが、これは犬塚弘の個性に合わせてのことでしょう。
 こちらは森一生の職人芸が光っており、犬塚弘の好演もあって、やはり意外と面白い。

 つまり話の筋は同じながら違うタイプの喜劇なのですが、どちらも<意外と面白い>という共通項がある、ということになるわけで。

 ところが、あんまり言いたくないのですが、「天下無敵」も「頑張り戦術」も、個人的にはそこまで面白いとは思ってないんですよ。
 部分的には面白いシーンもあるんだけど、「磯川兵助功名噺」や「ほんだら剣法」のような「愛すべき小品」ではない。
 それでもあえて徹底比較しようと思ったのは、両方「この作品がひとつの分岐点である」と言えるからなんです。
 坪島孝が「日本一」シリーズ以外のクレージー映画のメイン監督に昇格したのは間違いなく「天下無敵」の興行的成功があったからだろうし、エノケン映画のメイン監督が山本嘉次郎から中川信夫に移ったのは、やはり「頑張り戦術」の成功があったから、でしょう。
 先ほど「頑張り戦術はあまり面白くない」と書いたばかりですが、それはアタシ個人の意見であって、識者からの評価は高い。残念ながら「頑張り戦術」の興行成績はわからないけど、完全オリジナル台本、しかも現代劇のわりにはそこそこ良かったのではないかと推測されます。

 わざわざ「完全オリジナル台本」と断ったのは、もうこの頃のエノケン映画は「毎度皆様お馴染み」の題材を取り上げて作られていたんです。「猿飛佐助」や「鞍馬天狗」、そして中川信夫が監督をつとめた「森の石松」。どれも、いわば<古典>です。(鞍馬天狗はこの時点では新しいけど)
 しかし中川信夫は完全オリジナル台本で、エノケンらしいモダニズムに溢れ、挿入歌こそ少ないとはいえギャグの量もふんだんにある喜劇を作り上げたことは評価されたに違いない。
 実は坪島孝と中川信夫はともに「モダンで細かいギャグを大切にする」という共通点があるんです。
 だから面白い面白くないという個人的感想を抜きでとなると、結構語ることがある。そして徹底比較も成り立ってしまうということになるわけで。

 中川信夫のフィルモグラフィを見ればわかりますが、かなりのエノケン映画で監督をつとめているにもかかわらず、中川信夫と言えば何故か「化け猫」シリーズのイメージが強い。ところが実際は化け猫モノはたった一本しか撮っていないし、では「怪談映画の巨匠」というのも、Wikipediaによれば、これまたたった8本だけしか怪談モノを撮ってない。

 しかもこの人、あんまりジャンルにこだわりはなかったようで(余談だけど酒とアテにはこだわっていたけどね)、何でも、無差別に撮っている。おそらく怪談モノも「何でも」やったうちの一ジャンルに過ぎないということでしょう。
 だからもちろん喜劇にもこだわりはなかったと思う。喜劇を撮る<才>はあったけど、とくに喜劇を撮りたいという欲求もなかったはずです。

 そこは坪島孝とははっきり違う。
 坪島孝は幼少時より「頑張り戦術」をはじめとするエノケン映画に心酔し、エノケン映画=東宝、ということで最初から東宝以外には入る気さえなかったと言います。

 坪島孝の年齢から考えても、おそらく一番エノケン映画にハマっていたのは1940年前後の、中川信夫がメイン監督をつとめていた時代のはずです。
 たしかに「天下無敵」は「頑張り戦術」のリメイクではない。しかし中川信夫流喜劇に多大な影響を受けた坪島孝が中川信夫の作風というかベクトルが近い、つまり「モダンで細かいギャグを大切にする」作風なのも当然ではないかと思うわけで。

 とはいえ「頑張り戦術」のリメイクを作る気は最初からなかったはすで、たしかに制作前にスタッフ一同で「頑張り戦術」の鑑賞会を催してはいるのですが、あくまで<参考>程度に考えていたはずです。
 坪島孝としてはこの「天下無敵」が4本目のクレージー映画であり、3本目の「奇想天外」が好評だったこともあって「奇想天外」で主演した谷啓の重要性が再確認された時期だった、とも言えます。

 谷啓は植木等のような「絢爛たる<華>」のある人ではないので、谷啓が主演級をつとめる作品は<華>のある人とのコンビ主演の場合が多かった。
 「西の王将東の大将」(正続編)では藤田まことと、「クレージーの無責任清水港」では植木等と組んだ、いわゆるバディ物になっています。
 東宝クレージー映画で初の、結果的には唯一の谷啓単独主演作である「奇想天外」もよく見ると、出番は少ないものの「西の王将東の大将」同様、藤田まこととのバディ物なのです。

 自身4作目の「天下無敵」の制作にあたり、「頑張り戦術」ようなバディ物にすると決めた時点で、ふたりのうちのひとりは、谷啓に決めていたと思う。
 ではその相方というか、ま、敵対する相手とも言えるのですが、何しろ「クレージー」と銘打っている限り、なるべくならメンバー内の誰か、ということになる。いや藤田まことが悪いわけじゃないけど、あくまでメンバーの誰かがベストだと。
 となると相手役は<華>のある植木等以外考えられない。
 「無責任清水港」は実質的には植木等と谷啓のバディ物ですが、メンバー主演映画として作られているのでハナ肇の比重も大きかったのですが、前作の「クレージー大作戦」が完全に「メンバー全員主演」になっていたので、タイミング的にも「植木と谷だけの映画」をやるとなればここしかなかったと思う。

 さて、ここからは「頑張り戦術」のことを中心に書いていきます。というのもですね。
 現在、戦前に作られたエノケン映画は後述する一部を除いてDVD化されていません。1990年代末に主要作品がビデオ化されたこともあったのですが、これらはすべて廃盤になっている。つまり容易に戦前のエノケン映画を観ることは出来ないのです。
 もちろん「頑張り戦術」も同様で、この作品に関してはフィルムセンターが比較的良好なコンディションのフィルムを所持しているのですが、DVD化の予定はまったくないし、CS等で放送される予定もない。(ただし2018年から衛星劇場にて戦前エノケン映画のうち時代劇物に限って放送されているし、黒澤明が何らかの形でかかわったとされる数本のエノケン映画は「黒澤明DVDコレクション」というムック本の付録という形でDVD化されているが「頑張り戦術」は含まれていない)
 このような状況を鑑みると、やはり「頑張り戦術」の説明からはじめるのが筋じゃないだろうか、と。

 初期のエノケン映画はほぼ山本嘉次郎がひとりでまかなっていました。木村荘十二や渡辺邦男、岡田敬などが撮ったこともあるけど、ヒット作は山本嘉次郎作品に限られていたし、そもそも山本嘉次郎は「エノケン主演映画を撮るために」P.C.L.が日活から引っ張ってきたのだから当然といえるわけで。
 しかしP.C.L.専属の監督が少なかったこと、P.C.L.が東宝に吸収されて大資本になったこと、何より喜劇映画以外のジャンルで山本嘉次郎が才を見せ始めていたことで、もはや山本嘉次郎が「エノケン専属の監督」であることなど不可能になりつつありました。
 そこで抜擢されたのが1938年に東宝専属になった中川信夫だったのです。

 中川信夫のエノケン映画初監督作品は1939年の「エノケンの森の石松」です。
 残念ながら「森の石松」は出来が良いとは言い難い。悲劇的結末、というのは森の石松を題材にする以上しょうがないにしろ、それを差し引いても凡作です。それこそ題材が同じ、しかも坪島孝が撮った「無責任清水港」に比べても落ちる作品です。
 しかし光る場面もある。柳家金語楼とのシークエンスは現在の目でみてもそこそこ面白いし、口演(ナレーション)に広沢虎造を迎えたことは想像以上の効果を上げているんです。
 広沢虎造と言っても現代人にはピンと来ないと思われますが、浪花節を大衆にまで広めた功労者であり、当時は人気絶頂でした。
 そうした広沢虎造効果もあっておそらく興行成績も良かったのだと思う。中川信夫監督のエノケン映画第2作は現代劇の「頑張り戦術」に決まった。

 「頑張り戦術」は「天下無敵」同様、ふたりの男が徹底的に張り合う喜劇ですが、大スターであるエノケンと張り合うに相応しいとなったら、普通なら二村定一しか考えられない。

 事実、ピエル・ブリアント時代はエノケン二村のふたり座長状態だったし、格としては「君恋し」や「アラビアの唄」などのヒット曲があった二村定一の方がむしろ上だったんです。
 しかしエノケンは猛烈なガッツであっという間に人気面で二村定一を抜き去った。二村定一は音楽面では自分の方が上手(うわて)だ、と自負しながらも人気面でエノケンに太刀打ち出来なくなり、それが原因か、エノケンと喧嘩を繰り返すようになり、何度も一座を離れ、また戻ってくるを繰り返している。
 「頑張り戦術」の頃はちょうど二村定一が一座を離れていた時期なので起用するわけにはいかなかったのです。

 もうひとり候補として考えられるのは中村是好です。
 「エノケンのちゃっきり金太」という「頑張り戦術」の原型となったような作品で、中村是好はエノケンの相手役をつとめているし、能力的にも申し分ない。
 ところが選ばれたのは、格としても能力としても本来エノケンの相手役としては格下の如月寛多です。
 如月寛多は元々エノケンの実家である煎餅屋の小僧で、エノケンと常に行動を共にしていました。そして頑張りが認められたのか、一座では幹部クラスにまでなっている。

 しかし経歴だけ見ても、同じ幹部クラスでも師匠である柳田貞一、同格に近い二村定一や中村是好とはまるで違う、とわかっていただけるはずです。
 はっきりしたことはわからないのですが、如月寛多は歌が苦手だったようで、音楽喜劇を標榜していたエノケン映画はエノケン以外の周りの役者も歌いまくる。しかし如月寛多だけは極端に歌うシーンが少ない。「エノケンの爆弾児」においてフィナーレで全員で歌うのですが、如月寛多のパートだけは何故かセリフになっているくらいです。

 幹部クラスの中でも格下である、そして歌が苦手である、というハンデがあるにもかかわらず「頑張り戦術」では如月寛多が抜擢された。これに疑問を抱かない方が変なレベルですが、その理由の前に中村是好のことを書いておきます。
 盟友というべき中村是好は、戦後になりエノケンが一座を解散した後も<手堅いワキ>として数々の喜劇映画に出演した、息の長い役者でした。
 中村是好はたった一本、東宝クレージー映画にも出演しています。1965年公開の「日本一のゴマすり男」がそれで、植木等の父親を演じている。たしかにトシはとったけど雰囲気はエノケン映画に出演した頃のままで、ごくごく自然に演じているのが嬉しい。

 その後はドリフターズの映画にも出ているし、1970年前半くらいまではいろんな映画に出まくっている。ということはエノケンの逝去(1970年)の後も現役だったということであり、晩年は趣味の盆栽にかんする本を出すなど、それなりに充実した人生だったはずです。

 ところが如月寛多はそうではない。
 実は如月寛多も一本だけ東宝クレージー映画(「クレージー作戦・先手必勝」)に出演しているのですが、フィルモグラフィーを見てもほとんどはエノケンが主演したものに限られており、つまり、やや辛辣な言い方をすれば、独り立ち出来なかったということになる。
 本人的には相当試行錯誤したのだろうし、戦後の一時期は如月寛多改メ<中村平八郎>と名乗ったりもしていたのですが(どうも本名らしい)、結局もとの如月寛多に戻り、しかし大成は出来なかった。

 如月寛多は歌を苦手にしていたようだし、他のエノケン一座の幹部役者である柳田貞一や中村是好と比べてもあきらかに演技で劣ります。
 エノケンの師匠である柳田貞一はもちろん、中村是好も浅草オペラ出身で、いわば純粋な役者やコメディアンを志した身ではない。にもかかわらず両者とも当時としては非常に珍しい自在型の演技者で、見栄を切る、までいかなくても大仰でクサい芝居が求められた当時の風潮に反した役者とも言えるんです。現代の上手い役者の条件を備えている、と言ってもいい。
 しかして如月寛多はそうではない。基本的には単調な演技で、柳田貞一や中村是好のような柔らかさは皆無です。

 ところが意外にも幅広い役をコナせていたことも事実で、エノケン一座の演目の多彩さに十分貢献しているのです。
 「青春酔虎伝」や「千万長者」のような粗暴な役から、「風来坊」の正真正銘の悪党、かと思えば「爆弾児」の時の「あまり主体性のない大旦那」まで、結構いろんな役をやっており、見ていて違和感はない。
 ただし自らボケたりということはほとんどなく、つまり笑いを作る出すことにはあまり貢献していない、ということは<役者>としてはともかく<喜劇役者>としての評価が非常に難しくなる。
 喜劇だからといって出演者全員が際限なく笑いを取りに行く必要はないし、むしろそれはやってはダメなことでさえあります。そしてストーリーというものがある限り、通常のフィクション同様、物語るに役立つ役者は絶対に必要です。
 だから如月寛多が一座の幹部たる存在感があったことは間違いないとしても、ではどれだけ喜劇的演技が出来たのか、はかる術は一本の映画しかない。

 そしてそれが「頑張り戦術」なのです。というわけでPage2に続く。