やっぱオタクの話は真に迫らん
FirstUPDATE2023.3.30
@Scribble #Scribble2023 #特撮 #映画 #YouTube #インターネット 単ページ シン・仮面ライダー シン・ゴジラ 評価 参考 映画評 #オタク 理想形 映画としての面白さ 絶対的正解

あと一回「シン・仮面ライダー」の話の続きを書きたいと思いまして。

昨日も書いたように、本当にこの映画の評価に迷ってね、ラチが開かないので、何か参考になればいいな、と思い「シン・仮面ライダー」に触れているサイトやYouTube動画を見漁ってみたんです。もう藁にもすがる思いで。
ところがビックリするほど参考になるものがない。つかアタシとは「作品の見方」みたいなのが違いすぎて、そんなことに触れようとも思ってなかった、みたいな内容ばかりでね。

メチャクチャ正直に言えば、みんな、そんなことが気になるんだ、というか。アタシなら気づいていても気にならないっつーか、そこを掘り下げても作品の本質とは関係ないんじゃないか、みたいな感じというか。
ま、映画評なんて好きに書きゃ、喋りゃいいし、アタシだって好き勝手に書いてる。だからそれはいいんですよ。

問題は「アタシにはない視点=そんな見方があったなんて!」みたいな<気付き>になってないことなんです。
それでも、わりと雑多に、いろんな映画評を語っておられるサイトは「まァねぇ。それはそうだな」くらいの、完全同意ではないし、別に<気付き>はないけど、書き手、喋り手の気持ちはわかる場合が多かった。
でも、いわゆる<特撮オタク>系の人たちの寸評にかんしては、いやこれは寸評とは別のモンだろ、みたいな、ね。
この感じ、以前も味わったことがある。つかそうした違和感をしたためたことがあります。



これは「シン・ゴジラ」について書いたエントリですが、上記の駄文でもアタシは似たようなことを書いています。
今回いろいろ見て回ってようやくわかったことがあります。ま、はっきり言えば「シン・仮面ライダー」は<特撮オタク>界隈での評判が悪いんだけど、これは<酷評>とかではなく、どちらかと言えば<不服>なのではないか、と。

ハードルが高い、とも違う。いやもしかしたらご当人たちは「自分たちはこうした特撮ヒーロー物に目が肥えているから、どうしてもハードルが高くなる」と思ってるかもしれないけど、上手く言えないけどハードル云々とは感じが違うんですよ。
もう、ぶっちゃけて言えば「自分が思い描いていた作品ではなかった」ことへの<不服>なのです。

言い方を変えます。
何でそう思ったかというと、彼らから「面白い映画ではなかった、からの酷評」と感じなかったからで、何というか「自分が求めていたものではなかった、からの酷評」というふうに思えたんですよ。
映画っていうか、どんな娯楽もそうですが、<個人>の思いなんて無視されます。つかそれは当たり前です。ところがオタクは「自分の理想を100%叶えてくれるものが最高の娯楽」と考えているフシがある、というか。

今回はテーマが「シン・仮面ライダー」なので、たまたま<特撮>のオタクを槍玉に上げるみたいになっちゃいましたが、まず自分の理想形を思い描いて、それに近いか遠いかで作品を判断するってのは典型的なオタク的思考だと思う。
アタシだって、もし日本で音楽喜劇を標榜する映画が作られたとしたら、絶対に自分の理想形から近いか遠いかで判断するに決まってる。つか冷静な「映画としての面白さ」を置き去りにしたようなことを書き連ねるに決まってる、というか。

でもね、そんなものは個人の思いでしかないのですよ。無視されて当たり前なんですよ。そもそも「この世にいるオタクの<思い>を全部受け止めて作品を作る」なんて不可能なのですよ。
だからオタクの話は真に迫らない。昨日、基準点の話をしましたが、基準が「個人の思い」である限りその意見に大衆性はない。
どこかは書かないけど、「シン・仮面ライダー」について語っていたサイトで、やたら「そう思いませんか!?」とか「みんなそうでしょ!」とか繰り返していたサイトがあったけど、ああいうのを見ると心底

「オタクって自分の中での正解が<絶対的正解>と思いたいんだな」

って思った。
もちろんこれは自戒でもあります。マニアックな話になるとつい「ネタとしてわかりづらい」とか「専門用語が」みたいな話になっちゃうけど、どうもそうじゃないな、と。
オタクの話に大衆性がないのは別の原因があるからだよ、と気づけただけでも「シン・仮面ライダー」の評価に迷って良かったような。







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