アントニオ猪木の名言「元気があれば何でも出来る」は必ずしも正しいわけではないけど、少なくとも言い方を反対にしたら、まァ、これはその通りではないか、というような話です。
もちろん「元気があればホームレスもできる」なんてギャグでしかないと思うけど、実際問題、元気がなければホームレスなんて無理ですからね。
ホント、アタシが若い頃にさんざっぱら聞かされた「寝るのにも体力がいる」という年寄りの繰り言をこのトシになると痛感します。
マジでね、元気がないと寝るのもしんどいのですよ。元気だからこそ快眠が可能なんだな、と。つか寝ることさえこの有様なんだから、元気がないとパソコンでもスマホでも操作をミスりまくるわ、料理をしても味付けを失敗しまくったりね。
無力感というかね、ああ、もう、自分は本当に何にも出来ないんだな、と。
もちろんこないだ書いたように、夏風邪だろうがコロナであろうが「負けてたまるか!」って思ってるんですよ。でも病気の時なんか病気と戦うことで手一杯なんです。とにかく、持ってる気力のすべてを病気との戦いにつぎ込んでいるんだからね、その代わり他のことは何も出来なくなると。
考えてみれば、試合の時なんか死にものぐるいで戦っているスポーツ選手とか、試合の前後はフヌケになって何にも出来なくて当然だな。
いやスポーツ選手に限らず、余裕なんて皆無でギリギリのところで頑張ってる人なんて、やっぱ、余裕がある人よりも何にも出来ないと思うんですよ。
常に余裕があるってのはカッコいいんだけど、考えようによっては「余裕なんてあるわけないほど目の前のことに全力で立ち向かっている」方がカッコいいんじゃないか。
植木等の名曲「余裕がありゃこそ」(作詞 青島幸男)は意外と深い歌詞で、まず一回ムキにならないとダメだよ、ともとれる。
ムキにならない、いやムキになれない人間は余裕なんて持てない。ムキになれない人間が余裕を持ってると思ってる場合、実はそれ、ナメくさってるだけじゃないか。
ムキになってこそ初めて余裕の必要性がわかる、という歌詞じゃないですかね。
ムキになれる、すなわちそれは「元気がある」って話でして、逆に言えばムキになれない、それは「根本的に元気がない」ということじゃないかと。
いや実際、夏風邪が酷い時はムキになれなかったもん。Windowsの不具合が起こって、いつもならマジでムキになって、やんなきゃいけないことを後回しにしてでも何とかしようとするのに、身体がしんどすぎて、あ、ダメになってる、まァ、こういう時は横になるか、そのうち勝手に直るだろ、みたいにしか思えませんでしたからね。
いやさあ、それこそゲートボールとかマレットゴルフとか完全に年寄りのスポーツ扱いだけど、ああいうのだって「ムキになって勝とうとする」気持ちがないと絶対面白くないでしょ。勝っても負けても一緒、みんなとワイワイ出来たらそれでいいよ、なんて気持ちなら続かないんじゃないかなぁ。
つかさ、人生で一番つまんないのって<達観>ですよ。人間、達観なんかしちゃおしまい。達観とかカッコよく言ってるだけで、その実「ムキになれるほどの元気がない」だけなんだから。
若い人からウザがられるのは確実だけど、アタシはいつまでもムキになる人間でいよう。いや、正確にはムキになれるくらい元気でいようってことなんですがね。