オタクってソコじゃないの?
FirstUPDATE2022.7.9
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まァ、昨日の続きみたいなもんですが、しつこくね、オタクの定義のようなことをやろうと。

アタシがこれまで書いてきたオタクの話を整理しておくと

・蒐集欲
・世間的にどうでも良いと思われているものにやたらとこだわる

というようなことを書いてきました。
その反面、オタクの興味の対象が何か、ということにかんしては一切書いてない。というか、そこは本当に何だっていいのです。
アニメ・漫画やゲーム、パソコンなどがオタクの対象とされやすいけど、正直ぜんぜん関係ないと思うし、アニメ好き=オタクではない、というのが基本的な考え方というか。

いやね、どうも最近、オタクの意味が変わってきたんじゃないかと思うことが多くてね。
「自称オタク」の話をよくよく聞くと、何のことはない、ただのファンじゃねーか、というのがメチャクチャ多いんですよ。
アタシの中でファンとオタクは明確に峻別している。ここでも何度も「藤子不二雄にかんしてはファンであってオタク(マニア)ではない」と書いてきましたが、理由は簡単で、どれだけ藤子不二雄作品が好きであろうと「掘り下げようとは一切思ってない」からなんです。

つまり、昨日書いた<深度>の話です。
どれだけ深く掘り下げられるか、それが仮にタチの悪い深読みだったとしても、それはオタクならではの行為です。
アタシはね、ずっと「蒐集欲とオタクかどうかは関係ない」と言い続けてきました。
ファンならば、目的のブツを手に入れることが最大の目的なんですよ。つまり手に入れられた時点で欲望としては完結している。
しかしオタクは「目的のブツを手に入れてからが本番」なんです。そのブツが映像だったとしたら何度も何度も繰り返し見返して、深く深く、作品を愛でようとする。それがオタクなんじゃないかと。

それこそアタシなんかで言えば「ニッポン無責任野郎」なんて、いったい何回見返したかわからない。少なく見積もっても100は余裕で超える。
今は非公開にしてるけど、どれだけ深く読み解けるかチャレンジした「「ニッポン無責任野郎」徹底深読み」なんてエントリまで書いたくらいです。
正直、上記エントリなど、ただの深読みなんですよ。つかタイトルにもそうあるんだけど、深読み→開陳こそがオタクの本懐であると思っているわけでね。

でも今はオタクの意味が変わってきて、ごく普通のファンが「私、○○ヲタでさぁ」なんて言うようになってる。
偏狭に「いや、それ、オタクとはぜんぜんちげーよ」というのは簡単だけど、え?今はオタクってそういう意味なんですけど?と言われたら返す言葉がない。
だったらさ、<深度>を重要視する昔ながらのオタクに別の言い方が欲しいわ。つか分けてもらった方が<新型オタク>もラクなんじゃないの?

まァ、どうも、例の疫病以降、<新型>と付くのが良くない感じなのでね。だったら昔のオタクを<旧型>にするか。いや昔のオタクだったら<旧式>とか<零式>とかの方が喜びそうだな。







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