「オモロないで」と言える勇気
FirstUPDATE2022.6.23
@Scribble #Scribble2022 #世間の話題 単ページ イジメ ユーモアセンス 表彰状 #X/Twitter

えと、ちょっと話題になってる表彰状のことをね、ま、Twitterにも書いたんだけど、もうちょいちゃんと書こうと。

そういや今から3年前にバカッターのネタを書いたことがあります。
って憶えてます?あのおでんを咥えたりマグロを捨てたりしてたアレですよ。
あれが他の犯罪なんかと根本的に違うのは「本人たちは罪の意識が皆無」ってことですが、まだ罪の意識が皆無程度ならいい。一番問題なのは
「本人たちはあれが面白いことだと思ってる」
ことなんです。
で、例の表彰状にも同じことが言える。
間違いなく、あの表彰状を作った人間は「ああいうことが面白い」と思っているんです。下手したらニヤニヤしながら「面白れーなーw」と言いながら作ったのかもしれない。

そもそもイジメという言葉がよくない。暴力を伴うことなら傷害罪、伴わない場合は何かしら、イジメとは別の言葉を作るべきだ、という意見があります。
ただこれ、どうも無条件には賛成出来ない。
普通犯罪を犯す場合、そこに「私利私欲」や「怒りの感情」があるはずなんですよ。でもイジメと言われてるものにそういうのは微塵もない。
かといって「面白半分」でもない。というか<半分>どころではなく、何でそういうことをやったか、それは「(あくまで本人的には)面白かったから」だけなんです。つまりは「面白<全部>」かね。

しかし実際、バカッターも表彰状も、それらを見た大半の人はこう思ったでしょう。
「ひとっつも面白くない」
と。
世の中には信じられないくらいユーモアセンスが欠如した人がいます。まだ、ただたんに面白くないだけならいい。自覚さえあれば黙ってりゃ、ま、黙ってなくても「面白いことを言おう」としない限り何の問題もありません。
しかし突き抜けてユーモアセンスの欠如した人間に限って、どこをどうトチ狂ったのか、本気で自分を「面白い人間」だと思ってる。

アタシも昔は、どちらかと言うとイジメられる側の人間だった。
でもね、フシギなのは、まァフシギでもなんでもないんだけど、ちゃんと「面白いイジり方」をされたら、あんまり不快じゃないんですよ。でもしつこく、幼稚なね、それこそ、気持ち悪いとか、臭い、汚い、みたいなイジり方をしてくる。それがまさにイジメの首謀者でした。
というかね、「面白いイジり方」が出来る奴は「イジメの首謀者」ではなく「仲間内のリーダー格」扱いされるんですよ。要するに慕われるわけで。

だからね、よく「どこからどこまでをイジメというか難しい」と言いますが、アタシから言わせたら簡単ですよ。
それは「イジメの首謀者に相当する人間のユーモアセンス」を見るだけでいい。
それでね、ハイ、お前オモロないから、他人をイジるの禁止!と言ってやればいいんですよ。
ユーモアセンスがないのは罪ではない。しかし面白くないことを「笑え」と強要する類いのユーモアセンスのない人は罪です。
そもそも他人の感情をコントロールすること自体が無理なんだけど、それでも怒りや悲しみは他人が無理矢理引き起こすことは出来なくはない。
しかし<笑い>だけは絶対違う。面白くないことを並べられて、さあ笑え!と強要されてもマックスで愛想笑いが関の山です。

もうさ、無数のナントカハラスメントがあるのにさ、いまだに「ユーモアハラスメント」がないのがおかしいわ。
もしかしたら、セクハラよりもモラハラよりも、もっともタチが悪いのはユーモアハラスメントかもしれないのに。







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