昨日の「似たようなもんじゃん」の続きではないのですが、どうも「こだわり」ってのが「真面目」とか「必死」のように否定的ニュアンスが含まれるようになったんじゃないかと。
本来、物事にこだわる、というのは悪いことではないはずなんです。
度を超えていたり、他人の意見に一切耳を貸さなくなったりしたら、そりゃあ多少は問題かもしれないけど、それも仕事でもない限りは好きにしたらいい。
というか人が好き好んでやってる趣味のことなんか、どのようにしようが他人が口出しすべきことではないのです。いやむしろ、一切耳も貸さないのが当たり前の話で。
さて、アタシは繰り返し、やぶにら2003にしろ、このScribbleにしろ、インターネット上に文章を書くのは<趣味>だと書いてきました。
趣味だから好きなようにやりたいし、実際にやってきた。このことにたいしては間違ってるとは思っていません。
ただね、ま、ScribbleはともかくYabuniraにかんしては、自分でも呆れるレベルで「こだわりがなさすぎる」と思ってしまうのですよ。
とにかく書いてる内容が雑多すぎる。というかいろんなことを書き過ぎている。つまり、もし「やぶにら2003って何のサイト?」と聞かれても「特定のことにこだわってるサイトではなく、いろいろ書いてます」としか答えようがないんです。
つまり、これではイメージが生まれない。
どれだけ興味を惹くかはさておき、やぶにらと言えば戦前モダニズム!とか、やぶにらと言えば藤子不二雄!みたいなのがまったくないんです。
芸人の話にしたらわかりやすいけど、小峠と言えば「何て日だ!」だし、クマムシと言えば「あったかいんだから」です。
いやアタシが好きな人たちで言っても、谷啓なら「ガチョーン」だし植木等なら「無責任男」か「お呼びでない」です。
そういうね、一種のわかりやすさってのは認知されるには絶対に必要なんですよ。
インターネットサイトを始めて、今年で20年目になります。
20年もやってりゃちょっとは知名度がありそうなもんだけど、実際はまったくない。アタシは数年前までしつこく「誰に見てもらわなくても一切構わない」と言い続けてきたけど、いくらアタシ自身が認知度アップを拒絶したとしても、これだけ長くやってたら自然とって言うか勝手に認知度は上がっていくはずなんです。
しかし現実はそうはなってない。で、何でそうならなかったかというと、結局こだわりがなさすぎて、何が書きたい人なのか、ひいては本当に興味があるのは何なのか、まったくわからないからではないかと。
さすがにね、これはちょっと、よろしくない気がしてきた。
そりゃあ、中には何のこだわりもなくやっても、自然と認知度が上がる、アタシ的に言えばイチローのような天才はいるのかもしれないけど、アタシはイチローじゃないもん。つか凡人がイチローの打撃理論を安易に真似ようとしたら大やけどする。当たり前です。
やっぱ、アタシのような凡人には「やぶにらと言えば○○!」というのが必要だし、遅まきながら、それをやっていきたいな、と。
というか遅すぎだろって話だけどね。でもどれだけ遅すぎでも、気づいたからにはやらないよりやった方がいいよね。