松竹映画の傍系について
FirstUPDATE2022.5.30
@Scribble #Scribble2022 #松竹 #映画 単ページ 傍系 キネマ旬報 にんじんくらぶ 芸映プロ イザワオフィス

今回はマイナーな話というか、まァ、こういうことにこだわってる人はあまりいない、みたいなことを書いていきますので。


まずは↑を読んでもらいたいのですが、さすがに強要は出来ないので今回の話と関係ある箇所だけを引用しておく。

 1960年代まではほぼ隔週替わりで2本立て映画が上映されるのが常だった。さすがにすべてをひとつの撮影所で賄うのは無理なので、東宝なら東京映画や宝塚映画、東映ならば第二東映などの「配給先を持たない傍系の製作会社」にも作品を振ることで、何とか年間50本ほどの映画を製作していたのです。
 しかし松竹には傍系の製作会社がなかった。撮影所は京都にもあったのですが、もともと現代劇の強い松竹は時代劇専門の京都撮影所が活躍することは少ない。

ここの箇所は正直、自分でも大丈夫か、と思いながら記したところで、何が不安と言っても『松竹(映画)には傍系の製作会社がなかった』と言い切ってるところです。

いや、それこそ東宝における東京映画や宝塚映画に相当する制作会社が松竹では思いつかなかった。
ただ唯一、松竹配給作品を制作していたとなると「にんじんくらぶ(にんじんプロダクション)」があるのですが、「にんじんくらぶ」は松竹出資で設立されたわけではないし、ざっくり調べた限り資本関係も皆無、もしくは大手五社と変わらない比率だったと思う。

他で言えばドリフターズ主演作品「全員集合!!」シリーズのごく初期を芸映プロダクションが担当していますが、芸映プロは映像も手掛けていたもののどちらかというと芸能プロダクションであり、正直、何でこういうことになったのかはよくわからんし、話が逸れすぎるのでこの話はおわり。
(少しだけ書くなら芸映プロ所属のいしだあゆみは後に渡辺プロダクション直系のイザワオフィスに移籍しているし、もしかしたらイザワオフィス創始者の井澤健と芸映プロの青木伸樹の個人的関係があったかもしれない)

話を戻します。
手元に「キネマ旬報」1961年10月号があり、巻末に「日本映画興亡史」という年表のようなものが添付してあります。
これを見ても松竹映画に合流した制作会社は数あれど、松竹映画から派生した傍系制作会社がまったく見つからない、もしくは1961年の段階ですでに存在していない。(しいて言えば「にんじんくらぶ」だけど、これは先述の通り)

いやこれは1961年のものなので量産時代終了までまだ10年あるわけで、つまりその間に傍系制作会社が出来た可能性はゼロではないけど、可能性あるかね?大島渚の創造社は間違っても松竹と関係が深いとは言えないしさ。
ま、アタシの手持ちの資料ではここまで。てなわけで「松竹には傍系の製作会社がなかった」とするよりなかったっつーか。

ま、どっちにしろ「1960年代までの松竹配給映画はほぼほぼ松竹制作だった=そしてその大半が大船撮影所で撮影されていた」ってことには変わりがないんだから記述としての間違いはないと思うのですがどうでしょう。







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