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複眼単眼・準キー局
FirstUPDATE2022.5.22
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 よく「阪神と巨人はプロレス」と言われます。
 野球に興味がない方にはさっぱりな話でしょうが、いくら阪神ファンが巨人を、巨人ファンが阪神ファンを敵視しても、所詮は馴れ合いが垣間見える、つまりプロレスのブックと同じじゃねーか、ということなんですが。

 何でそうなったかはえらく長々書かなきゃいけないので割愛しますが、インターネット上はともかく、阪神贔屓のアタシもリアルで会った範囲であれば、巨人ファンでそんな嫌な人に会ったことがない。(まったくじゃないよ。でもんなもん、どこのファンだろうが=阪神ファンであろうが嫌な奴はいるから)
 つまり、阪神ファンと巨人ファンは、実はそこまで相性が悪くないのです。
 巨人からしたところで、ファン的にも親会社的にもガチで相性が悪いのは中日であり、ま、阪神のことは手下くらいに思ってるんでしょうな。

 では阪神とガチで相性が悪いのは、というと、アタシはヤクルトだと思う。
 阪神とヤクルトのトレードは阪神と巨人以上になく(藤本敦士のFA移籍や自由契約後の獲得を除く)、金銭トレードは2000年のカツノリが最後(ただしこれも無償トレード)であり、交換トレードとなるとアトムズ時代の鈴木皖武と西園寺昭夫以来、50年以上ない。
 ということは、アトムズというのは産経新聞がオーナーの頃ですから、ヤクルトがオーナーになって以降、ただの一度も交換トレードがないのです。
 少なくとも、仲が悪いかはともかく、親会社同士も、仲が良いとは思えないって話ですが、ファン同士もどうも相性が悪い。

 まだ髙山の時のクジみたいな笑える話ならいいんだけど、八木裕の疑惑のサヨナラホームランからはじまって、阪神フーリガンとか、マートン相川のタックル&ギロチンブロックとか、矢野燿大とバレンティンの乱闘とか、もうちょっと最近でもサイン盗み疑惑とか、もう暇がないほど例があるんだけど、とにかく遺恨が多すぎるせいか、よほど本気で阪神嫌い、ヤクルト嫌いが多いのか、ファン同士のいざこざも本当に多い。
 アタシ個人としても、どうも、ヤクルトOBの話は頷けないものが多い。別に穿った見方をしているわけじゃないのに、何かなぁ、それは違うんじゃないの?と思ってよくよく考えてみると、その発言をしている人がヤクルトOBってケースばっかりなんです。

 でもね、昔はともかく、よく考えたら今は、むしろ仲が良くてもぜんぜんおかしくないのです。
 先ほど巨人と中日の仲の悪さの一因として「親会社」ってのを挙げました。どちらも新聞社なんだから、これはわかりやすい。
 ヤクルトスワローズの親会社は、そのものズバリのヤクルトやジョア、ミルミルなどの健康飲料のヤクルトです。しかしかつて産経新聞が親会社だった経緯からか、今でもフジサンケイグループのフジテレビ(正確にはフジ・メディア・ホールディングス)が20%の株を持っている。
 一方阪神はというと、2006年に阪急阪神ホールディングスの一員になり(さらには阪急阪神東宝グループ)、持分法適用会社の中には関西テレビ放送がある。
 だから阪急と阪神が一緒になってから関西テレビでの中継が露骨に増えた。ま、親会社を考えれば当然ですが、あれ?と思いません?

 フジテレビはFNSネットワークのキー局です。そして関西テレビはFNSネットワークの準キー局。もっと言えば関西テレビの筆頭株主はヤクルトスワローズの第二株主であるフジ・メディア・ホールディングス、第二株主は阪神タイガースを連結子会社に持つ阪急阪神ホールディングスです。
 だから、阪神タイガースとヤクルトスワローズは遠縁とはいえ「親戚会社」とも言えなくもない。

 こうなるとキーを握るのは関西テレビです。
 いったい関西テレビ的にはどういう立ち位置なのか、いやそもそもキー局ならぬ<準キー局>ってどういうことなんだ?という興味がムクムクと湧き上がった。
 東京に所在するからキー局、大阪に所在するから準キー局、と単純に考えていたのですが、たんなる系列局とはあきらかにひとつランクの高い<準キー局>っていったいなんなんだ?と。

 今回の主題は準キー局です。具体的には先述の関西テレビをはじめ、MBS毎日放送、ABC朝日放送、よみうりテレビ、テレビ大阪、といったあたりが該当します。
 このうち「テレビ東京の系列局となるべく」開局したテレビ大阪だけはいろいろ事情が違うのですが、では何故、テレビ大阪が開局したかを探るとかなり面白いんです。
 もちろん「テレビ東京系列の大阪局の必要性」ってのはあるのですが、しかし東京12チャンネル(テレビ東京の旧名)時代は大阪に系列局はなかった。
 開局時期を記しておけば(アナログ時代のチャンネル順)

・毎日放送(TBS系) 1959年(ただしラジオ放送は1951年、のちに朝日放送と分割される大阪テレビ放送は1956年に開局)
・朝日放送(テレビ朝日系) 1959年(ただしラジオ放送は1951年、のちに毎日放送と分割される大阪テレビ放送は1956年に開局)
・関西テレビ(フジテレビ系) 1958年
・よみうりテレビ(日本テレビ系) 1959年

・テレビ大阪(テレビ東京系) 1982年

 こうして見ればテレビ大阪は断トツに遅い。ちなみに東京12チャンネルの開局は1964年ですから、実に18年もの間、東京12チャンネル→テレビ東京系列の在阪局は存在しなかったのです。
 (テレビ東京への名称変更が1981年なので、これはテレビ大阪開局に合わせたというか、名称の統一感をはかるのが目的だったと思われる)
 では何故、18年も「テレビ東京系の在阪局がなかったのか」ですが、これが実に複雑なんですよ。
 まず、ではこの18年の間、東京12チャンネルで制作・放送された番組が関西では一切流れなかったのかというと、そうではない。いわゆる番販という形で各準キー局で放送されていました。
 とくに主な受け皿になったのがサンテレビと近畿放送(現・KBS京都)で、というかもし「東京12チャンネルの受け皿」がなければ、これらのUHF局が無事開局出来ていたかも怪しい。

 今の地デジ放送はUHF波を使って放送されているので紛らわしいんだけど、この場合のUHF局とはアナログ時代の、いわば非VHF局を指します。
 大資本がバックについた、もしくは大資本が立ち上げた、つまりは莫大な設備投資が可能なVHF局に比べると、UHF局は資金面でも放送エリアの面でもあきらかに<こじんまり>しており、しかもキー局が存在しない完全独立系だったため、放送時間すべてを自局で制作しなければならない。しかし予算のないUHF局にそれは難しい。
 そこで準キー局で放送されてない番組を番販という形で買い、タイムスケジュールを埋める、ということになった。自局で制作するよりも買い付けた方が安く済むからです。(余談ですが、同じ理由でUHF局でスポーツ中継が盛んになった)

 準キー局はキー局のネット受けがあるからタイムスケジュールを埋めるのはラクだし、本来ならUHF局に<おこぼれ>なんかないはずです。もしあるとすれば東京12チャンネル製作の番組のみ。あとわずかばかりのネット受けしてない、しかも番販しているキー局番組だけ。
 しかしこれまたそう単純じゃないのです。
 ここに絡んでぐるのは準キー局の中でも老舗と言える毎日放送です。
 実は当初、東京12チャンネルの番組のネット受けは毎日放送が担っていた。って当時毎日放送はNET(現・テレビ朝日)の系列だったんじゃないの?と思われるかもしれませんが、ここで少しややこしい話をしていきます。

 テレビ朝日のもともとの社名は「株式会社日本教育テレビ」でした。
 そして略称としてNET(おそらくニッポンエデュケーションテレビのアルファベット頭文字)を用いていたわけです。
 これは放送免許交付の時に「教育番組を50パーセント以上、教養番組を30パーセント以上放送する」という条件があったためで、つまりテレビ朝日は現今のNHKEテレの民放版として始まったのです。
 ちなみにこの時点で朝日新聞とNETはまったく、何の関係もない。
 とにかくNETは番組作りがまるでなっておらず、ヒット番組は資本関係があった東映のテレビ部が製作したドラマに限られていたほどです。

 当時のネットワークは今とは違います。
 日本テレビ=よみうりテレビ、フジテレビ=関西テレビは今と同じですが、TBS(KRテレビ)は朝日放送、NETは毎日放送という形でした。
 キー局でもっとも番組制作能力が低かったNETとネットワークを結んだ毎日放送は、いわば<ハズレ>を引いた格好で、自社でヒット番組を作るしかなかったんです。
 結局これは1975年に田中角栄の壮大な計画によって腸捻転の状態が解消されます。ま、何でテレビ局のネットワークに田中角栄が介入してきたかの説明は後述。
 しかし<ハズレ>と組むことになった毎日放送はもっと以前からNETとのネットワーク解消を目論んでいたのです。

 となるとどこと組むか、ですが、残っているのは東京12チャンネルしかない。しかし東京12チャンネルはNETよりもさらに弱小で、より不利になるだけです。
 しかし毎日新聞との関係が強い毎日放送は「弱小これ幸い」とばかりに東京12チャンネルとの接近をはかるのです。
 具体的には「毎日放送がキー局となり、東京12チャンネルを東京ローカルの準キー局とする」という、今思うと仰天としか言えない壮大な計画です。
 まず手始めに毎日放送は1968年に日立や日産などとの合同出資で「東京12チャンネルプロダクション」なるものを設立しているのです。
 結局これは先に書いた腸捻転解消によって頓挫するのですが、毎日放送(正確には毎日放送の親会社であるMBSメディアホールディングス)はいまだにテレビ東京ホールディングスの第9位株主です。

 ここで重要なのは田中角栄です。
 そもそもですが、開局当初、キー局、つまり日本テレビやTBS(KRテレビ)などはどこの新聞社と結びつきが強いというわけでもなかった。
 日本テレビ開局に尽力した正力松太郎は古巣の讀賣新聞のみならず朝日新聞と毎日新聞からも出資を取り付けているし、しいていえばフジテレビと産経新聞だけがつながりが強かったにすぎない。
 しかし準キー局というか大阪のテレビ局はそうではなかった。これはチャンネル名を見るだけであきらかで、毎日新聞から<毎日>放送、朝日新聞から<朝日>放送、讀賣新聞から<よみうり>テレビ、と新聞社との結びつきを隠そうともしていない名称になっています。

 しかしキー局の「新聞社とテレビ局のつながりが弱い」という状況は、政治家にとって都合の良いものではない。とくに田中角栄の親分格だった佐藤栄作の新聞記者排除事件などを見ても、テレビをというかテレビ局を、テレビの視聴者を味方にしなければならない、ということに躍起になっていたと思う。

 メディアをコントロールするためにはなるべく導線を減らすのが得策で、そこで「テレビと新聞社の結びつきを強化させて導線を減らす」という策を思いつきます。
 これには伏線があり、日本テレビが粉飾決算を行った際、讀賣新聞の幹部が日本テレビに乗り込む事態となった。これ以降日本テレビは「讀賣新聞テレビ事業部」という風潮になり、これに嫌気をさしたバラエティ番組の始祖である井原高忠が退職する引き金になりました。
 田中角栄はこれを全テレビ局に当てはめようとしたのですが、資本関係を考えるなら毎日放送は、というか毎日新聞がTBSと、朝日放送もとい朝日新聞がNETと系列を結ぶのが自然で、結果、腸捻転解消になった、いや解消するしかなくなったのです。

 もう少し腸捻転解消前の話をします。
 番組作りの下手くそさを出演者からも呆れられるくらい酷かったNETですが、もはや東映テレビ部製作番組以外にはまともな番組を作れなかった状況で、ついに一発当てることが出来た。それが「ワイドショーの開拓」です。
 1964年に始まった「モーニングショー」を皮切りに、翌1965年にはその昼間版の「アフタヌーンショー」をも始めた。