編○者の権利
FirstUPDATE2022.3.19
@Scribble #Scribble2022 #フィクション @クレージーキャッツ #アニメ・漫画 #音楽 単ページ サザエさん 溝渕新一郎 アナゴさん ルパン三世 クレジット #1990年代 #ゲーム #映画

あの、エントリタイトルに○が入ってるのは伏せ字にしようという意図ではなく、編曲者をはじめとして様々なアレンジャーに当てはまるのではないかと思ったので。

大瀧詠一Xクレージーキャッツによる「実年行進曲/新五万節」が発表された時、「新五万節」にかんしては「作詞 青島幸男、作曲 萩原哲晶、編曲 大瀧詠一 原編曲 萩原哲晶」という何ともフシギなクレジットになっていました。
これは「新五万節」の原曲となった「五万節」の編曲者であった萩原哲晶へのリスペクトからなんでしょうが、ま、正直言えば「新五万節」は様々なクレージーサウンドから選り抜いてパッチワーク的につないだものなので、単純に「編曲 萩原哲晶」でも良かったと思うんですがね。

じゃあ大瀧詠一の扱いはどうすりゃ良かったんだって話ですが、これがちょっと難しい。
1990年に新録された「スーダラ節」は「編曲 溝渕新一郎」となってたはずだけど、あれは音源からフルスコアに起こしたのが溝渕新一郎で、これは<採譜>に近い。近いんだけど、どうも故人を「編曲者」とするのは憚られる、みたいなのがあるような気がする。だから便宜上「編曲 溝渕新一郎」になったんじゃないかと。

ま、これらはすべて「原曲自体が一番有名」なパターンですが、「原曲よりもアレンジバージョンの方が有名」というパターンは実にアレンジバージョンの扱いが難しいと思うんです。
つまりね、再アレンジをする場合、原曲がベースになるのは当たり前としても、絶対にどこかアレンジバージョンのイメージも残そうとするはずなんです。
これは何も音楽だけに限らない。
「原作よりアニメの方がはるかに有名な作品」の場合、絶対にアニメ寄りになる。例えば「サザエさん」の実写ドラマで原作には出てこないアナゴさんが出てくるのは「視聴者のイメージと乖離させないため」です。

それはいいのですが、では「アナゴさん」なるキャラクターを生み出したスタッフの権利はどうなるんだって話で、まだ「サザエさん」の実写ドラマはエイケンが絡んでるからいいかもしれないけど、これ、もしかしたら「原編曲」じゃないけど「原作 長谷川町子、原編作 エイケン(もしくはディレクターや脚本家など直接関わった人)」というクレジットを入れるべきだと思う。

思えば「ドラゴンクエスト」の映画だって、原作 堀井雄二とは別に原編作として何某とクレジットを入れたら良かったんです。
「この世界の片隅に」のアニメ監督がドラマ版について怒ってたみたいだけど、これもイメージや一部設定をアニメから流用するのであれば、これまた「原編作」とクレジットを入れるべきだった。


↑で「ルパン三世」の実写映画について書いたど、そんなこんなを考えたら「ルパン三世」の実写化なんて正気の沙汰じゃないよ。
あんなの、原作は原作漫画ではなくアニメになるに決まってる。トムズエンターテイメントは関わってるみたいだけど、実写映画はアニメの制作局の日本テレビではなくTBS絡みだから大々的に「アニメを元にした」とも謳えない。
かといって、それこそ「念力珍作戦」のように原作ベースでやったら観客のイメージから著しく外れてしまう。
これもう「キャストのイメージが違う」とかってレベルじゃないよ。それ以前に「原作よりアニメ(=アレンジバージョン)の方が有名な作品」を再アレンジするってこと自体が無理があるんだから。

これからますます焼き直しは増えるだろうし、焼き直しの焼き直しも増えると思う。
そういう時代に備えてクレジットもちゃんと整備すべきなんじゃないでしょうかね。







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