<の>の治外法権感
FirstUPDATE2021.10.31
@Classic #アニメ・漫画 #映画 @戦前 #東宝 @坪島孝 @エノケンの青春醉虎傳 @エノケンの魔術師 @エノケンの近藤勇 ルパン三世 念力珍作戦 小栗旬 山崎貴

 無茶苦茶な、イミフにもほどがあるエントリタイトルですが、わりとね、深い意味があると思ったもので。

 さて、かなり前の話ですが、友人と喋ってて、たまたま実写版「ルパン三世」の話になったんですけどね。
 ま、友人は知らないけど、アタシはいまだに実写版「ルパン三世」を見ていない。見てないモノを叩くってのは性に合わないんだけど、これはコケるだろうな、とは思っていた。いや興行的にコケるコケないはどうでもいいんだけど、<叩き>の格好のターゲットになるのは間違いないわ、と。
 「ルパン三世」にかんしては珍作「ルパン三世 念力珍作戦」(以下、念力珍作戦)があるので初めての実写化じゃない。しかしルパン三世の熱狂的ファンからすれば、小栗旬版と「念力珍作戦」なら、「念力珍作戦」の方がアリなはずなんですよ。

 「念力珍作戦」の製作は1974年です。タイトルからもわかるように世は超能力ブームの真っ最中で、ユリ・ゲラーが時の人となっていたような時代です。(タイトルはブームに便乗するために東宝がねじ込んだらしい)
 こっちが併映作で、ではメインはというと超大作「ノストラダムスの大予言」なんだから、まァ併映なんかなんだっていい。つまり良くも悪くもテキトーに作られた作品と言えるわけで。
 ちなみにアニメ版「ルパン三世」の放送(第一シリーズ)は1971年ですが、この第一シリーズは視聴率で惨敗しています。
 だから「ルパン三世」=漫画、のイメージしかない頃とも言えるわけで、当然「念力珍作戦」はアニメ版の影響をまったく受けていない。つまり「あの漫画をどう実写にするか」からはじまった企画なんです。

 しかし、古澤憲吾とともにクレージーキャッツ主演映画のメイン監督だった坪島孝は早々に「まともな実写化」を諦めている。メチャクチャな設定のコメディをいくつも手掛けてきた監督にさえ「ルパン三世」をちゃんと実写にするなんて到底無理、と思わせる原作なのです。
 結果、「念力珍作戦」はパロディというか、一種の「ごっこ遊び」に近い出来になった。
 しかしね、この「ごっこ遊び的」な作風のせいで、後年、珍作とは評されることはあっても、あんまり表立って叩かれることはない。というかいくら原作、もしくはアニメ版「ルパン三世」の熱狂的ファンであっても、「ごっこ遊びを叩くってのは、そりゃ違うだろ」と思われることになったと思うんです。(この辺は何となく「007 カジノロワイヤル」(1967年版)に似ている)

 そこにいくと、小栗旬主演の実写版には「ごっこ遊び感」はない。
 どちらも映画としては安っぽいし、キャスティングもベストとはほど遠いんだけど「最初からちゃんと作る気がなかった」ものは叩かれ辛くて、「ちゃんと作る気はあったけど到底ファンが望んでいたものとは違ったものしか作れなかった」ものは叩かれる、これはしょうがないと思うんですよ。
 基本的に漫画の実写化は本当に難しいものです。
 最近でも完全に成功したのは「るろうに剣心」と「孤独のグルメ」くらいで、あとは「作品の出来としては良好だが興行成績(視聴率)はイマイチ」か「単純に作品としての出来が悪い」のほぼどちらかです。

 アタシはね、「漫画の実写化」をどうしてもやりたいなら、最初から「これはパロディです」と謳えばいいと思うんですよ。「原作と違う」のではなく「意外と原作と一緒」って方向に持っていく。これしかない。つまり「念力珍作戦」の<やり方>です。
 もちろんこれは「逃げ」です。リスクヘッジ、と言ってといい。でもね、これだけ幾多の漫画の実写化が玉砕してるのに、正攻法で正面からブチ当たっていく方がどうかしてる。
 もしそれがどうしても嫌だ、少なくとも表面上はパロディという体裁を取りたくない、というのであれば、あとひとつ方法がある。

 「ルパン三世」で言うなら「小栗旬のルパン三世」というタイトルにするのです。

 通常、個人名やグループ名などがタイトルに付くものは<冠>と呼ばれています。
 古くは「エノケンの○○」なんて映画がいっぱい作られたし、今でも「たけしの○○」とか「ダウンタウンの○○」なんて番組が作られている。
 こうしたことが許されるのは、その芸能人が金看板であると認められている場合に限るのですが、アタシはね、別の意味を見出してしまうのですよ。

 エノケンの主演第一作は1934年に封切られた「エノケンの青春酔虎伝」です。
 しかし公開当時にはこのタイトルではなかった。ここは重要です。
 公開当時のタイトルは「エノケン主演 青春醉虎傳」。旧字が使われているのはただの時代背景なので置いとくとして、とにかく「エノケン<の>」というタイトルではなかったんです。
 正式に「エノケン<の>」がタイトルに使われたのは第二作の「エノケンの魔術師」からです。というか「エノケン主演 魔術師」にならなかったというべきか。
 何故、こうしたことになったのか、さすがに資料がなさすぎてわからないのですが、どうも「エノケン主演」という箇所が略されるケースが多かったからのような気がする。つまり「青春酔虎伝」ではタイトルからコメディなのかなんなのかがはかれなくなってしまった、というか。


 もし「エノケン主演 魔術師」なら、そしてもしエノケン主演が省かれて「魔術師」だけになったら、いよいよ何の映画かわからない。
 これは<あの>エノケンが主役のコメディですよ、というのをタイトルでわからせるためには、つまり真っ当な魔術の映画(って何だ、と思われるかもしれないけど洋画邦画問わず、この頃「魔術の映画」としか言いようがない作品が結構あった)でないことを観客(正確には観客になり得る人)に理解させるには「エノケンの魔術師」とするのが妥当です。
 さらに第三作「エノケンの近藤勇」においては「これは<正調>近藤勇の話ではありません」と意味を明確にする必要があったわけで、以降、戦中に入るまでエノケン主演映画はタイトルに「エノケン<の>」と付くのが通例になったわけです。


 タレントイメージが明確である、金看板として認知されている人をタイトルに冠として付ける。これは「<正調>ではない」という合図なのです。
 それこそ「ダウンタウンのああ無情」なんてタイトルの番組があったとして、誰も「ビクトル・ユゴーの「レ・ミゼラブル」の<マジメ>な劇化だな」なんて思わない。イメージはあくまで冠に引っ張られる。
 これがアタシの言う治外法権感です。
 いや何も、必ずしも個人名、グループ名が必要ではない。例えば「僕の」とかでもいいんです。
 双葉十三郎の映画コラムのタイトルは「僕の採点表」です。あくまで「僕の」(≒双葉十三郎の)であって、世間一般的な評価や採点とは何の関係もない、という意思が読み取れる。
 さらに言えば企業名とかでもいい。「岩下の新生姜」なんて生姜としてどうかとか関係ない。あれはあくまで「岩下の新生姜」という商品なのです。

 話を戻します。
 もしね、「小栗旬のルパン三世」というタイトルならば、これはどんな内容であれ否定しようがないのですよ。
 これは「ルパン三世」の実写化ではなく「小栗旬のルパン三世」という映画なのだ。もちろんモンキー・パンチ先生にも許可をもらった上で作ってるんだから、面白い面白くないという批判はともかく、原作と、またはアニメ版とどれだけ違おうが何も文句を言われる筋合いはない、こういうふうにすれば良かった。
 アタシは基本的に、いくら原作のファンでも実写化には寛容で、リスペクトしている藤子不二雄Aの「忍者ハットリくん」や「怪物くん」の実写化も、別に何の腹も立たなかった。どちらもただ単純に「作品として面白くない」と思っただけで。
 でも、出来ることなら「香取慎吾の忍者ハットリくん」とか「大野智の怪物くん」にするべきだったと思う。

 それを言えば山崎貴の映画は全部「山崎貴の」と付けるべきなんですよ。
 「ドラゴンクエスト」の映画が、もう実写版「ルパン三世」の比じゃないくらいメチャクチャに叩かれましたが(アタシは見てないけど、伝え聞くオチは、叩かれるだけの理由があるのはよくわかる)、あれだって「山崎貴のドラゴンクエスト」なら、ま、だってあれは「山崎貴の」だから自分の中にあるドラゴンクエストと違って当たり前、と納得させることは出来たんです。
 正直、どーでもいい、ユアストーリーとか、スタンドバイミーとか、オールウェイズとか、しょーもない英語を付加するなら「山崎貴の」という冠を入れた方が誰にも害がないのにね。

 先ほどアタシは「金看板だから<冠>が許される」と書きました。では小栗旬や山崎貴が金看板にふさわしいのかというと、たしかに疑問に感じる向きもあるでしょう。
 でも、少なくとも「小栗旬の」なら、それが<売り>になるかはわからないとしても、興行的にマイナスになるとは思えない。
 正直「山崎貴の」は微妙すぎるんだけど、もしマイナスになると(つまり<冠>に値しないと)思うなら、そんな人に製作を任せる方がどうかしてる。

 つまり<冠>とは治外法権であると同時に「興行成績(視聴率)全おっ被せの対象」でもあるんです。
 エノケンが近藤勇と坂本龍馬のひとり二役をやっても許されるのは「エノケンの近藤勇」と銘打ち、ちゃんと責任の所在を明確にしているところと、ちゃんとした興行成績をおさめることが出来たからです。
 一般に「山崎貴の映画」と言われるものは必ずしも山崎貴が監督ではない。しかし、それこそ「ドラゴンクエスト」などの安易なオチなどあきらかに山崎貴に責任があるのだから、冠を付けるなら、もう山崎貴しかない。

 原作レイプと言われようが、別に好きに改変してもいいと思うんですよ。でも、それなら「山崎貴の」という冠を付けろ、と思う。
 治外法権という特権だけを使って、責任を明確にしないってのは、それはいくらなんでも違うっしょ。
 自由には責任がついて回る。当たり前の話です。

山崎貴はまったく、何の縁もないわけではないので、あんまり悪くは書きたくないんですよ本当は。
でもさ、やっぱね、この人の作品には根本的に愛情がない、というのが正直なところで、改変レベルが、とかそれ以前の話だと思うんです。そりゃあね、叩かれますよ。
というか、これだけ原作レイプだのなんだの言われて、まだ原作ありきの映画ばかり作る商売魂はたいしたものだわ。ま、たぶん、本質的に図太い人なんでしょうなぁ。




@Classic #アニメ・漫画 #映画 @戦前 #東宝 @坪島孝 @エノケンの青春醉虎傳 @エノケンの魔術師 @エノケンの近藤勇 ルパン三世 念力珍作戦 小栗旬 山崎貴







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