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掛布雅之の光と影
FirstUPDATE2022.3.13
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 掛布のベストシーズンは、異論があるかもしれませんが、1981年と1982年の2年間だったと思う。

 たしかに掛布雅之はホームランの打てる打者でありました。しかし本質は中距離ヒッターで、1979年シーズンから田淵幸一がいなくなったこと、そしてその年に48本塁打という球団新記録のホームラン数を打ってしまったことで(あえて「しまった」としました)、掛布雅之=田淵幸一の後釜の大砲、という期待を背負わされることになったわけです。
 1980年は怪我に泣かされたために低迷し、そして翌年から翌々年にかけて不振を振り払う、本来の中距離ヒッターとして素晴らしい成績を残すことになるのですが、一応成績を貼っておきます。

・1981年 .341 23本塁打 86打点 OPS.993
・1982年 .325 35本塁打 95打点 OPS1.033

 まさに「ホームランも打てる中距離ヒッター」としては完璧な成績で、引退後、何度か「自分は本当は中距離ヒッターとして生きたかった」としばしば語っていますが、ホームラン、というか「ホームラン王」を期待するファンの声を無視出来なかった。
 もちろん当時の甲子園はラッキーゾーンがあり、今ほどは左打者に不利な球場ではなかったのですが、測ったかのようにラッキーゾーンにポトリと落とすホームランはレフト専門で、Page1でも書いたように引っ張って捉えた打球は弾丸ライナーでライトスタンドの中段に突き刺さる。中距離ヒッターでありながらそんなホームランが打てたのは、それだけ掛布の技術が優れていたからです。
 しかしプロ野球選手としては小柄な体型で、そんなホームランを量産すれば当然肉体的に無理が出てくる。
 本当は48本塁打を打った1979年を最後に、ホームラン打者として完全に決別すべきだったのです。そして実際、不振を機に一度は本来の中距離ヒッターとしてやっていこうとした。
 しかし、ファンの声を無視出来なかった。肉体的に保たないとわかっていながらも、掛布は再びホームラン打者として歩み始めたわけで。

 私見では1983年の後半くらいから打撃が崩れ出した。
 年々不格好なフォームになっていったし、何より地を這うようなゴロヒットも、弾丸ライナーのホームランも目に見えて減っていってる、と感じていた。
 それでも1984年はホームラン王になってるし(敬遠合戦の末に宇野と分け合う形だったとはいえ)、翌1985年はホームラン王こそ同僚のバースに譲ったとはいえ前年を上回る40本塁打を記録している。
 つまり1985年、第二次ダイナマイト打線の中心打者として球団史上唯一の日本シリーズ制覇を達成した年にはすでに掛布の打撃は崩れていたし、ま、はっきり言えばボロボロで痛々しくもあったんです。
 40本塁打も打って「打撃が崩れた」なんて言ったら怒られそうだけど、逆の言い方をすれば、全盛期の掛布はあんなもんじゃなかったし、ボロボロの肉体でも40本塁打打てるだけのとんでもない技術があったと言うべきです。

 1985年と言えば開幕直後に飛び出た伝説のバックスクリーン3連発ですが、いつのことだったか、古田敦也がVTRを見ながら解説してて、とにかく掛布さんの技術がすごすぎる、と。

 映像を見ればわかるように、バースと岡田のホームランは比較的甘めの球を完全に捉えた、いわば「完璧なホームラン」です。
 しかし掛布のは違う。
 あきらかに高めの速球に遅れ気味で、古田が言うには普通の打者では身体とボールの距離が取れなくてバットが出てこない、つまりバットとボールが衝突したようになりポップフライやドン詰まりのゴロになってしまう。
 それを掛布はギリギリの判断で、やや状態を後ろに逸らすような体勢で、無理矢理身体とボールの距離を取り、バットを振り抜いている、と。

 ま、さすがに古田の話は専門的すぎてよくわかってなかったりするんですが、アタシが「掛布は本当にすごい」と思ったのはこの年の10月17日の試合です。
 と書けば阪神贔屓ならわかってもらえるはずですが、21年ぶりにリーグ優勝を決めた翌日です。
 さすが優勝を決めた翌日、選手全員テレビ越しでもわかるくらいヘロヘロ状態で、ま、朝まで飲んでたのは確実だからですが、試合が進み、立ってるのもやっととなった8回、もう足元もおぼつかない感じで打席に入った掛布はレフトスタンドに文句なしのホームランを打ったんです。
 フラフラになりながらベースを一周して、苦笑いしながら「何か入っちゃったよ」とでも言いたげにホームインした姿をいまだに忘れない。

 そう言えばバースが「他球団は一番怖いのは自分ではなくカケフだというのを知っている。だから勝負してもらえた」と語っていましたが、これは数字を見てもあきらかで、この年のバースの四球は67個しかない。これは三冠王としては異様に少ない数字で、しかしてバースは選球眼が悪かったわけでも特別早打ちだったわけでもない。
 ちなみにこの年の掛布の四球は94、同年に三冠王になった落合博満は101ですから、他球団は「数字上優れているのはバースだが、もっとも勝負を避けたい打者は掛布」と考えていた何よりの証拠でしょう。
 しかも、です。Page1で書いたように掛布は「若干勝負弱い」というイメージがあり、ましてや全盛期に比べるとボロボロと言ってもいい状態でってのを考えるならば、掛布が如何に技術的に優れていたか、というか他球団から「あんな高い技術がある打者にまともな勝負をする方がダメ」と思われていた、というのがわかるはずです。

 掛布が「終わった」のは、翌1986年に手首に死球を受けた時、というのがよく語られています。
 正確には4月20日、場所はナゴヤ球場、対戦相手は中日、相手投手は斉藤学でした。
 この試合はテレビ中継がなく、個人的なことで言えばアタシはシャープX1Dで「ドラゴンスレイヤー」のログインバージョン(グラフィックを「ザナドゥ」に差し替えたもの)を遊びながらラジオを聴いていた。というのをはっきり憶えています。
 しかし、この時はそこまで、選手生命を左右するほどの怪我になるとは思っていない。それより、しばらくの間、サードと4番をどうするのか、岡田をサードに回して、真弓をセカンドにするのか?って方が気になったくらいです。

 しかし、冷静に考えれば、手首はきっかけのひとつでしかなかったと思う。
 復帰した掛布は高い技術を発揮出来ないほど衰えていた。三塁のファールゾーンに力のない打球を打ち上げるだけになった。
 そういやあれは何度目の復帰だったか、復帰第1打席の初球をライトスタンドにライナーで叩き込んだことがありました。
 しかしそれが続かない。きわめて短期的になら体調を戻せるけど、すぐに悪くなる。それほど身体がボロボロだったんでしょう。

 アタシが掛布の引退を知ったのは、ちょうど合宿免許(つまり普通自動車免許を取得するために泊りがけで行く)のために島根県益田市に来ていた時でした。
 その日アタシは寂れた駅前にある喫茶店に行ったのですが、そこに置いてあったスポーツ新聞で掛布の引退を知った。
 もう、何というか、残念とかって話ではなく、しょうがないし、それしかないわな、としか言いようがなかった。
 もう十分すぎるくらい醜態を見せつけていたし、では今後、あの頃の掛布が復活するか、と言われたら、まず無理、としか思えなかったのも事実です。

 掛布が引退した翌年だったか翌々年だったかは忘れましたが、オールスターのゲスト解説にモノマネタレントの清水アキラが来てて、そこで掛布のモノマネを連発してたんです。
 ってもバッティングフォームの真似じゃないよ。喋りのモノマネ。もうこれは腹を抱えて笑った。
 これは松村邦洋がモノマネするよりも早く、おそらく熱狂的な阪神贔屓の松村邦洋に中日贔屓の清水アキラが譲ったんでしょうね。
 そもそも現役時代から掛布には何となくユーモラスな面があって、金鳥のCMで大屋政子とコントじみたことをやってましたから。
 言っておきますが、この時代にはまだ「関西=滑稽」というイメージが薄い頃です。なのに掛布の扱いはほとんどコメディアンの<それ>だった。
 素顔の掛布がお喋りなのは有名になりましたし、もともとあったユーモラスなムード、そしてモノマネされることで、掛布語録のようなものも出来上がった。

 しかし度重なる交通違反や莫大な借金の問題があり、徐々に掛布は窮地に追い込まれていきます。
 なかば喧嘩別れに近い形で退団したため、監督はおろかコーチとして球団に帰ることも絶望的で、やがて日本テレビとの専属契約も解除になり、野球とはぜんぜん関係ないバラエティ番組でしか見かけることがなくなったんです。
 それでも、こんな惨状にもかかわらず、掛布の人気は絶大だった。
 ただし、それはあくまで「リアルタイムでプレイを見てきた世代」に限ります。Page1で書いたように、掛布の現役時代を知らない世代からの評判は散々だったのですが、そう言えば阪神が18年ぶりに優勝した2003年、掛布の現役時代を知らない若い会社の子と食事をした時、彼がこんなことを言い出した。

「阪神は好きやけど掛布は嫌いですわ~。何であんなエラそうにしてますのん?」

 スポーツ選手の場合、多かれ少なかれそういう傾向があると思うのですが、現役時代を知ってる者と知らない者で評価が真っ二つに分かれる。そんなことが往々にしてあります。
 掛布はその極端な例だと思う。いくら現役時代が如何にすごかったか説明しても、単年の数字だけで見ればバースには到底及ばない。というかほぼ同世代の打者と比べても「落合、バース、ブーマー、山本浩二あたりが別格、掛布は原辰徳や岡田と同格」と思うのも無理はない。
 そしてこの会社の子とほぼ同世代がボリュームゾーンになったとおぼしい、2ちゃんねる(現・5ちゃんねる)の利用者から評判が悪いのも頷ける。

 それでも、一定の年齢以上とはいえ、掛布の人気をほっておくのはもったいない、と球団が呼び戻した。
 ここから後の動きは正直書くのが苦痛です。
 個人的には「球団と仲直りが出来て良かったな」くらいしか感想がなく、二軍監督になるには年齢的にいくらなんでも遅すぎた。掛布の現役時代とは野球観が変化しすぎていた。
 アタシはね、現役晩年の川藤幸三が吐いた言葉がすべてだと思うのです。

「これからの阪神に必要なもの?そらカケとオカやろ」

 掛布と岡田は当時巷で噂された不仲ではけしてなく、そのことは両名とも否定しています。
 ただ野球観にかんしては、掛布と岡田はあまりにも違いすぎた。
 どちらも最後は喧嘩同然で球団を出ていったのに、岡田はわりと早く呼び戻されたのにたいして掛布はずっと放置されていた。というのも、岡田は現役時代からチームリーダーとしての側面があり、見た目にたがう野球脳も評価されていました。
 一方掛布は完全な一匹狼タイプで、「チームをまとめ上げる」監督タイプではない。
 その分、先述した通り、現代でも通用するほどの高い技術論を持っていることは疑えず、それを考えるなら、というか川藤の言葉を言い換えるならば

・岡田監督
・掛布打撃コーチ

 が阪神の理想像だったんです。
 しかし掛布が岡田に素直に従ったとは思えず、また岡田も掛布を立てたとも思えない。つまり、それほど野球観が違うから。
 両雄並び立たず、なんて言いますが、身近で見ていた川藤はわかっていたと思う。たぶんこのふたり、決定的に「合わん」やろ、と。だからこそ、ふたりの名前を出したはずで、もし、ひとつだけ共通点を挙げるならば、阪神タイガースを愛して止まない、くらいしかない。
 でもその程度の共通点など簡単にチャラになるほど合わないんだから、かと言って掛布が監督に向いてるとは言えないんだから、仮に私生活に問題がなくても阪神で要職には付けなかったんだろうな、と思う。
 つまり、どうイフをつなぎ合わせてもポジティブな結末を迎えられそうにないので、書くのが苦痛だったって話です。

 にしてもです。
 松井秀喜や阿部慎之助は掛布に憧れ、強い影響を受けたとされますが、彼らの打ち方に掛布の影響を見て取るのは困難です。もう、強いて言えば右投げ左打ちってことくらいしかない。
 Page1で書いたように、岩村には若干掛布との共通点はあるのですが、これは師匠(中西太)が同じだからだけだし。
 つまりね、小柄な体型で、でも掛布のように弾丸ライナーをかっ飛ばす選手がいないんですよ。
 同じ小柄でも森友哉や吉田正尚のようなマン振りタイプじゃないし、本当、現代では誰もいない。
 もし、今後、本当に掛布に似たタイプの選手が現れるならば、絶対に掛布と同じ轍を踏まないで欲しい。つまりいくらホームランを打とうが、というか打てようが、掛布の本来の姿であったはずの中距離ヒッターというのを貫いて欲しい。

 アタシはずっと思っている。ホームランにこだわらず、中距離ヒッターとして全うした掛布というイフを。
 そういう選手が出てきて初めて、現役時代を知らない人が「あ、掛布って本当にすごかったんだな」というのがわかると思うし、アタシもそういう選手が出てきたら「二代目猛打者」の称号を贈りたいと思うわけで。

以前、映像が皆無ではないにもかかわらず江川卓のすごさを言い表すのは難しい、というようなことを書きました。
それは掛布雅之にも同じことが言える。
実際、どの程度、1982年までの映像が残っているかはわからないのですが、近年掛布のVTRがテレビで流される場合はほぼ確実に1985年のバックスクリーン3連発の映像です。
しかしここまで書いてきたように、1985年の掛布なんて黄昏時も黄昏時で、あれも見てもまったく真価がわからない、は言い過ぎにしても「落ちて落ちてコレ」ってのを換算した上で見て欲しい、そう思ってこういう文章を書きました。
だからね、あ、こっからは今後書き直す可能性があるけど、2021年のドラフト会議で阪神タイガースから4位で指名された前川右京には期待しているのです。
私見では彼こそまさに「ホームランを打てる中距離ヒッター」だからで、このラインは絶対に崩して欲しくない。
もちろんまだまだ掛布にはほど遠いけどね。掛布って本当にバットとボールの接着時間が異様に長い選手だったから。ま、それは真似出来るもんじゃないから真似しなくていいけど。




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