えと、続きってほどでもないのですが、ま、強いて言えば昨日のエントリは今日の前フリです。
そもそも何で、さすがに遅すぎるタイミングでAなる女優について書いたのか、それはSの「振る舞い」ですね、を見て、ふと思いついただけです。
で、今日はSについて書こうと。S自体には何の問題行動もないけどその旦那がね。旦那ってのは↓です。
このヒューマンステージ氏が(ま、画像まで貼り付けておいて仮名もクソもないけど)どういうことで叩かれたか、また干されたかを説明する必要はないでしょう。
Sは演技力には問題アリとは言われていたけど、その抜きん出た美貌できわめて男性人気が高かった。そのSが、こともあろうか「とくに男性から好意的に眺められていない」ヒューマンステージ氏と結婚したわけです。
ヒューマンステージ氏は芸人としての評価は低くなかった。なのに好意的な人が少なかったのはタレント活動の面で、ま、よく言われたのが「多趣味を謳っているわりには、どれも<浅い>」と。男性って芸能人に限らずリアルで接した人でも、浅い知識を開陳する人に不快感を持ちやすいですからね。
で、例のコトが起きた。
アタシはそのことへ言及するつもりがなければ、はっきり言えば興味もない。アタシの知り合いに身体的な障害がある人がいて、多目的トイレを使わざるを得ない人がいますが、それでも、ま、別に目くじらを立てるほどでもないんじゃね?くらいです。
というかヒューマンステージ氏自体はどうでもいい。問題はSです。
Sは離婚という選択を選ばなかった。アタシはね、これ、本当にすごい、肝っ玉が座ってるな、と感じたんですよ。
これはSがヒューマンステージ氏との婚姻っつーか夫婦関係を続けることがすごいわけではない。
それこそ、もしSが離婚という決断を下していれば、ヒューマンステージ氏なんか見捨てて大正解、Sちゃん頑張れ!なんて声で溢れたと思うんです。
でもこれって、結局は世間一般のオモチャになってるだけなんですよ。
かつて誰かがテレビで活躍する芸能人を「電波芸者」と表現しましたが、自分は電波芸者としては生きないよ、という決意の表れにも感じた。
一方、今ある報道を信じるなら、Sはヒューマンステージ氏に「テメエは電波芸者なんだから電波芸者として恥かいてこい」的な感じで尻を叩いた、らしい。
これもなかなか出来ることではない。Sは元ヤンキーだったと言われてますが、同じヤンキー上がりでも事務所総出でお馴染みのKとは腹の座り方がまったく違う。
芸能人である限り、どうしても好感度を意識してしまう。好感度のために自制したり、その反対に好感度クソ喰らえって態度をとってしまう。どちらにしろ意識していることには変わりがありません。
しかしSはそのどちらでもない。今、自分にとって何が必要なのか、何をやらなきゃいけないのか、何を守らなきゃいけないのか、そこだけを重視して好感度なんてハナからどうでもいい、という感じなのです。
昨日、Aの不幸オーラについて書いたけど、Aは芸能一家の出らしく、良くも悪くも好感度に縛られてしまっているように思う。
エノケンこと榎本健一が言ったように、芸能人なんて「いたわられちゃおしまい」なんです、本当は。しかしAは結果的にとは言え世間から「同情を買う」選択をした。一方Sは「同情?興味ないね。誰が世間のオモチャになるものか」という選択をした。
いち芸能人して考えればAの方が正解なのかもしれない。しかし「ひとりの人間」として考えれば、Sにたいして「おー、やるじゃん。ま、そこまでやるならヒューマンステージ氏を生暖かく見守るか」ってな気分にもなる。
YouTubeなんかでつまらないスカッとジャパン系の簡易アニメっぽい変な動画があるけど、あんなの「なろう」と一緒だよね。「そんなクソ旦那と離婚して正解!」みたいに喜ぶなんて、ちょっと精神年齢が低すぎるよな、と。つかお前ら「我慢」と「爆発」以外の選択がないのかよ。