震災から27年
FirstUPDATE2022.1.17
@Scribble #Scribble2022 #震災 #神戸 単ページ 阪神大震災 区切り 震災前 在りし日の神戸 #ノンフィクション #YouTube #大阪 #施設 #本

またこの時期がやってきたって感じで、ま、何を書くか、つまり内容がどうとか関係なくね、やっぱり無視するわけにはいかないだろうと。

今日1月17日で阪神大震災、正確には阪神淡路大震災だけど、から27年になります。
さすがに27年という年月は長い。一般にオッサンの範疇に入る30歳の人でさえ震災の時はまだ3歳だったわけで、いくらなんでも3歳ではおぼろな程度の記憶しかないはずです。
今年も、というか今日も、阪神大震災絡みのドキュメンタリー番組をいろいろやるみたいだけど、そんでアタシはそのほとんどを録画はしてるんだけど、さすがにネタ切れ感がある。
ま、そりゃそうだよ。新たな新事実なんてもう難しいし、被災地の今、というような感じでやったとしても「別の視点」にも限界がある。

んでね、アタシはとみに思うのですよ。
もちろんアタシ自身がトシを取ったってのが大きいんだろうし、何よりアタシが神戸生まれの神戸育ち、<育ち>って言っちゃうと何歳まで神戸にいたかとかあるけど、とにかく18歳までは神戸で育った。
そして今また、一年とか短期的なケースを除いては実に33年ぶりに神戸に帰ってきた。(いつまでいるかはわかんないけど)
そうなるとね、震災そのものよりも「震災前の神戸」への思いがどんどん強くなってきたんですよ。

何しろあれから27年も経ってるわけです。んなもん、震災なんてもんがあろうがなかろうが<街の風景>なんて変わって当たり前だし、もちろん神戸に限らず大阪でも東京でも、まったく別の街と言い切っていいくらい変貌した街なんかいくらでもある。
それでも神戸ほど、ビシッとした<区切り>で変わった街は他にない。
こう言ってはまことに申し訳ないのですが、東北にしろ新潟にしろ熊本にしろ、正直<街>というには心持たない。でも神戸は違う。もう今はだいぶ落ちちゃってるけど、ずっと七大都市の一角を担っていたほどの都会だった。
それほどの規模の街が、少なくとも現代史の範疇に入ってからの時代で「いきなり」壊滅(は言い過ぎか。ま、当時の言い方に倣うなら<半壊>か)したなんて神戸しかないんです。

もう存在しない、いやカケラさえ探すのが難しい「震災前の神戸」をもっともっと掘り起こすべきなんじゃないか。
本当はそういうのをテレビでやるべきなんです。
震災時の映像も大切かもしれないけど、もうそれは散々やったし、何ならYouTubeにすらその手の映像は上がっている。でも震災前の神戸の様子はあまりない。だからこそ、たぶんテレビ局は映像をいろいろ持ってるはずだから、そういうのを流すべきなんですよ。


↑でも書いたけど、「とんでもないことが起こる前の、たわいない日常を見せる」ってのは、ある意味「とんでもないこと」を直接見せるよりも悪夢的に脳裏にこびりつく。
もう二度と帰ってこない、在りし日の神戸の、たわいない日常を映した映像をテレビで見せるってのは、震災の様子を見せることよりも大切なんじゃないかと。

アタシもね、他力本願だけじゃなくてコツコツと「在りし日の神戸」について調べてるんだけどね。
図書館に行って、当時の新聞を見たり、震災前に発行された書籍を読んでみたりして、何とか「在りし日の神戸」が再現出来ないか頑張っています。
ただメチャクチャ時間がかかるのよ。だからなかなか発表出来ないんだけど、ま、ライフワークだと思ってやりますわ。







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