隙のなさは時に仇になる
FirstUPDATE2022.1.12
@Scribble #Scribble2022 #やぶにらこぼれ #インターネット 単ページ ケレン味 ツッコミどころ ツッコミ避け ひろゆき

さて、元旦の補足ではないのですが、インターネットってのは面白いっつーか今までの常識を覆すところがあるもので、インターネット上に何か発表するとなったら可能な限り<隙>がある方がいいんですよね。

それこそ某巨大掲示板を見ていただければわかりやすい。
よく言われるのが「1(←スレを立てた人間)がまともであればあるほど、そのスレは伸びない」ってことで、先日エントリした「複眼単眼・デマ」の例に倣うならば、スレタイが
「アメリカの首都はワシントンDC」
これがスレが伸びない典型的なスレタイです。で、逆に
「アメリカの首都はニューヨーク」
こっちのが伸びる。ま、さすがにこのスレタイだと本当には伸びないけど、とにかく「初っ端からして間違ってる」とか「ぜんぜん一般的な意見じゃない」方が絶対に伸びるんです。
なんJの定期スレで「○○「□□です」「△△です」←これが天下を取れない理由」なんてありますが、これも出来るだけ一方的な理由の方がいいんですよ。

もちろん昔は、いやこれは今でもだけど、書籍なんかの場合は出来るだけ<隙>のない完璧なものの方が評価されます。
でもそこはインターネットの場合まったく違う。というかね、レス、つまりレスポンスをしようと考えるって、結局は「ツッコみたいから」なんですよ。
ツッコミの度が超えると罵倒になるんだけど、間違ってたら指摘したくなる。これは心理としてよくわかるし、それがクセになることも理解出来る。
逆に、完璧なものを目の当たりにして、というかツッコミどころが思いつかないことにたいしては、もうよほどでなければ「面白かった」とか「素晴らしい」なんて言いたくない。もちろん嫉妬の感情が出てくることもあるだろうしね。

で、そういう考えに基づいて自分の書いた文章を読んでみたら、です。
間違ってもアタシは自分の文章が完璧だなんて思っていない。でもね、こういうふうに「自分の文章が完璧だなんて思っていない」なんて書くのは、一種のツッコミ避けなんですよ。んなことはわかって書いてますよ、という。
そういう観点で自分の文章を読めば、もう、至るところに「ツッコミ避け」があるのを痛感する。
あらかじめツッコミを予測して自分でツッコんでおくってのもあるんだけど、論点ずらしじゃないけど大多数の人にはあまり知識がない、つまり一般的でないマニアックな方向に持っていく、なんてことも随所でしています。
ぶっちゃけ、この手の文章は上手い下手、んで一縷の隙もないかどうかってのは関係なくて、ひと言で言えば「かわいげのない文章」なんです。
かわいげがなくて、しかも努力の跡が見えづらいものにたいしては、ツッコミも出来なければ「すごい!」とも言いづらいんですね。

となれば、アタシが書くものを発表する場所としてインターネットって媒体はあんまり向いてないのかもしれない。
いや、違うな。そうじゃない。
アタシの書く文章ってツッコミづらいにプラスして致命的にケレン味がない。歌舞伎で言えば見得を切る、みたいな大立ち回りをやってないなと。
少なくとも文章として、読みたくなくなるほど下手ではないし、メチャクチャズレた視点ってわけでもないのに、何でアタシが書いたものが興味を惹かないか、それは「ツッコミづらい」のと「ケレン味がない」ってことに尽きるんじゃないかね。
というか↑の箇所だって本当は「天才的な視点から天才的な文章を書く天才のアタシ」って書いた方がいいんです。

とくに芸能にかんしては私見として「芝居が、歌が、上手いなんてただの手段のひとつでしかない」と書いてきました。
最初に狭義に「インターネットというメディア」と絞ってみたけど、実はインターネットに限らないんじゃないか。んで売れてる=商売になってるものって「なかば意図的にでも<隙>を作り、ケレン味を入れ込んでいるものではないか」と思う。
ひろゆきのYouTubeなんか、意図的かどうかはともかく「まったく知識のないことをイメージだけ、思い付きで喋る」ってのはもっともツッコミどころを増やせる<やり方>なのは間違いない。あれがもし、徹底的に調べて喋ったら「ちゃんとした内容かもしれないけど話題にもならない」で終わってただろうし。

隙のない人間とか隙のない理論ってたしかにカッコいいんだけどね。ま、カッコいいったって厨ニ的なカッコ良さなんですよね。
だから今年はとくにその辺を考えてね、あえて隙だらけになるのもいいかなと。てなわけで当然、こう締める。

ウ○コ!







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