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みずすましの詩
FirstUPDATE2022.1.9
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 え?まだやるのかって?やりますよ。
 もうちっとだけ続くんじゃ(←大嘘)

山田の怪我を治療したのは武蔵坊だった。しかし山田は「今度怪我したら、野球人生が終わってしまう」という怯えから慎重になりすぎていたのだ。殿馬はそのことを見抜き、思い切った起用に至ったのである。

「1番サード岩鬼」、「4番キャッチャー山田」は見事なまでに機能した。メッツの得点力は大幅にあがり、オールスターを前にじりじりと順位をあげていった。
しかし懸念材料もあった。開幕以来大車輪の活躍をみせた立花にタマの切れがなくなってきたのだ。鉄五郎が無理やり立花を病院に連れて行くと、驚くべき事実が判明した。

全治6ヶ月。ようやく浮上しはじめたメッツにとって、これ以上の痛手はなかった。
この報告をきいた殿馬監督は、山田とのコンビでようやく中継ぎで結果を出し始めていた里中に二軍降格をいいわたしたのだ。荒れる里中。苦悩の末、二軍の練習に参加すると、そこにはかつてのメッツの看板選手が待っていた。
それはあの、ドリームボールをあやつり一世を風靡した、水原勇気だった。水原は前年現役を引退していたが、里中に新しいボールをマスターさせるために臨時コーチに就任したのだ。
立花の穴を埋められるのは、立花とほぼ同タイプの里中しかいない、と殿馬は判断した末の荒療治だった。
殿馬の意見は「今は山田のリードでなんとかなっているが、いずれ慣れられる。そこでサトルボールに変わる新しい決めダマがほしい。ただしただのドリームボールではだめだ。今の時代、もうドリームボールは通用しない。」というものだった。
水原と里中は、かつて水原と鉄五郎、そして武藤が苦悩の末ドリームボールをあみだしたと同じ道をたどるかのように、新球の開発、習得に励む。

オールスター後の一戦。ついに努力の結晶「ニュードリームボール」が完成した里中が先発、見事完封勝利をかざる。
しかも「もう監督はあきたズラ。選手をやってるほうがよっぽど楽ズラ」と殿馬がセカンドのポジションを守ることになったのだ。
これでメッツは完全に上昇気流に乗った。グングン順位を上げ首位にたち、とうとうマジック1まできた。

最後にメッツに立ちはだかったのは、やはり不知火だった。「たとえカープが優勝できなくても、山田のいるチームに優勝はさせん!」と闘志を燃やす不知火。しかしもはや、まるで明訓野球がよみがえったようなメッツの敵ではなかった。

日本シリーズの相手は、土井垣、微笑とかつての仲間のいる日本ハムだった。しかも日ハムは元明訓ナイン対策として、元明訓監督・徳川を臨時コーチに採用する。

就任会見で、徳川はこう言い放った。
「メッツには負けねぇよ。ウチには秘密兵器がいるからな」

初戦、9回表をおわって3対0。里中の出来も完璧で、メッツの快勝ペースだった。しかし勝利をあせった里中は二死からランナーをため満塁になってしまった。
ここで大沢監督は「代打高麗屋」と告げる。まったく無名の、一軍の試合には一度もでたことがない新人だが、ゆっくりバッターボックスに近づく高麗屋をみて、山田は驚愕する。
高麗屋とは、あの武蔵坊だった。徳川の言った秘密兵器とは、武蔵坊のことだったのだ。
「野球はどうでもいい。興味があるのは、お前が本当に、あの山田に戻ったかだけだ」と山田に告げると、初球、振りぬいたバットをそっと置き、ベースを一周しはじめた。

完全に勝ちゲームを落としたメッツのショックは大きかった。二戦、三戦も落とし、ついに後がなくなった。

四戦の先発マウンドに上がったのは、ベテラン・火浦だった。火浦はまるで全盛期のようなすばらしいピッチングをみせるが、メッツも日ハム投手陣を打てない。
0対0で9回、ここまで絶不振の岩鬼に待望の一発がでた。
3対0。しかしイヤなムードがメッツベンチを包み込む。再び二死満塁のピンチ。日ハムベンチは迷わず高麗屋こと武蔵坊を代打で起用してきた。
カウント2ストライク3ボール。ここで五利代理監督が動く。なんと現役復帰した水原をリリーフに起用した。伝説の「一球リリーフ」に賭けたのだ。

もうニュードリームボールは通用しない。初戦で里中がサヨナラ満塁ホームランを打たれている。ここで水原はウルトラドリームボールを披露。見事武蔵坊を斬って取る。
これで流れは変わった。五戦、六戦もメッツが取り、ついに第七戦まで勝負のゆくえはもつれこんだ。

メッツの先発は、全治6ヶ月の診断を受けたはずの立花とコールされる。どよめくスタンド。しかし日ハムの先発はもっと意外な人物だった。
ここ3年、一度も一軍のゲームにでていない男がマウンドに近づいていった。
その男、中西球道の岩鬼に投じた初球は、まったくブランクを感じさせない、164Km/hを記録した・・・・・。


 これで妄想は終わり。えらく中途半端だけど、この後の展開は皆様方がご自由にご妄想くださいませ。

 さて、現実は、ただ山田や明訓四天王が無双するだけの「プロ野球編」、そして「スーパースター編」を経て、最後は「ドリームトーナメント編」をやった末に「ドカベン」シリーズすべての連載を終了し、水島新司自身も2020年に引退宣言をしたわけです。
 ドリームトーナメント編は「大甲子園」のプロ野球版にあたり、かなり昔のもの、マイナーなものまで掘り起こして、「ドカベン」以外の水島新司作品の登場人物が出てくる。
 だからWikipediaの当該ページにはこんなことが記してあったりします。

連載40周年を記念し、「ドカベン」から始まった一連のシリーズの完結編であり、「ドカベン」「大甲子園」および「ドカベン プロ野球編」「ドカベン スーパースターズ編」の続編である。「大甲子園」のプロ野球版となった本作品は、「ドカベン」を中心として、各誌に掲載されていた水島新司の全作品のキャラクターが一堂に会す、水島野球漫画の集大成的作品としている。


 ま、そうには違いないし、集大成でも総決算でもいいんだけど、面白い面白くないはさておき(正直に言えば面白くないけど、それはまあいい)、どうもね、総決算にはなってないんじゃないと思ってしまうわけです。
 というか、冷静に水島新司作品ってもんを考えた場合、ある意味あだち充作品と似通ったところがあるんですよ。
 あだち充も散々「野球漫画っぽくない。野球を題材にしただけの青春ラブコメ物」と言われているけど、それでもあれだけ野球物に固執しているところをみると、やっぱあだち充って、相当野球が好きなのでしょう。

 水島新司が本当に野球が好きなのは理解出来るし、今に連なる野球漫画の礎を築いたのは間違いなく水島新司です。それは誰も否定出来ないと思う。
 だけれども、1970年代までの、水島新司が人気漫画家になっていく過程において、たしかに野球を題材にはしていたけど、一番本質があらわになる時期の<売り>は野球じゃなかった気がする。
 ひと言で言うなら水島新司の本質は「プロレタリア人情物」なんですよ。

 プロレタリア文学と言うものがあります。ちょっと、特定の思想と同一化しているので語りづらいのですが、2000年代に謎の脚光を浴びて映画化までされた「蟹工船」の作者である小林多喜二自体が、まァ、そっち寄りの人ですし。
 だから本当はあんまりプロレタリアって言葉は使いたくないんです。「蟹工船」だってプロレタリア云々よりもフィクションとしてのドラマチックさがウケたと思っているし、そもそも貧乏物なんてプロレタリア文学なんて言葉が出来るはるか前からありますからね。
 落語で貧乏長屋なんてのはお決まりの舞台ですが、本当の貧困層である(たぶんこれも今は言っちゃいけない言葉なんだろうけど)ルンペンに相当する人は野宿とか木賃宿で寝起きしていたわけで、貧乏長屋なんかせいぜい笑える程度の悲惨さなんです。
 たしかに恵まれてはいないんだけど、結構みんな笑顔で生き生きと暮らしている、みたいなね。

 水島新司はね、そういう世界を描かせると抜群に上手い作家だったんです。片隅で生きてるには違いないんだけど、バイタリティに溢れた人々を辛気臭くならずにみずみずしく描写出来る人だった。人情の扱いもクドくなくてさらっとしてるんだけど、妙に心に沁みる。
 そういった世界と野球を上手く融合して、普遍的な世界を作っていた、それが1970年代までの水島新司だったわけで。
 だから「ドカベン」の主人公である山田太郎は貧乏長屋に祖父と妹と3人で暮らしていた。今見ると奇異な設定っぽいけど、当時の水島新司の作風を考えると「これしかない」とまで言える設定です。

 それが消えたのは「ドカベン」のプロ野球編以降です。
 「あぶさん」でもそういった兆候はあったけど、山田太郎がプロ野球の世界に入ってね、大活躍っつーかさっき書いたように無双しまくって、おそらくオクを超える年俸をもらうようになると、もはやプロレタリア的要素はなくなってしまう。
 一応じっちゃんは最後まで長屋暮らしという設定だったけど、孫が<億>稼いでるのに長屋暮らしなんて、いくらなんでも逆に嫌味ったらしい。何か大金持ちが貧乏ごっこをしてるみたい、というか。
 そういえば2005年に「野球大将ゲンちゃん」という作品について書いたことがありますので、その一部を引用しておきます。

主人公は小学生で、本当の親ではない人に育てられます。でも球道くんよりももひとつ子供向けというか、球道くんに比べるとずいぶん明るい。
(中略)それとこの作品は「野球狂の詩」とも世界観がつながっているので、そういう意味でも楽しめます。岩田鉄五郎の孫で、「平成編」でメッツに入団する岩田武司も主人公のゲンちゃんのライバルとして登場します(中略)。
一番肝心な、さきほど述べた人情コメディとして、とくに人情ものとしての「ゲンちゃん」なんですが、かなり泣けます。ゲンちゃんの育ての母にたいする想いであったり、脇役の心の揺れ動きだったりを実に丹念に描いている



 ドリームトーナメント編でもゲンちゃんは登場しましたが、ライバルだったはずの岩田武司はとっくに大人になってるのにゲンちゃんは子供のまんまってのは、水島新司特有の辻褄の合わなさだから無視するとして、せっかくゲンちゃんと育ての母まで出したのに、元の作品のプロレタリア感がまるでない。
 長屋住まいって設定なんだから上手くやれば作家としての本質の再現になって、それこそ総決算になったと思うのに、もうそういった世界が描けなくなっていた。そう判断するしかないんです。

 水島新司に比べるとぜんぜん若いからどうなっていくかはわからないけど、あだち充はまだ野球を「題材」して使っている。批判もあるだろうけど作家としての本質からはズレないっていうアタマの良いやり方をしています。
 ところが水島新司は作家としての本質を放り投げて、野球一本で行ってしまった。
 面白い野球漫画ではなく、漫画の中で「面白い野球の試合」を描くってのは、あまりにも難しい。そんなのはどんな優秀な作家でも生涯に何試合か描ければ良い方でしょう。まさに「ドカベン」の2年次の白新高校戦が最高峰で、以降もあれだけ試合の描写をしてきたけど、超えることは出来なかったわけで。
 ドラマチックにやればいいってもんじゃないのに、途中から無理矢理ドラマチックな試合にしようとして、結局「山田カキーン!」で試合のケリをつける、なんて展開ばっかりだったもん。

 ほんと、何で己の本質のプロレタリア人情物を放り投げちゃったんだろ。だってマジで、そういうのを描かせたらとんでもなく上手いのに。そんなストロングポイントを捨てる必要があったのかどうか。
 貧乏物なんて時代に合わない?いやいや、あれだけのモノなら時代なんて関係ないですよ。それくらい上手かったんだから!

2004年と2005年に書いた「ドカベン・妄想プロ野球編」と2018年に書いた「総決算には、なってないんじゃないの?」を合体させたエントリですが、それよりも何よりも、マクラとして「水島新司の見た目を弄り倒す」ことがやりたかったからエントリしたって感じです。
ま、昨今はルッキズムとかうるさい時代ですが、水島新司本人は見た目を弄られるのに寛容だったんでしょうね。実際、赤塚不二夫の弄り方って度を超えてるもん。
本文中にもあるように「水島新司の配偶者」の写真をずっと探してたんだけど、偶然Twitterのタイムラインに流れてきたので無事画像を貼り付けることが出来た。もう、それだけで満足です。




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