えと、昨日の「2022年のブームを予想するでやんす」はネタ感満載でしたが、今日は真面目にやります。おそらく、未来永劫、絶対に「一般的にならない」と思う「VR+仮想リアリティ」について書こうと。
まずはVRについてですが、これにかんしてはアタシは一貫して「流行る可能性はあるが所詮「流行」レベルで終わる。間違ってもスマホレベルで日常的なものになることなどあり得ない」と言い続けてきました。
こういうことを言うと絶対に「今までの技術は云々」と言い出す人がいるんだろうけど、それでも、どこまで行ってもVRは通常の2D映像に比べて「疲れやすい」というのは変わらないと思う。
それは技術の問題だというより人間側の問題だから。これもしつこく言ってるけど、技術はいくらでも進化出来たとしても人間はそう簡単に進化出来ない。いくら「生まれた時からVRが当たり前だった」としても、当たり前だろうがなんだろうがVRにしろ3Dにしろ、体質的に合わない人にはどうしようもない。んでその数は「普通の2D映像を見てるだけで気分が悪くなる」なんて人より桁違いに多いはずだもん。
もうひとつの仮想リアリティもね、本当に人々が「仮想リアリティという空間」に馴染めるのであれば、もっと早い時期に人気になってますよ。
昨今はメタバースなんてのが出てきたけど、たぶんこれも、そんなに遠くない先に沈む。それは「Habitat」とか「セカンドライフ」の先例を見るだけでも十分過ぎます。
これもすぐに「今までのは技術が」って言う人がいるわけですが、そりゃあね、今の目から見たらHabitatはもちろんセカンドライフもショボいですよ。でも当時はあれでも最先端の技術で誰もショボいなんて思ってなかった。
つまりHabitatにしろセカンドライフにしろ「ショボかったから」一般的にならなかったんじゃないんです。
当時は本当に「これはすごい。とうとうこんな時代になったんだ!」と多くの人が興奮した。でも実際にやってみたり詳細があきらかになるにつれ「・・・うん、すごいかもしれないけど自分はいいや」って感じになった。
メタバースを運営するのはザッカーバーグCEO率いるMetaですが、現在メタバース系ゲームの最高傑作は任天堂の「どうぶつの森」シリーズと考えているらしい。
たしかに「どうぶつの森」は最終目標はないとはいえ、あれはゲームです。というかゲームとしての仕掛けを随所に施しているし、完全なオープンワールドにはなってない。
というかね、結局は、オープンワールドっつーか自由度と<とっつきやすさ>は反比例する。自由であればあるほど無限の可能性はあるけど、途方に暮れる人が増えるし、何より秩序が乱れます。
正直メタバースがどのように「一見自由<風>の制限された世界」を構築しようとしているかはわからないけど、もし「Habitat」や「セカンドライフ」の轍を踏まないように、と考えるならば、絶対に「どうぶつの森」ライクな「一見自由チックな制限された世界」という感じで推し進めると思う。
ただね、仮にそれで成功したとしても、結局は「ゲームとして」成功しただけなんですよ。間違っても「仮想リアリティ」として成功したわけではない。
つまりゲーム性をゼロにした仮想リアリティなんて、いまだに方法論がわかってないし、そもそも最適解が本当に存在するのかもわからない。
ましてや、ですよ。メタバースはそれとVRの組み合わせですよね。早い話が「失敗例が山程あって成功例が皆無」のふたつを組み合わせるって、そんなもん、上手くいくとは思えないんです。
間違いなく言えるのは、VRにしろ仮想リアリティにしろ「技術の向上があれば」なんて考えてたら100%失敗する。たぶん100年経っても一緒です。
というか、たぶんメタバースが最後ですよ。ザッカーバーグがあれだけ投資して、もし成功しなければ、いや成功云々よりもたいしたアイデアがなければ、もう二度とこの手の仮想リアリティは生まれないだろうし、VRも「マニアの中でもごく一部しか興味を示さない」ものとして細々と作られるものになるんだろうなと。
そんなことよりさ、アタシならメタバースじゃなくて「メカバース」って野球ゲームを作るわ。ランディー・バースをメカ化したロボットを使って、弱小高校を甲子園で優勝まで導く、みたいな。もちろんメカバースが貢献出来るのは打撃だけだから勝ち進もうと思えば全試合バカ試合になるんだけどね。
馬鹿馬鹿しい?たしかに馬鹿馬鹿しいのは否定しないけど、そういう馬鹿馬鹿しさも仮想リアリティには必要な気が。ねぇ。