やぶにらのルックバック1977年1月2日in神戸大全
FirstUPDATE2022.1.2
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 さて、今回は「やぶにら大全」であり「ルックバック」でもある、という初のコラボです。って、ひとりでやってるので自分の匙加減だけどさ。

 で、ですね、本エントリの主題は「1977年1月2日」の「神戸」です。
 何で神戸なのか、それはアタシが神戸出身だから。それ以外の理由はありません。もちろん1977年と言えばバリバリ神戸に住んでいた頃ですしね。まだ小学2年生だったから神戸に住む両親の元にいるのは当たり前だし。
 で、何故1977年1月2日なのかです。
 1月2日ってのはこのエントリの更新日だから、つまり新年特別企画なのでってだけなんですけど、1977年にものすごく深い理由があるのかというと何もありません。
 ただ、アタシの中で特別に感じる年が、生まれて以降で言えば8つあって。

・1973年(昭和48年)
・1976年(昭和51年)
・1985年(昭和60年)
・1995年(平成7年)
・1999年(平成11年)
・2003年(平成15年)
・2011年(平成23年)
・2018年(平成30年)

 この8つの年は、少なくともアタシにとっては妙に「区切り感」があるんです。
 だったら、つまり子供の頃の正月風景について書きたいのなら素直に1976年にすりゃいいじゃねぇか、てな話なのですが、その1976年が無事終わり、レコード大賞で都はるみの「北の宿から」が大賞に選ばれたその翌々日のことが書きたくなったわけで。

 ただし、ひとつ重大な問題がある。
 これが1月1日、つまり元旦であれば何の問題もない。しかし翌2日はアタシが大々的に参考というか引用しようと思っている新聞の休刊日なのです。
 アタシの構想としては「1977年1月2日の新聞紙面を眺めることで、結果的に1977年の元旦の光景を振り返る」って感じにしたかったのですが、残念ながらそうはならないのは確定した。しかし特定の<日>を振り返るのに新聞以上に適当なものはない。
 しょうがない。厳密には1977年の1月1日になるけど、とりあえず当時の新聞をコピーしてきました。
 あ、その代わりってのも変だけど、1月1日付紙面には2日のテレビ欄も掲載されているので、それで「扱った」扱いにします。

 さあ、これで問題が片づいた、と思うでしょ?ところがまだ問題があった。
 今回参照したのは神戸出身らしく神戸新聞です。当時、実家では実際に神戸新聞をとっていたので、この選択には問題はない。
 ところがですね、最寄りの図書館で神戸新聞はマイクロフィルムしかなかった。ってマイクロフィルムの説明をしだすとキリがないのですが、とにかく画質がメチャクチャ悪いのです。
 いや異様に高画質である必要はないけど、文字っつーか活字を読み取るのも難儀なレベルなんですな。
 というか神戸新聞は縮刷版を出してなかったみたいで(現在は電子縮刷版を発行している)、となるとこれ以上高画質はかなり難しい。
 でも「神戸新聞である」ことに意味があるっつー。

 何が言いたいのかというと「画質最悪」というのを了承していただきたい、と。可能な限りPhotoshopで調整したけど限界があるしさ。
 というかA3でしか複写出来ないのでコピー代とスキャン代が結構かかったんですよ。ってもたかがしれてるけど、それこそたかがひとつのエントリを書くためだけにカネを払ってるので、それに免じて許してください。
 長々と言い訳を書いてきたけど、とにかく、レッツラゴン!

・1面

 ま、当サイトは「死んでも政治には触れない」ってポリシー(じゃないけど)があるので、ま、あ、当時は福田赳夫が首相だったんだ、くらいで留めておきます。
 それよりも「第一朝刊」ってところが注目で、何しろ現今新聞をとってないのでよくわからないんだけど、そうそう、元旦の新聞で2部あってオトク感があったんだよね。


・6面

 この経済成長率のグラフはわかりやすいわ。
 実はひとくちに高度経済成長時代なんつっても実は第一次と第二次があって、第一次は東京オリンピックで、第二次は大阪万博でひと区切りついて下落しているんですよ。
 それにしても1974年の落ち込みは酷いね。ま、アタシは急性腎炎で入院中だったし、そもそもまだ幼稚園児だったから経済成長率とか何の関係もないんだけど。


・12面

 これ、これを載せたかったんだよ。だから新聞でないとダメなんです。ってただのテレビ欄だけど、まずは1月1日分から。
 いやぁ、少なくともこの時代は見事にテレビ番組が「時代を写す鏡」になってる。もう、このテレビ欄を見るだけでどんな時代だったか一目瞭然です。

 細かく見ていく前に全体の感想から。
 今では考えられないのが「レギュラー番組を普通にやってる」ってことでしょうか。
 令和の今、年末最後の3日くらいから特番だらけになって、新年も一週間近くは、ことゴールデンタイムに限るならば特番が並んでいるけど、この当時はまだそんなことはぜんぜんなかった。まったく憶えてなかったけど、どうも、こんな感じだったみたいです。
 いやさ、「クイズダービー」「8時だョ!全員集合」「Gメン75」はわかるのですよ。どれも看板番組だったし。
 でも「まんが日本昔ばなし」まで通常放送なのがすごい。
 あとよく見たら「部長刑事」とか「タイムボカン」とか「ウィークエンダー」も当たり前のようにやってるね。つまり「ちょっと豪華な普通の土曜日の番組編成」ですな。
 あとこれはあんまり1977年とは関係ないけど、テレビ欄の時刻フォントっつーか活字がメチャクチャ懐かしい。そうそう、神戸新聞はこういう妙にクセのある活字だったんだよ。

 まずはこれでしょ。もうこの頃から「爆笑ヒットパレード」やってたのね。つか「爆笑ヒットパレード」ってタイトル自体が完全に1960年代から70年代ノリだから。

 ついでに演芸番組諸々。懐かしい名前がいっぱいあります。

 さらについでに歌番組諸々。こっちも懐かしい名前ばかりだ。

 厳密にはふたつに分かれているけど、欽ちゃん特番で夜の7時30分から3時間半ってのはこの時代にしては破格です。というか当時のフジテレビが如何に萩本欽一頼りだったかがよくわかる。

 単独主演番組をやりながらコント55号としても出演していたのか。つか「爆笑ヒットパレード」も出てたしコントをやったのかね。
 アタシは小学2年生だったけど、コント55号としてコントをやってるのをリアルタイムで見た記憶がまったくない。ふたり揃って出てたので記憶しているのは「ぴったしカンカン」だけです。

 これ、何気にすごいなぁ。最終回が元旦ですよ。

 当時は深夜劇場って枠が普通にあって、正月もバッチリやってるのですが、「アマゾネス」はともかくアニメラマの「千夜一夜物語」をやったのか。エロに寛容な時代だわ。

 「ガッツ!タイガース」!!!
 この番組についてはココで書いたけど、前年の1976年10月にスタートした「阪神タイガース応援番組」の先駆的存在です。
 ちなみに「みもの」欄に解説があるので転載しておきます。

ゲストに長田球団社長、吉田監督、古沢、江本両エースを迎え、スタジオに集まったタイガース・ファンの激励にこたえ、優勝にかける決意を誓う新春特集。


 きゅ、球団社長をゲストに呼んだの!?


・13面

 キリがないので、本来の趣旨である1月2日のテレビ欄に移行します。
 こちらも「普段の日曜日の編成プラスアルファ」って感じですな。でもこれくらいの方が特番に特別感が出ていいような気がするんだけどね。

 小さいことだけど「テストパターン」ってわざわざ番組欄に載せてたのね。

 11万人の東村山音頭!これは見たい。もうVTRとか残ってないんだろうけど。

 これ、朝日放送の欄なんですが、ドリフターズにテレビ朝日(当時の名称はNET)ってイメージはあんまりないんだけど(森光子とのヤツとかはあるけどさ)こんな特番をやってたのね。
 つかこれは要調査なんですが「コントを一切やらないドリフターズ主演のバラエティ番組」ってどれくらいあるんだろ。

 おい、元旦に続いて「まんが日本昔ばなし」かよ。
 これ、イメージしづらいと思うのですが、番組開始からしばらくはすごい視聴率が良かったんですよ。てか約20年の放送期間中の平均視聴率が20%を超えてるんです。昔ばなしっつーか、ほとんどが民話ですよ。がこれだけの高視聴率ってやっぱ驚愕です。

 「M-1グランプリなんて所詮吉本の番組」とか言われながら見事に吉本外で優勝した錦鯉には心からおめでとうと言いたいのですが、それでもこれは今は出来んだろうなぁ。ま、たぶん内容的にはお遊びレベルのゲームなんだろうけど、絶対に無意識のガチ感が出るでしょこれ。

 これも見たい。アタシが藤山寛美が役柄に扮することなく素の状態で喋っているのを見たのは「今夜なに色?」(よみうりテレビ)っていう新野新と西川のりおの番組にゲストで来た時くらいだけど、いったいどんな内容だったんだろ。メチャクチャ気になる。

 おいおい、この吹き替えは最高じゃないか!
 でも現行メディアで一度もこれを含む吹き替えが収録されてないところをみるに、おそらく現存しないんだろうな。ああ、もったいない。
 と思って検索したら、どうもこのバージョンの吹き替えが使われたリオブラボーが2014年にBSで放送された実績があるらしい。録画しときゃよかった。

 「昭和ひとけた社長対ふたけた社員」と「続・社長道中記」が裏表!これ、東宝ファンからしたら最高にアツいわ。でも当時はビデオデッキが一般的じゃなかったからどっちを見るか迷っただろうな。

 タイガースゴルフ、この頃からやってたのか!
 でも記憶にある昔のタイガースゴルフって、エンタメ要素がぜんぜんなくて、ただ淡々と選手がゴルフしてるだけだったような。


・14面

 ラジオ欄。FM局が2つしかないのが時代ですな。
 ま、さすがに簡単に済ませるけど、まずは周波数が今と違うね。毎日放送で言えばこの年(1977年)の5月に1180kHzに変更し、さらにその翌年(1978年)に現在の1179kHzになりました。ってことは「1210kHz時代最後の正月」になるのか。
 番組単位では元旦の「ごめんやす浜村淳です」ってのが気になる。

 普通に考えたら「ありがとう浜村淳です」と「ごめんやす馬場章夫です」の合体版なんだろうけど、Wikipediaにはこうあった。

1977年2月からは、当番組(筆者注・「ごめんやす馬場章夫です」)の土曜版「ごめんやす浜村淳です」を、「ありがとう浜村淳です土曜日です」として独立させている。


 なるほどはなるほどなんだけど、この「ごめんやす浜村淳です」にも馬場章夫が出ていたのか?


・17面、18面

 当時の映画事情がよくわかるね。
 もちろんすべて神戸の映画館なんだけど、「映画案内」の欄にある映画館、んで広告を出している映画館、たぶん全部なくなってる。ああもう、これは完全に「時代」だなぁ。
 にしてもさ、神戸新聞って一般紙も一般紙ですよ。なのに、ピンク映画はともかく堂々とストリップの広告が載ってるのは「時代」で片付けていいのだろうか。


・21面

 1980年代の「株式会社神戸市」時代を象徴する人工島、ポートアイランドと六甲アイランドが紹介されています。
 しかし、これを見てもわかるように(って画質が悪くて文字は読めないだろうけど)、まだこの時点では「ポートピア81」は具体的には動いておらず、完成予想図も現実とはまったく違うものになっています。
 ポートピア81は置いておくとしても、ポートアイランドは思ったよりも発展しなかった。結局海に近いって利点で倉庫とか工場とか大規模なトラック置き場とかが中心で、少なくとも商業的な発展はぜんぜん、もうIKEAに全頼りって感じだし。
 その分六甲アイランドは、ま、こっちも商業施設の発展はなかったけど、何故か「外国人居住者に大好評の街」になったんだよな。ってこれは予測出来んわ。


・39面

 もう、この辺からまったく文字が読めなくなってきて、本当は小松左京の未来への提言みたいな面白い記事もあったんだけど、あまりにも内容がわからないからコピーすらあきらめた。
 これ↑もぜんぜん読めなくて、最初対談かな、と思ったらただのライバル扱いの記事だった。
 山口高志と掛布雅之、このふたりがこういう取り上げられ方をしたのは今となっては、ちょっとフシギな感じです。


 こんな感じかなぁ。
 やっぱ「字が潰れて読めない」のは致命的だわ。一切<掘り下げ>が出来ないもん。
 ま、掘り下げるようなエントリでもなかったのが救いだけど、やっぱマイクロフィルムは鬼門だな。それだけははっきりしたってことで話で終わらせてもらいますが、これで大丈夫ですかね。







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