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複眼単眼・顔
FirstUPDATE2021.12.27
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 さて今回は<顔>、つまりフェイス、♪ 鏡に写ったァあなたとふたりィの方。じゃないか。
 とにかく表情がどうこうというような話ではなく、ドストレートに「顔の<造り>」のことをアレコレ書いていきたいと思います。

 はっきり言えばこんな怖いテーマもない。
 きわめてデリケートな問題であり、ホメる時でさえ細心の注意が必要で、ましてやどれだけ冗談紛いでも、逆にどれだけ誠心誠意、相手のことを慮った発言だとしても、易々と他人さんの顔について自分の意見を述べてはいけないのです。
 発言次第で相手がパニックになるほど取り乱すことも考えられるわけで、たとえ親しい人であろうが、他人さんの顔の造りに触れずに生きていけるならば、こんな幸せなことはないとさえ言えるくらいです。

 そういうことをこれから書こうってんだからアタシもたいがい正気ではないのですが、やるのであれば、それはそれで危険なんですがマジメに、というか、ある程度大上段に振りかぶって論じていく必要があると思っています。
 それでは恐怖心を必死で拭いながらスタートします。

 さて、まず顔の役割みたいなことから書いていきます。
 良し悪しを超えた顔の役割としては「識別」というものがあるはずです。もちろん体型や声、喋り方も個々の識別要素にはなりますが、やはり、「その人」を認識する方法として「顔を覚える」というのが一番ポピュラーな識別方法だと思う。
 芸能人に例えるとわかりやすいけど、まずは<顔>を知ってもらわなきゃはじまらない。
 もうひとつ<名前>ってのもあるんだけど、<顔>と<名前>なら、どっちを認識して欲しいかというと、やっぱり顔です。
 昨今は、たとえばAdoのように一切顔出ししていない、でも歌が爆発的にヒットした、なんてケースはありますし、いやその前からGReeeeNのような人たちもいるので絶対的ではなくなってはいる。さらに過去を辿れば覆面レスラーなんてのもその域に近いのかもしれない。

 ま、ユーチューバーを芸能人扱いしていいのかは微妙なところなのですが、ユーチューバーには顔出ししてない人も多いし、当たり前だけどブイチューバーはほぼ顔出ししていないわけです。
 しかし、彼らは「顔出ししないというやり方で顔を売ってる」とも言える。
 実際、顔出ししてないユーチューバーの名前を検索すると、必ずサジェストに「○○ 顔」というのがある。つまり見せないことで逆に興味を惹き付けているわけで、ま、下卑なたとえだけど、頑なに乳首を見せない着エロアイドルみたいなものかもしれません。
 ただし、たしかに顔は晒してはないんだけど、大抵の場合はキービジュアルのようなものは出している。
 それこそAdoがわかりやすいけど、Ado、と聞いてパッと頭に浮かぶ<画>は、あの「うっせぇわ」のイラストでしょう。
 つまり、変な表現ですがランドマークのようなものとして、キービジュアルが顔の代替を担っているわけで。

 さらにそもそもの話をします。
 人間というのは顔というものをどのように識別しているのか、という話をしたいのですが、まずは架空の会話を読んでいただきたい。

「で、それがその時の集合写真」

「・・・いないじゃん」

「え?」

「おまえ写ってないじゃん」

「そんなわけないだろ、いるだろ」

「どこ・・・よ?」

「ほら、ここにいるだろ」

「・・・なんか似てなくね?」

「似てないも何もオレだろうが」

「もしかして顔、変わった?」

「たかだか一年で顔が変わるかよ!」

 みなさんもこのような経験をしたことが一度はあるのではないでしょうか。
 同一人物が目の前にいるのに写真に写っている人物と別人に見えてしまう。それはその人の顔の一部分だけを強く認識していて、そこが写ってなかったりはっきりしなかった場合、同一人物と認識できなかったりするわけです。

 さて話が変わるようですが、アタシは1968年生まれです。1968年というとあの三億円事件が起こった年でして、オレ三億円事件があった日に生まれてん、なんて同級生もいたわけです。

♪ あれから一年三億円
  頭抱えた警視庁ォ
  捜査に使ァった 費用を見たァら
  こんなことォあるかしィらァ三億円!


 これは「シャボン玉ホリデー」内で歌われた「アッと驚く為五郎」の替詞です。ま、実際にかかった捜査費は9億円以上だったらしいけど。
 それはともかく、三億円事件といえば昭和の事件の中でもとびきりの大事件で、しかもこの事件が特異なのは誰ひとりとして被害者がいなかったが挙げられる。(実際は報道被害はあったけど)
 そして何よりも有名なのは、この事件はいわゆる「未解決事件」だと言うことです。
 未解決事件に初動捜査ミスはつきものなのですが、正直今考えても何で三億円事件が未解決なのかさっぱりわからない。というのもですね

・犯人は顔を見られている
・山のような遺留品が残されていた
・犯人は犯行現場に土地勘があった(つまり犯人の居住地や行動範囲を絞りやすい)
・前フリともいえる脅迫事件(三億円事件と同一犯の犯行と判明している)で筆跡と血液型までわかっている
・事件当日は歳末特別警戒の初日で各所で検問を実施していた
・盗まれた札のナンバーが一部にしろ判明していた
・その他計画自体も完璧とは言い難く、というか杜撰な部分が多く、完全犯罪の要素は微塵もない

 これだけ犯人を早期に検挙できる可能性がありながら、初動ミスからまったく容疑者を絞り込めず、最後は遺留品と疑わしい地域での尋問をローラー作戦するしかなくなったのです。

 三億円事件と聞いて、大半の人はまずあのモンタージュ写真を頭に浮かべるのではないでしょうか。

 今ではよく知られていますが、あの、例の写真、あれ、実はモンタージュではありません。
 いや実際、どこからどこまでをモンタージュと言うのかは知りませんが、少なくともそれまで警視庁が作成していたモンタージュに比べれば、あまりにも<ざっくり>したものです。
 というのも、当時疑わしいと思われた人物の顔によく似た、まったくの別人の写真にヘルメットを合成しただけという、正直合成とすら言えないレベルで、こんなのノリとハサミが用意されたノッポさんでも作れるシロモノです。
 しかも当時疑わしかった男(つまりモンタージュのモデル(?)となった人物)はその後謎の自殺をしており、その後の捜査で「真犯人ではない」と発表しています。当然モンタージュ写真もぜんぜん意味のないものになり、最終的には警察はモンタージュ写真を撤回する、というお粗末さでした。
 初動捜査ミスも痛かった。そして結果的に決定的な容疑者となりえなかった人物に似た人物の顔を「こんな顔です」と発表してしまった。それらも十分失態なのですが、アタシは後々まで検挙できなかったのはこのモンタージュ写真に原因があるような気がしてなりません。

 モンタージュ、というのは、今はそれこそPhotoshopなんかで簡単に作れますが、目はこのパターン、鼻はこのパターン、口は、といった具合に、顔の各パーツをつなぎあわせて作成します。ま、リアル系のアバターやゲームキャラクターを作成した方ならばおわかりでしょうが、要はあんな感じで作るわけです。
 しかしモンタージュにしろアバターにしろ、それは「誰かと似ているようで絶対に存在しない顔」なのです。人間が無理矢理作った顔なのですからどうしてもそうなります。
 最近は「実はこの世に存在しない人の顔」をディープフェイクで作ってしまえる時代ですが、いくらリアルと言われても、やっぱり、どこか気味の悪さがある。造型としてはリアルすぎる「人間の顔」なのに、どこか血が通ってなさそうな、上手い表現じゃないけど「無生物感」がある、というか。

 だけれども、だからこそ、似ている、という判断ができると思うのです。
 甚だ個人的な話ですが、アタシの友人にウイイレなどのキャラクターエディット出来るゲームにおいてモンタージュを作る名人がいます。
 たとえば有名人のモンタージュを作ろうとする。まずはその人を画像検索して、傍らのスマホに表示させた状態で作っていったりするのですが、これをやると意外と似ない。むしろ、写真なんか見ずに脳内にあるイメージ優先で作った方が似る場合が多いんです。
 そして、フシギなのは、写真を見ながらだと人間味がなくなるのに脳内だけでやるとちょっと人間味が出てくる。
 だったら全部脳内だけでいいんじゃね?と思われるかもしれませんが、中にはどうやっても似ない人もいる。そういう場合は写真を見てやった方が妥協出来る感じにはなる。
 というのもね、写真を見ながら、この人の目はこう、鼻はこう、とかやっていくと、その有名人に似てくるというよりは「いろんな人に似てるような気になってくる」んです。
 アタシもはっきりした理由はわからないけど、たぶん人間味が消失することで純粋に「顔の<造り>」だけが表出してくるんでしょうし、となると純粋に「顔の<造り>」って、そんなに種類がないんじゃないかと。

 これはモンタージュも同じだと思う。
 仮にモンタージュ写真と似てなかったとしても、それが正規の方法で作成されたモンタージュであれば、その他で「怪しい」部分が多ければね、似ているような気になってくると思うんです。モンタージュの誰かに似ているようで誰にも似てない、というのはそれくらいの認識の幅が広がるはずですから。となるともっと有益な情報提供があったはずなんです。
 それが三億円事件では実際に存在した人物の写真を使ってしまった。つまり「本当に存在する顔」=「血が通った人間味のある顔」になるわけで、人間味が似てる似てないの判断を邪魔する。
 となると逆に「似ていても、違う」という判断をしてしまうと思うのですよ。

 三億円事件は様々な教訓を残しましたが、その中のひとつに「実在の人物をモンタージュです、などという馬鹿なことはしない」も絶対に入ると思うのですがね。
 ここらでPage2に続きます。