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やぶにらのおもちゃ大全
FirstUPDATE2021.12.24
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 というわけで、ここからは中学生~大人編になります。


◇ ハンモック

 昔は週刊漫画雑誌の裏表紙の裏に通販のページがあるのが定番で、そこには怪しさ満点の、良くいえば実に魅力的な商品の数々が所狭しと掲載されていました。だから↑もその画像です。
 そんな中で、少し古い2ちゃん用語でいえば<夢ひろがりんぐ>なものがありました。それがハンモックです。
 ハンモックなんて何で欲しかったんだ、と今になって考えればさっぱりわかりませんが、ハックルベリーとか、これも昔に書きましたが藤子不二雄Aの「フータくん」とか、ああいう自分だけの基地に憧れていたんですね。まあそこまでは想像がつくのですが、いきなりハンモックは少し飛躍しすぎな気がしますが。
 とにかく通販で念願のハンモックを手に入れることに成功した。が、ここからは誤算続きでした。
 ハンモックっていうのは両端を木か何かに括り付けて使用するのですが、住宅地に住むアタシの近隣にはそんな都合のよいものはない。しかたなく家の中で吊るそうと思ったのですが、これはいくらなんでも無理です。
 ネジコミ式のフックを柱に付けて、そこにハンモックを掛ける。見た目はそれでいいのですが、アタシが乗った瞬間に簡単にフックが吹っ飛びます。当たり前です。いくら子供とはいえそんな重量に小さなフックが耐えられるわけがない。
 かくしてハンモックは一気に無用の長物でしかなくなり、母親が部屋に入るたびに
 
「あんた、この<網>何なん!はよ片付け!!」

 といわれる邪魔物でしかなくなったというわけです。
 大人になってから一度だけハンモックで寝たことがありますが、あんなもんちっともいいもんじゃないね。ものすごい不自然な体勢だもん。普通のベッドの方が100万倍寝やすい。


◇ ガンプラ(バンダイ)

 アタシの世代になると「作ったねぇ」ってよりは「並んだねぇ」って記憶の方が強い。もちろんガンプラを買うためにですよ。とにかく売れまくってたから。
 もちろん作ったよ。でもさ、何しろアタシは不器用だからたいして上手く作れない。当時、家からちょっと遠めのプラモデル屋でガンプラのコンテストみたいなのをやってて、選ばれたら店頭に飾られるんだけど、選ばれなかった。つか応募するのも恥ずかしいものしか作れなかったというべきか。
 いやそもそも、塗料を盛大にこぼした影響で、家でガンプラっつーかプラモデル禁止令が出てたからたいして作れなかったんだけどさ。
 ガンプラ、塗料、と言えば、現今「ガンプラの塗料=GSIクレオス」ってことになってるみたいですな。
 これは知り合いのプラモデル屋さんに聞いたんだけど、タミヤはプラモと塗料両方作ってる、でもバンダイはプラモだけ、GSIクレオスはサプライだけ、なので組みやすいらしい。ま、そりゃそうだわな。まさかプラモでライバルのタミヤの塗料を使ってね、とはバンダイも言えないよ。個人的には圧倒的にタミヤの塗料の方が好きなんだけど。


◇ チャンピオンレーサー(バンダイ)

 セガの「モナコGP」を下敷きにしたと覚しい内容ですが、何故これを買ったのかはわからない。別にレースゲームが好きってわけでもなかったし。ただこれは意外なほど良い出来で、かなり熱中して遊んだ記憶があります。

 さて話はアタシの大学時代に飛びます。
 アタシが所属していたサークルは夏の終わりに合宿をする慣例があり、アタシは毎年合宿への参加をしていました。
 合宿に行く直前、実家に戻ってひとり暮らしの部屋に持ってこなかった荷物をガサゴソしてると、何とも懐かしいものが出てきた。チャンピオンレーサーです。
 アタシはそれを持って合宿に参加した。ま、ネタです。どうだいこれは。ずいぶんと懐かしいシロモノだろ?みたいなね、ま、初っ端にウケが取れれば十分、みたいな感じで持って行ったわけです。
 これが案の定ウケた。ああ、あったあった!懐かしいなぁ。しかしそんなもん、よくもまだ持ってたなってな感じでね。
 ところが話はそこで終わらない。
 合宿とは書いたけど、キビシイ訓練をやるわけでもなく、果てしなくただの旅行に近い。夜になると酒を飲んで騒いで、とまあ、よくある馬鹿な大学生の集団でしかなかった。
 んでもって基本的には時間を持て余している。何をやっても良いとなると、意外とやることがないんですなこれが。
 アタシも暇でしょうがなくなってね、そういやせっかくチャンピオンレーサーを持ってきたんだから、あれで暇つぶしでもするか、と考えた。
 ところが肝心のチャンピオンレーサーがない。ああ、たしか、初日に誰かが持って行ったきりになってたな、と。

「チャンピオンレーサー知らない?」

「チャンピオンレーサー?ああ、あの電子ゲームか。それなら◯◯さんが持ってた」

 アタシは◯◯さんの部屋に行った。するとそこにはおぞましい光景が繰り広げられていたのです。
 ◯◯さんをはじめ、◯◯さんと同室の人が競ってチャンピオンレーサーをやってる。

「これ、面白いなぁ!もうしばらく貸しておいて」

 言っておきますけど、この時代はすでにファミコンが普通にあったんですよ。要するにチャンピオンレーサーはあまりにも旧態依然としたもので、本来ならハマるようなモンではないのです。
 ところが合宿という特殊な環境が、みなの関心をチャンピオンレーサーに向かわせた。
 うちのサークルは男女比率が半々でしたが、つまりは女性さえも狂ったようにチャンピオンレーサーをやっていたのです。
 チャンピオンレーサーはシステム上の最高点がたしか150点とかだったと思う。それ以上のスコアは出せない。んで100行くとたいしたもの、くらいの感じでした。実際アタシは子供の頃に100点オーバーしてものすごい達成感を覚えたのを記憶してる。
 ところがこの狂乱の最中、100点オーバーを記録する人が続出し出した。しかも満点の150に近い数字をマークする人まで現れるようになったんです。
 当然チャンピオンレーサーは一台しかない。それをみなが奪い合うようにゲームに勤しみ、必勝法を共有し合うことによって、少ないチャンスを活かしてそれだけの点数を取るようになったという。
 今考えても、あれは狂っていたとしか言いようがない。合宿に参加した30人以上の男女が狂ったように、なんていうとまるで乱交みたいだけど、実際はゲーム、しかもお古いお古い電子ゲームに狂うなんて、やっぱいろいろ、みんなおかしくなっていたんでしょうね。


◇ パックマン(トミー)

 これは当時から、そして今現在見ても、とにかく筐体が異様にカッコいい。パックマンのゲームだからカタチもパックマンに、というのは考えとしてはわかるけど、実に見事な仕上がりでプロダクトデザインとしても本当に優秀です。
 あ、ちなみにスペルが違うけど間違ってるわけじゃなくて当時は「PUCKMAN」が正しい綴りでした。
 改称されたのは「<P>を<F>に変えられたら大変」だから、らしい。ホントかね?
 内容?この電子ゲーム版はやったことない。


◇ モンスターパニック(エポック)

 これはやたらやった。というかここで少し電子ゲームメーカーのイメージを書いておきます。
 バンダイは基本的に大味でキャラゲー以外は馬鹿ネタっぽい(だって「エッチな小人」とかですよ。こんなん今なら一発アウトだわ)、トミーとか増田屋とか他の有象無象のメーカーは出来不出来の差が激しい。任天堂は面白いんだけどシンプルすぎる、みたいな感じでね、結局、そこそこ凝っててバランスもわりと良かったのがエポックだったんです。
 とくにこの「モンスターパニック」とか「オイルギャング」とか、それなりに世界観の広がりもあってね。そういうのも子供には重要ですから。



◇ ドンキーコングマルチスクリーン(任天堂)

 今さっき「任天堂はシンプルすぎ」と書いたばっかりだけど、何と世界観ではなく画面を広げてきた。
 とにかくこのマルチスクリーン方式は画期的で、電子ゲームの中で唯一「後世への影響を与えた」マシンだったかもしれません。
 具体的には

・マルチスクリーン
 言うまでもなく任天堂DSの元祖ですが、こんな早い時期から「大画面ではなく2画面」というところに着目していたのはさすがです

・折り畳める
 当時の電子ゲームは液晶画面が非常に脆くて、カバンなんかに突っ込んでおくとすぐに割れたんですよ。
 でもこれなら画面を格納出来るのでその心配はないし、外側は金のラベルが貼ってあってまるで化粧ケースみたいだったんですよね

・十字キー
 とにかくこの「ドンキーコングマルチスクリーン」が十字キーのデビューであり、この偉大な発明を発明とも思ってなさそうだったのがすごい。
 いやマジで任天堂の躍進の最大のポイントは絶対にこの十字キーですよ。これがあったから常に他のコンシューマーゲームのハードメーカーと差別化出来たんだから。


◇ マッシー倉本のチャレンジゴルフ(バンダイ)

 えーと、本当に<きっかけ>を憶えてないというか、「プロゴルファー猿」の影響なのかも非常に微妙なのですが、とにかくアタシは中学生になってからゴルフに興味を持ち始めたのです。
 父親からクラブをもらってね、ま、ボロボロのヤツだけど、それを持って打ちっぱなしに行ったりして、んで一度だけだけどコースに出たこともある。ってもショートコースだけど。
 とにかく1番ホールでね、いきなりボギーで上がれたのです。ボギーってのは規定打数よりも一打だけ多いというね、もちろん規定通りの打数、もしくはそれ以下がいいけど、そんなのプロだって大変なことだから。
 その程度の知識はあったから、正直、自分は天才だと思った。だっていきなりボギーだよボギー!
 でも天才じゃなかった。ただのビギナーズラックだった。何故なら2番ホールからメロメロになったから。
 話を戻すけど、こんな感じでゴルフにハマりかけててね、となると当然「ゴルフゲーム」にも興味が出てくるわけで、コレを買った。買ったんだけど、たいして遊ばなかったな。ただしこの筐体は今見てもカッコいいね。


◇ 3D立体グラフィックゲーム(トミー)

 立体視のゲーム機、というと、当たり前のように「バーチャルボーイ!」となってしまうんだけど、実はバーチャルボーイより先立つこと10年、すでにトミーがこの分野にチャレンジしていたのです。
 もちろん時代が時代だからソフトが変えられるわけではない(つまり電子ゲームの亜種)けど、それでもこっちのがわずかに優れていたところがあって、何とカラーなんですよ。
 当時おもちゃ屋の店頭で一度だけ遊んだけど、マジで衝撃的だった。だってモノクロのパターン液晶からいきなり立体視のカラーですよ。(ま、パターンなのは一緒だけど)
 ただね、後継機も対抗機も出なかったことを見るに、おそらく売れなかったんだろうね。つかあまりにも時代の先を行き過ぎてユーザーが付いてこれなかったって典型的な例だし、同時に「結局、3D立体視はどこまでいってもマイノリティなのだ」ということだとも思う。
 話は逸れるけど、立体映画なんか昔からあって、アタシもちょうどこの頃に、やたら槍を振り回したオッサンが出てくるインチキきわまる立体映画を観に行った記憶がある。
 さらに「アバター」で「これからは3D!」って誰かが言い出して、各メーカーが3Dテレビに力を入れ出したけど、すぐに撤退した。
 ゲームで言っても、ファミコン3Dシステムもすぐに下火になったし、3DSも立体視オフがデフォルト扱いされる始末。
 こんなふうに立体視はインパクトはあるけど、それだけなんですよ。だから毎年「VR元年」とか言われてるけど、ぜんぜん一般層に浸透しないわけで。
 だからさ、「今までのは技術が低かった。今度のは違う」とか言ってたら永久に立体視時代は来ないよ。問題はそこじゃないもん。ってことはこのトミーのを見るだけでわかるはずなんだけどね。


◇ テーブルテニスカラー(不明)
 貰い物なんでね、メーカーも何もわからない。とにかく筐体が鉄製だったことだけは憶えています。
 とにかくこれが「テレビにつなぐタイプでは初めてのマイコンシューマーゲーム機」だったことはたしかで、ってもテニス(パドルを上下に動かすアレ)しか出来なかったんですけどね。


◇ Atari2800(アタリ)

 昔、神戸にあった「せいでん」の、何故かパソコン売り場の特価品コーナーにコレが置いてあったのです。
 Atari2800はアメリカで大ヒットしたAtari2600の日本版仕様で、さすがに存在は知ってた。んで後で「アタリショック」のことも知ったけど、この頃はもちろん知らない。
 ただ時代は、ちょうどファミコンが売れ始めた頃で、Atari2800はたぶんまったく売れなくて特価品扱いになったんだろうね。
 もう何だったかさっぱり記憶がないけど、ソフトを一本だけ買った。でももう、あまりにも旧態依然としたもので、エポックのカセットビジョン以下だったと思う。何しろもうファミコンはあったわけで、そりゃ特価品にもなるよな、と。


◇ Atari Lynx(アタリ)

 大学の先輩がね、アメリカ旅行に行くっていうんで「カネは出しますから買ってきてください!」と頼んだほど欲しかった。ま、売ってなかったわ、で終わりでしたが、その後すぐに日本でも発売が開始されたからいいんだけどね。
 実際、商品としてのバランスの悪さはとんでもないレベルで、デカいし重いし電池は保たないし、単純な性能ではなくあくまで<おもちゃ>として見たらゲームギア以下です。
 でもそのアメリカンテイストのせいか、やたらイメージだけはカッコ良かった。そういう意味でこれも立派な<おもちゃ>なんですよ。


◇ FM TOWNS マーティー(富士通)

 これはすいぶん経ってから、えと1997年くらいになってから遊んだ。ちなみに販売開始が1993年だから当然特売でね。
 でもこれは友人と大阪の「でんでんタウン」を歩いてる時に完全に<ノリ>で買っただけで、しかも厳密には買ったのはその友人だし。
 もちろんソフトも買ったんだけど、このFM TOWNS マーティー、筐体はコンシューマーゲーム機っぽいけどあくまで「FM TOWNS(という名のパソコン)との互換性が売り」で、コンシューマーゲーム機にはないアダルトゲームが遊べたんです。
 アタシもその友人もアダルトゲームで遊んだことがなかったから、だったら、ということでソフトもアダルトゲームにした。んで友人宅でさっそくやった。
 もう、爆笑したのが選択肢に「挿入する、挿入しない」ってのがあったことで、そこしか憶えてないんだけど、興奮するとか関係なく、アダルトゲームってのは「笑えるという意味で」オモロいわ、と。


 これだけ書いてきて、最後は結局下ネタかい!ってな話ですが、そうですよ。下ネタですよ。んなもん、懐かしいだけで終われるか!

ま、本当に下ネタで終わるアレなので少しマジメに書いておくなら、いつの間にかおもちゃって<儚さ>みたいなのがなくなりましたよね。
たぶん、今から40年ほど前くらいまでは、おもちゃ=近い将来廃棄されるもの、でしかなかったのに、今では大人が平気で買い漁るようになり、もっと酷い例になると投機目的におもちゃが使われる時代になった。昨今、レアなファミコンソフトが異様な額で競り落とされたりするのを見ると、本当に何とも言えない気持ちになる。
正直、良い悪いをここで問うつもりはありませんが、何かおもちゃのポジショニングが変わっちゃったなぁ、とため息もつきたくなる。と同時に「おもちゃそのものではなく、おもちゃが<儚い>ものだった時代」への憧憬から、こういうエントリもいいんじゃないかと。
ま、エラそうに書いてますが、今回のこれはいろんなエントリの寄せ集めです。だからネタによっては異様に長いのが混じってるわけで。とくに「チャンピオンレーサー」のくだりは一度は本サイトに掲載されながら諸事情でオミットになった「狂乱のサークル合宿」からのほぼ転載です。(多少は端折ってるけど)
つまり正確には「やぶにらの寄せ集め大全」とも言えるっつーか。




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