やぶにらの戦前の幻の映画大全
FirstUPDATE2021.12.22
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 アタシもね、かなりの数の戦前の邦画を観たし、また相当数の作品の映像が手元にあります。
 それでも、すべて、かと言うとまったくそんなことはない。過去にメディア化されたものは大半を所有しているとは思うのですが、過去にスカパーなんかで放送されたものにかんしては「目覚めるのが遅かった」せいもあり、かなりの<抜け>があるのが実情です。

 しかしそんなことを言い出せばキリがないわけで、自分が所有していない=<幻>なんてことにしてたら笑われます。
 やはり<幻>と言うからには「アタシが個人的に観たことがない、もしくは所有してない」では話にならない。何しろ<幻>なんだから、ほぼ現在誰も観ることが出来ないものでなければいけない。つまりは「現在、フィルムの所在が不明」の作品に限って書こうと。
 そうはいっても、そんなの数がありすぎる。
 「失われた映画」というのは想像以上に多いのが実際のところで、戦前期の邦画に絞っても恐ろしいほどあるし、サイレント期まで遡るとタイトルを挙げていくだけでも膨大になります。
 そこでさらに絞って「フィルムが所在不明且つアタシが個人的にどうしても観たい作品」だけをとりあげる。
 個人的にってことならサイレント期の作品は基本的に省くことが出来るし、<どうしても>ってのがないと、これまた相当数になるからね。

 さて、具体的に作品名を挙げていく前に、あくまでアタシのイメージですが、フィルムの現存状況を書いていきます。
 そもそも、たとえば昭和期以降の作品に絞っても「何本の映画が製作されて、何本の映画が完全な形で現存しています」なんてデータは存在しない。マジで一回、誰かがちゃんとした調査をしなきゃいけないと思うんだけど、現時点ではありません。
 だからもう、甚だ、個人的な感覚というかイメージでしかないのですが、各映画会社のフィルム保存状況は、ほぼこんな感じなのではないかと。

 東宝(P.C.L.、J.O.などの前身や傍系を含む)>>>大映>松竹>>>>>>>日活>>>>>その他

 完全にサイレント期に限るなら<その他>の比率が圧倒的で、大正期前半までの邦画の活動写真事情は「無数の(現在で言うなら中小の)映画会社によって作られるもの」だったんです。
 サイレント期の映画会社の名前を挙げていくと本当にキリがない。それこそ今のテレビ制作会社よりも多かったのではないかと思われます。
 この頃のフィルムはほぼほぼ現存していない、と考えて間違いない。中には奇跡的に現存しているものもありますが、完全な形で、つまり当時の上映時間とまったく同じ時間のフィルムがまるまる残っている、というのはきわめてレアケースです。
 というのも当時は「封切り上映が終わった映画のフィルム(ネガ・ポジともに)破棄される」のが普通であり、せいぜい切り刻まれて駄菓子屋の店先でフィルムのコマが売られる、というような扱いでした。

 ところが大手というか大資本の映画会社の登場で、少し事態が変わります。
 中小の中でも大手寄りだった映画会社数社が合併する形で日活が誕生し、歌舞伎などの興行会社だった松竹が映画に進出してきた。
 しかし、だからといって一気にフィルムを保存しようという考えが主流になったわけではなく、相変わらず大半の作品は駄菓子屋行きで、だからこそ小津安二郎の初期の作品も現存していないのです。
 おそらく「フィルムの保存」にもっとも早く目覚めたのは東宝です。
 東宝は当時もっとも新しい映画会社であり、先進的な会社でもありました。もちろん、源流となったP.C.L.やJ.O.スタジオ(どうでもいいけど「ジェイオー」ではなく「ゼーオー」と発音する)自体が新しい映画会社で、「フィルムを保管する」というアメリカ式のやり方を倣ったのではないかと。

 だから、P.C.L.やJ.O.時代を含めた東宝作品に限っては、少なくとも他の映画会社の作品よりは現存率が高い。それでも「失われた」フィルムもありますし、映画法その他でカットされた不完全版しか残っていないケースも多いのですが(例・黒澤明の「姿三四郎」など)、それでも他社に比べるとはるかにマシです。
 松竹も東宝と歩調を合わせるようにフィルムの保存を始めたようなのですが、1950年に起こった松竹下加茂撮影所の大火災でかなりのフィルムが失われることになってしまった。
 日活にかんしては戦時中に解散ではないけど、新興キネマや大都と合併して大映になった、という経緯があるので、そのゴタゴタもあって極端に現存数が少ない。
 戦後になって大映と日活は分離することになりますが、つまり大映は戦時中に出来た会社であり、時代的にもっとも新しいこともあってまだ現存確率は高い方です。

 とまあ、これは前知識としてどうしても理解して欲しかったので長々と書いたのですが、ここから紹介していくものはアタシの<好み>もあってほぼトーキー映画です。
 ただし例外がありますので、まずは例外作品、つまりサイレント作品のことから書いていきます。


◇ 異国の娘(1927年、東亜キネマ甲陽撮影所)/謎の指輪(1927年、東亜キネマ甲陽撮影所)/助太刀商売(1928年、中根龍太郎喜劇プロダクション)
 いずれも昭和初年期に作られたサイレント映画ですが、これらには若き日のエノケンこと榎本健一(榎本健名義という説あり)が出演しているのです。
 ただし3本ともに文献によってエノケンが「主演」なのか「一出演者でしかなかった」のかが曖昧で、内容を含めてよくわからないことが多い。
 東亜キネマと中根龍太郎喜劇プロダクションともに存続会社のない完全に消滅した映画会社で、となると「駄菓子屋行き」になった確率が高そうですが、エノケンが大スターになって以降にこれらの作品が「エノケンの謎の指輪」というようなタイトルで上映されていた、という証言がありますので、一定の時期まではフィルムは現存していたと思われます。
 だから、まァ、他のサイレント映画よりは現存の可能性はあるけど、間違っても確率は高いとは言えない、というレベルで。


◇ 和製キング・コング(1933年、松竹キネマ蒲田撮影所)
 戦前のトンデモ映画としてはとびきりの、しかも最初からトンデモにしようとして作られた名匠・斎藤寅次郎監督による喜劇です。
 もちろん、当時話題になっていた「キング・コング」に当て込んで作られたものですが(まだ本家が封切られる前にパロディのこっちのが先に封切られたらしい)、全編(といっても20分ほどだったらしいけど)ドタバタで押し通し、サイレント期の傑作喜劇として現在もその名が知られている方です。
 しかしこれまたフィルムの現存が確認されていない。松竹という大手で、斎藤寅次郎という名匠の作品でありながら、ですから、まだこの頃の松竹は「フィルムの保存」に目覚めてなかったんでしょうね。
 あ、ついでに書けばキングコング物でもう一本「江戸に現れたキングコング」(1938年)もフィルムの現存が不明な作品で、これは全勝キネマというマイナーきわまる会社の映画なので、ま、どう考えても絶望的というか。というか全勝キネマの映画で現存する作品はあるんだろうか。


 以上、ここまでがサイレント映画です。ま、前述した通り、サイレント映画にかんしては「現存してなくてもともと」なので、そこまでガッカリ感はない。
 しかしトーキー、となると、おいおい、何でないんだよ、と思ってしまうのも正直なところで。
 てなわけでトーキー編です。


◇ うら街の交響楽(1935年、日活多摩川撮影所)

 かつて「もしフィルムが発見されて公開されれば、嫁を質に入れてでも行く。嫁いないけど」とまで書いた、これぞ幻と言える作品です。
 出稼ぎに来ていた川畑文子主演作のうちの一作(もう一本の「若夫婦試験別居」(1934年、日活多摩川撮影所)もフィルムの所在不明作)であり、しかもこっちは川畑文子のパーソナリティを活かした音楽劇になっている。
 川畑文子は戦前期に活躍したアメリカ生まれアメリカ育ちのダンサーで、一時的に日本に帰国していた時に撮影したのですが、帰国時に録音されたレコードは現存しているので現在も普通に聴くことが出来ます。
 しかし彼女は歌は本職じゃない。あくまでダンサーです。なのに彼女の<動き>を観ることが一切出来ないのですよ。
 ただし、川畑文子の<動き>を記録した別の作品が、という話は後述します、


◇ 狸御殿(1939年、新興キネマ)
 木村恵吾による「狸御殿」シリーズは「歌ふ狸御殿」(1942年、大映)から「初春狸御殿」(1959年、大映)まで続き、また木村恵吾以外が監督をつとめたものとしてもいくつかありますが、実は「歌ふ狸御殿」の前に新興キネマにてそのものズバリの「狸御殿」という映画が作られているのです。
 新興キネマはその経緯からかフィルムの現存率が悪く、この後また新興キネマの作品が登場します。


◇ 弥次喜多大陸道中(1939年、松竹下加茂撮影所)
 何しろこれ、笠置シズ子の戦前唯一の映画出演作なので、つまりアタシ個人が全盛期と規定する頃唯一の<動く>笠置シズ子が観られる作品なんですよ。
 でもこれ、前述の通り、下加茂撮影所の作品で、おそらくネガも下加茂撮影所で管理されてたはずでね。
 ま、ポジが残ってる可能性はゼロではないけど、やっぱ厳しいわなぁ。


◇ 金毘羅船々(「金毘羅船」?・1939年)
 これまた新興キネマの作品ですが、ここでちょっと新興キネマのことを書いておきます。
 新興キネマは大阪にあった帝国キネマが発展したものですが、人的関係から松竹との繋がりが強く、後に松竹が本体とは別に演芸部を立ち上げることになった時には新興演芸部を設立した。つまり、松竹の傍系会社だった、と言えなくもないのです。
 ところが戦時中の映画会社再編時において何故か松竹と合併せず、前述の通り日活と大都と合併して大映になっている。
 さらに戦後には、新興キネマ東京撮影所だった、通称大泉撮影所は戦後に設立された東映の東京撮影所になっている。
 こうして見れば、松竹の元傍系であり、日活と一緒になった身であり、大映の源流のひとつであり、東映の撮影所の元持ち主であり、もっと言えば角川映画の源流、とさえ言えるんです。
 極端に言えば現存する映画会社のうちまったく無関係なのは東宝だけで、権利関係はともかくフィルムが如何に紛失しやすい状況だったかがわかるはずです。
 で、何で「金毘羅船々」って作品なのかと言えば、この映画に戦前のコミックバンドであるハットボンボンズが出演しているのです。

 近年になって彼らがレコーディングしたレコードが発見されましたが、やはり、映像で<動く>ハットボンボンズが観たいわけでね。タイトル的に時代劇っぽいけど、演奏シーンがあればいいなぁ、と妄想が膨らんでいるわけでして。


◇ 孫悟空(パートカラー版)
 これにかんしてはココに詳しく書いたから割愛。
 でもこれまた近年になって「失われた」と思われていた后篇(後編)のオープニングが見つかったりしたので、しかももっともフィルムの保存が良い東宝なので、まだ期待は出来るような。
 あ、あと、故・澤田隆治氏が「所有している」と明言していた「エノケンのちゃっきり金太」の前後編フィルムをちゃんとした形でメディア化して欲しい。
 アタシもメディア化されてない箇所が多い、いわば不完全版の映像を持ってますが、カットしてあるところで面白いシークエンスが結構あるんですよ。


 ここまでは映画史に詳しい方なら「名前くらいなら知ってる」作品、ということになります。
 少なくとも制作当時は普通に映画館で公開されたものであり、ということは存命かどうかはともかく実際にご覧になった方もそれなりにいたはずです。
 しかしこれから挙げる作品は、もちろん一般に公開はされた、とは思うのですが、きわめて特殊な上映形態で、その後の行方なんかわかるわけがないレベルなんです。
 てなわけで、ここからは<幻中の幻>の作品を。

◇ 幕末血笑録(1939年3月1日公開?)
 近年でもライブやコンサートの際にスペシャル映像を上映することがありますが、これはきわめて初期の例です。
 「日本劇場ニュース」149号によると、エノケンが有楽座で公演を行なった際、「雨の舗道」という一景で上映するためだけに作られた作品で、何とエノケン自らが監督をつとめたと言われているものです。
 ただし実際に、というか本当に作られて、完成し、上映されたのかは不明な点が多い。はっきりわかっているのは

・全1巻(つまり上映時間15分以内)
・説明(活弁?)が山野一郎

 程度ですか。たぶん無声映画だったんでしょうね。
 エノケンと言えば戦前期のスターの中でも現今においてもメジャーな存在ですが、これといい、昭和初年期のサイレント映画といい、孫悟空のパートカラーといい、また「制作が中止になった」とされる「エノケンのニュースカメラマンシリーズ・はりきり戦線」や黒澤明監督作品の予定だった「どっこいこの槍」など、一切撮影されなかったのか、それとも途中で中断されたままペンディングになったのかもはっきりしない。
 研究しようにも資料も少なすぎるし、そもそも東宝が内部資料の開示とかしてくれそうにないしなぁ。


◇ 川畑文子ダンス映画
 たぶんこれも映画史にはまったく登場してないと思う。というか「川畑文子ダンス映画」なるものに限らず、映画館のプログラムの合間に上映されるための「ショートフィルム」の存在自体がほとんど知られてないはずです。
 とくにアメリカではですが、プログラムの合間用に、たぶん上映時間調整のために、歌手ならば歌を、バンドならバンド演奏を、ダンサーならダンスだけを撮影したショートフィルムが制作されていました。
 何かの映画から抜き出したものもあったと言いますが、専用に撮影されたものも数多くあり、実は同じようなものが日本でも制作されていた、というのです。
 で、日本でどのようなショートフィルムがあったのかはまったくわかっていない。なのに何故「川畑文子ダンス映画」があったとわかっているかというと、ジャズ評論家の瀬川昌久氏がアタシに語ってくれたからです。
 とにかく「昔に一度だけ見せてもらった」「何年前だったかも、誰に見せてもらったのかも憶えていない」「(瀬川氏が見せてもらったものは)音声がなかった」ことだけしかわかっていません。
 ただ記憶が明晰な瀬川昌久氏が「間違いなく見た。絶対にどこかに現存する」と断言されるくらいなので、きっとどこかに眠っているはずです。


 いかがでしたでしょうか。「やぶにら大全」らしくない、とくにラスト2本は超絶マニアックな話なので、まァ理解していただける方がどれだけおられるかは不明ですが、もし、本当にもし、万が一、何らかの情報をお持ちの方がおられるのであればTwitterのDM経由でご一報くだされば幸いです。

多少は説明を入れてはいるとはいえ、ここまでしっかり、戦前モダニズムのことを書いたのは初めてで、本当に気持ち良かった。
ま、まったく「やぶにら大全」らしくはないけど、そういうのも含めて「やぶにら<の>」だから。




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