2018年は自分にとって最低最悪の年だった、というのはしつこく書いてきたのですが、今思えばひとつだけ、やっとけば良かったな、と思うことがある。もちろん最低最悪の心境だからこそ、みたいなことです。
人間は精神的に追い込まれると楽園を求める、というのは普遍の真理だと思うのですが、そういう心理状態ならばむしろ真逆のことをした方がいいと思うんですよ。
カタルシスを得るってのは本来、スカッとしたフィクションなどを見ることではなく、より哀しいものを見たり聴いたりして心を浄化させるって意味です。
つまりね、徹底的に精神的に追い込まれたら、楽園に癒やしを求めるのではなく、楽園とは真逆の、際限なく厳しい環境を味わった方が心が浄化出来るのではないかと。
さてアタシは「複眼単眼・演歌」なんてエントリを書いたことがあります。↓一応リンクを
ま、アタシは演歌には興味はない。興味がないのにこんな長文を書くってこと自体が変なんだけど、ただし演歌そのものには興味はないだけで、演歌の舞台に相応しい<場所>には強い興味があります。
具体的にはこんな感じです。
・東北地方
・一両編成の車両が走る単線
・窓の外は雪が降り積もっている
・どんよりを超えた曇り空
・ひなびた木造の駅舎の真ん中にだるまストーブが置いてある
・そんな駅舎で数時間待たされた後にさらに乗り換える
・ケータイの電波もつながらないような終着駅にある、やってるかやってないかわからないレベルの民宿に泊まる
・翌朝、海岸まで出る。海岸ったって岸壁
・ウミネコがこれでもか、というほど鳴いている
・寒さにこらえながら、ただひとり<北の海>を眺める
こんな感じです。あ、もちろん眺めているのは第55代横綱じゃないよ。
これはどう考えても今の心境にはハマらない。ハマるのはせいぜい、アタシで言えば翌2019年の前半までのような、最低最悪の状況の時だけだと思う。
ただね、ここまで見事な<演歌ごっこ>をやったら、もしかしたらもっと早く立ち直れたんじゃないかと思うんですよ。
こんな言葉があるのか知らないけど、最果ての地願望とでも言うのか、これは一種の「究極のひとり旅」だと思うわけで。
いや、たしかに、今現在の心境は最果ての地には相応しくはないんだけど、調べてみたのですよ。実際にそういう<旅>が可能なのか、と。
そしたら、ない、のね。そもそも「一両編成の車両」ってのと「だるまストーブ」ってのがハードルが高すぎる。何しろ今は令和なんですよ。んなもん、ローカル線は次々に廃線になってるし、木造の駅舎でだるまストーブを置いてある、なんて保護しなきゃ残らないレベルです。
アタシは鉄オタでもなんでもないからね、最初調べ方すらわからなくて、そもそも上記エントリのカバー画像も「まだイメージに近い駅舎」だったのが中央弘前駅だったんです。
あまりにも違うってことで先日カバー画像を差し替えたんだけど、元はこんな感じでした。