ここまで、正直あまり興味のない演歌について長々書いてきたのですが、そんなアタシでも「まったく触れないのはどうなのか」と思う人がふたりいます。
まずはテレサ・テンです。
しかし私見ではテレサ・テンは演歌の人ではないし、彼女のヒット曲である「つぐない」や「時の流れに身をまかせ」はアレンジ、歌唱法ともにほぼ演歌の要素が含まれていません。
かといってムード歌謡とも違う。じゃあ何なんだ、となっても、これがまったくわからないのです。
ただし同系統の楽曲が皆無なのか、というとそうではない。
やしきたかじんの「あんた」や島倉千代子の「人生いろいろ」などは確実にテレサ・テンと同系統の楽曲だし、その嚆矢と思えるのが江利チエミの「酒場にて」です。
江利チエミはそれまでジャズソングやポップスを主戦場とし、ミュージカルに出演するなどさほど演歌とは縁のない歌手生活でした。(とはいえかなりの枚数の民謡アルバムをリリースしているので<和物>とまったく縁がなかったわけではない)
その江利チエミがとある事件に巻き込まれ、高倉健とも離婚し、長らくヒット曲がない中で再起をかけてリリースしたのが演歌要素が強い「酒場にて」なのですが、「酒場にて」もまた演歌ではない。
たしかに世界観はかなり演歌の世界と通底しているのですが、アレンジはまったく演歌調じゃないし、江利チエミの歌唱法も演歌とは程遠い。
実は「酒場にて」とほぼ同時期にテレサ・テンの最初のヒット曲である「空港」もリリースされています。
「空港」は後の「つぐない」などに比べるとかなり歌謡曲寄りで、「酒場にて」と「空港」のどちからが「つぐない」に通じるテレサ・テン節かと言えば圧倒的に「酒場にて」だと思う。
そして「空港」から次のヒット曲となった「つぐない」まで実に9年の空白がある。
ではこの9年間、テレサ・テンはどんな活動をしていたかなのですが、まずはメチャクチャ基本的な話から書いていきます。
さすがに「テレサ・テンは台湾人である」というのは広く知れ渡っていると思うのですが、彼女は<在日>台湾人ではない。というか正式に日本に居住した経験はないはずです。
要するにテレサ・テンは「日本にマーケットを広げようとした」出稼ぎ外国人で、古くは戦前期に活躍したジャズシンガーのミッヂ・ウィリアムスあたりと変わらない。いや「血筋的には日本人である」ことを無視すれば、やはり戦前期に活躍した川畑文子がもっとも近い存在です。
川畑文子の細かい記述は割愛しますが、とにかく「純日本人でありながらアメリカで生まれ育ち、すでに本国でダンサーとして売れていた時期に日本に凱旋帰国、そのタイミングで数十枚のレコード吹き込みと映画出演を行なった」ということだけわかってもらえれば十分です。
テレサ・テンは血筋的にも日本人ではないので「凱旋帰国」ではなかったとはいえ、日本で芸能活動を始めた時点ですでに台湾では人気歌手であり、日本でも最初は台湾と同様に「アイドル歌手」として売り出しを図られたらしい。
しかしあっさりアイドル路線に見切りをつけ、大人ムードが濃厚な歌謡曲「空港」で知られるようになったわけです。
しかし「空港」は売れたとはいえ以降は「ぼちぼち」だったのですが、あくまで日本は「出稼ぎ」に来ただけであり、台湾本国では依然として人気歌手だった。
この辺の事情はイマイチよくわからないのですが、そもそも台湾ではまったく、日本人がテレサ・テンと聞いて想像するような楽曲は歌っていなかったようで、となるとレコード会社を変えて「つぐない」から始まるテレサ・テン的楽曲は日本人スタッフの発想ということになります。
テレサ・テンの三大ヒット曲である「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」はすべて「作詞・荒木とよひさ、作曲・三木たかし」のコンビで作られており、いわば荒木三木コンビが「演歌でもムード歌謡でも歌謡曲でもない、そして<台湾の歌手・テレサ・テン>とも違う、<日本の歌手・テレサ・テン>の世界」を作り出した張本人と言える。
その大元となったのが「世界観は演歌そのものだが、アレンジや歌唱法においては演歌とはまったく別モノ」である江利チエミの「酒場にて」ではないかと思うのです。
それでも「複眼単眼・演歌」と題する以上、テレサ・テンを外すわけにはいかない。
たしかにここまで書いたように、テレサ・テンの楽曲群は「世界観のみ演歌に寄せた<何か>」なのですが、「酒場にて」や「あんた」や「人生いろいろ」などを含めて、こうしたタイプの楽曲には現今ジャンル名が存在しない。となると「もしどこかにジャンル分けしろ」となったら、個人的には不服だったとしても演歌という扱いになるのもしかたがないことなんじゃないか。
そして何よりイメージの問題が大きい。
実際、アタシの周りで何名か、テレサ・テンを愛好する人がいましたが、みな「演歌の一種」としてテレサ・テンを聴いてる。だからテレサ・テン以外のCDは演歌ばっかり、ということが多かったのです。
そうなってくると、いや音的には絶対に演歌ではないんだけど、とアタシがいくら言い張ったところでどうしようもない。なので甚だ簡単ではありますがテレサ・テンについて書いてきたわけで。
で、もうひとりですが、それは一部で「ギャル演歌」と言われた西野カナの楽曲群です。
とくに「会いたくて会いたくて」を例にとりますが、世界観は紛れもなく「若者」のソレだし、一部英語詞が入るのもJ-POPのソレに倣っていると言える。
しかし七五調ベースの歌詞やメロディラインなど「ほとんど演歌そのもの」と言える箇所も散見出来、あくまで私見ではありますが、演歌第一号と言われる藤山一郎「酒は涙か溜息か」や美空ひばりの「悲しい酒」、あと城之内早苗(おニャン子クラブ時代)の「あじさい橋」、そして言うまでもなくテレサ・テン的楽曲よりよほど「演歌してる」気がするのです。
西野カナは経歴もかなり面白い。
面倒だし、アタシ自身そこまで西野カナに明るくないのでWikipediaから引用しておきます。
幼い頃から海外生活に興味を持ち、小学校5年生のときにグアム、高校1年生のときにはロサンゼルスにホームステイし、ロサンゼンスから帰国後、母の知人に師事して民謡を習い始めた。(中略)高校3年間は準備期間として、津軽民謡を習うなどしてボイストレーニングを行い、いつも母親と一緒に協力して練習に励んだ。
主にPage1においてアタシは民謡と演歌の密接な関係性に言及しましたが、それこそ都はるみ同様、かなり若い時から民謡に慣れ親しんでいたというのは注目に値します。
だからといって西野カナの歌唱法に民謡の影響が見て取れるかというと、そんなことはない。わりと素直なクセのない歌唱法であり(本人はレゲエ好きらしいけど、どちらかというと宇多田ヒカルあたりからはじまったJ-R&Bの影響が濃厚)、だからこそ<ギャル演歌>とは違う、例えば「トリセツ」や「あなたの好きなところ」を歌っても違和感がないんだと思う。
それでも、もし「会いたくて会いたくて」の路線を突き詰めていけば、本当に<ギャル演歌>というジャンルが成立したのではないかと思うわけです。
ジャンルというのはひとりが頑張ってもジャンルにはならないのです。
どっちがパイオニアでどっちがフォロワーかはわからないし言及するつもりはありませんが、<ギャル演歌>の人と言われたのは西野カナともうひとり、加藤ミリヤがいました。
アタシは加藤ミリヤにかんしては西野カナよりもさらに明るくないので、もしかしたら現今においても<ギャル演歌>に相応しい楽曲を歌っているのかもしれませんが、どっちにせよひとりとかふたりではどうしようもないし、残念ながら西野カナの、それこそ「会いたくて会いたくて」ほどのインパクトに欠ける。
では何故、西野カナが「会いたくて会いたくて」路線から手を引いたのか、それはわかりません。
ただ、これは偶然ではないと思うのですが、西野カナに興味がない(というか西野カナ側がハナからターゲットにしてない)人たちから「演歌とまったく同じ叩かれ方」をしたのです。
「どの曲を聴いても一緒」
「会いたいんだったらさっさと会いに行けよw」
演歌というジャンルが面白いのは「世界観の共有」なのです。
何度も何度も、あまたの人が同じようなところをなぞる。いやなぞりまくる。今様の言い方なら「擦り倒す」というか、関西の芸人風に言えば「味がしなくなるまでシガみ倒す」というか。
つまり西野カナは途中まで方向性としても演歌と同じ<やり方>だった。だったんだけど、飽きたのか、先がないと読んだのか、ネタ切れなのかは知らないけど、とにかく「トリセツ」路線に行ったわけで。
路線変更した西野カナが完全に針が振り切ったのが「Have a nice day」だと思う。
「Have a nice day」は世界観的にはアタシが定義した「置き去りにされた心」とした演歌とは真逆だけど、「トリセツ」や「あなたの好きなところ」同様、同じ世界観を何度も反芻する、という意味においては、まだギリギリ、演歌に通ずるものを感じるのです。
ま、あと、これはコジツケ以外の何物でもないのですが、あれだけ「会いたいのに会えない」切ないラブソングを歌っていた西野カナが最終的に「もっとも身近な」元マネージャーと結婚したというのも、作曲家など比較的近い関係の人と結ばれることが多かった昔の演歌歌手っぽい。
もちろん結婚自体は目出度いことですし、出産たんだから今さら<ギャル>演歌も何もないんだけど、もし今後、西野カナが本格的に歌手活動を再開するとして、それこそ「ハッピーなラブソング」も何もないんだから、今度こそ既存の演歌にとらわれない「新演歌」に挑戦して欲しい。
アレンジは演歌の大元となったとおぼしいブルース寄り、いや西野カナの資質を鑑みればR&B寄りでもいい。それにほんのちょっと、西野カナが幼少より慣れ親しんだ民謡チックな歌唱を色濃くするだけで十二分に、<新>演歌として通用する。
別にね、演歌なんてジャンルがなくなっても構わないんですよ。こういう芸能というのは淘汰が当たり前だし、そもそもアタシは演歌には思い入れが少ないのでたいして悲しくもない。
それでもです。Page3に書いた「置き去りにされた心」を癒やしてくれる音楽ジャンルがなくなるというのは、どうしても「もったいないな」と思ってしまう。
ま、こういう言い方をしたら身も蓋もないんだけど、2023年現在、そこのマーケットがポコンと空いてるような気がしてしょうがないんですよ。
そんな空いたマーケットを「如何にもな演歌の世界から出てきた演歌歌手」で埋められると思ってない。むしろ門外漢というか畑違いの場所から出てくる可能性の方が高いような気がする。
そうこう考えると西野カナというのは驚くほど「うってつけ」の人材です。いやもう、西野カナで無理なら演歌は遠くない将来、必ず消滅すると言い切れます。
ま、ここまでエラソーに、サウンド的に、歌唱法的にどうこうと書いてきましたが、結局演歌ってそういうことよりも「置き去りにされた心を際立たせる世界観が<軸>」なんだな、とつくづく思った。
ただ、あまりにも世界観のアップトゥデイトがされなさすぎた。それが演歌衰退の最大の原因じゃないかと。
「置き去りにされた心」はそのままに、もうちょっとだけでいいから令和の時代に相応しい世界観が構築出来たら、まだまだポテンシャルのあるジャンルだと思うのですがね。
って、その結論じゃ「それならテレサ・テンも「悲しい酒」も演歌でいいじゃねーか!」ってことになってしまうのですが、そもそも<演歌>とか<歌謡曲>ってジャンルのようでジャンルでないというか、やっぱね、サウンドで仕分けるのは無理だとは思うわけで。 あ、このエントリ2023年11月に、元の「複眼単眼・演歌」に「補足的・新演歌、もしくはギャル演歌」を合体させて、さらに大幅に追記したものです。ついでに、というかせっかく改稿するんだから、とYouTube動画も大量に貼り付けました。 今回改稿するにあたって、ずっと中途半端な形でしか書いてなかったテレサ・テンの話を含めたのですが、さすがにね、テレサ・テンの台湾での活動までは追い切れんかった。つかよくわからん。 うーん、本当はちゃんと調べるべきなんだろうけど、基本的にテレサ・テン的楽曲が苦手なんでね、そこまでやろうとは思えないんですよね。 |
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