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東京駅to人形町道中膝栗毛
FirstUPDATE2021.2.20
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 さてさて、Page1で日本橋交差点まで来ましたので、Page2はいよいよ日本橋を渡ります。
 一応、Page1にも貼り付けたお手製マップを。

 が、その前に、コレド日本橋の隣りの西川を忘れちゃならない、と書こうと思ったけど、現在建て替え中なんですよね。
 というか大和証券本社ビル跡地もだし、八重洲口から外堀通りの東側もだし、んで西川もだし、今この一帯は大規模開発中なので、いろいろ書いていくのがコワい。
 なのでどうしても昔の話中心になってしまいます。

 戦後すぐの西川の写真を見ると、ふとんより何より、まず<蚊帳>なんですね。
 蚊帳って言っても今の人はわからないかもしれないけど、昔は蚊取り線香くらいしか虫除けがなく、夏になると寝てる間に盛大に蚊に刺されるのが恒でした。そりゃあ、火の始末を考えると蚊取り線香つけっぱなしで寝るわけにはいかないし、そもそも今と違ってクーラーとかないから窓は開けっ放し。つーことは虫も入り放題で、刺されて当然です。
 そんな場合は蚊帳を吊るす。昔の寝室には必ず蚊帳を吊るすフックのようなものがあり、天井の四隅を留めて巨大な網戸みたいなのを張り巡らせるのです。
 さすがにアタシの年齢だと、子供の頃に田舎の旅館に泊まりに行った時に、一回くらい蚊帳を吊ったかどうかレベルですが。
 しかし蚊帳ってあんまりふとんと関係なさそうなのに、何で西川で扱ってたんだろ。

 さあ、それでは日本橋を渡ります。
 が、ご存知のように現在の日本橋には真上に高速道路が通っており、雰囲気もヘッタクレもない。これは東京オリンピック(もちろん1964年の方ね)に間に合わせるために東京全土に高速道路を張り巡らせようとして、でも土地買収やら立ち退き要求の時間がないことから「川の上を通せばいい」ってことでこうなったらしいけど、さすがにこれは酷すぎる。
 今になってやっと酷すぎるってのがわかったのか、高速道路の地下化計画があるらしいけどさ。

 それでもアタシくらいヒューマンレベルが高いと、Photoshopなどを使わなくても脳内で簡単に「高速道路など無きものに出来る」のです。
 いや、もう、そうでもしないと過去に想いを馳せることも出来ない。
 日本橋、と言えば、何といっても東海道の始発点であり、そして歌川広重の東海道五十三次のこの絵でしょう。

 これを見れば一発で「昔、ここに魚市場があった」ことがわかる。そう考えれば、魚市場が築地から移転したのもたいしたことではないような。
 あ、もし浮世絵の頃の木造の日本橋を体感したければ、両国にある江戸東京博物館に行けば気分を味わえます。
 江戸東京博物館はね、ちょっと人形町から距離があるので扱いづらいんだけど、面白い施設なので、東京観光のついでにどうぞ。

 さて、人形町に行くには小舟町の交差点に行かなきゃいけないので、日本橋を超えてすぐに右折するのですが、ここまで来たら触れないわけにはいかないのが三越です。
 Page1でも書いたように、外観的にはまったく趣きはないんだけど、それでも「ここで下山総裁が姿を消したのか」と思うと感慨深い。ま、この話は逸れすぎるので別の機会に。
 ここ、三越の催事場ってね、わりといいイベントをやるので人形町から転居した後も結構来る機会が多いのです。
 それこそ「ザ・ドリフターズ結成40周年記念展「40周年だョ!全員集合」」(2005年)をやったのもここだし、他にも岩合光昭の写真展も行ったな。あと泉麻人のトークショーを見に行った「1980年代展」(2018年)もここだったっけ。
 出来ればここで「下山事件展」を、ってやるわけないか。

 ついでにもう少し逸れてしまいます。
 三越から北東に行ったところにコレド室町ってのがあって、その中に「TOHOシネマズ日本橋」という映画館が入ってるのですが、2014年にここで植木等幻の主演作「本日ただいま誕生」が上映されたのは印象深い。
 あと、たぶんこれもコレド室町だったと思うんだけど、鰹節屋で「これ、本当に美味いから。これを猫にやったらヤバいよ」と勧められるままに買った鰹節を愛猫の<ぽんぽこ>にやったら、本当に狂ったように食べてたのが忘れられない。

 さすがにルートに戻ります。
 日本橋北詰交差点の北東辻にはスタバがあるんだけど、ここは行ったことがない。ま、アタシは喫煙者なんでね。その代わり、その何軒か隣りにあるベローチェには実に良く行った。2003年頃、ここでPDA(スマホの前身のようなもの)をイジっていたのを昨日のことのように思い出します。

 さて、ここからどんどん東に向かい、高速道路をくぐると小舟町交差点になってしまうのですが、この間にはとくにこれってものがない。ま、歩いていて気持ちのいい場所ではあるんだけどさ。
 小舟町交差点からは、まっすぐ行けば人形町交差点、斜め右に入れば蛎殻町交差点に行きますので、後はお好きな場所へ。
 ついでに書いておけば、江戸橋を渡るルートは永代通りをさらにまっすぐ行って、郵便局のところで左折するのですが、ま、それだけ。
 てなことでルートを変えます。

 さて、もうひとつの茅場町ルートですが、実はほとんど使ったことがありません。
 八重洲通りをひたすらまっすぐ行って、新大橋通りで左折、あとはずんずん進めば水天宮前に着くというね、<道>としては圧倒的にわかりやすいのですが、こっちのルートは本当に、とくにコレっていう個人的な見所がないので、歩いててもそんなに楽しくないのです。
 もう強いていえば、かなりルートから外れちゃうけど、鍛冶橋通り沿いにあるフィルムセンターですか。ここも実に良く行ったけど、さすがに本エントリの趣旨とは外れすぎる。
 とにかく八重洲通りが弱すぎる。小舟町ルートでも書いたように中央通りに交わるまでも何もないし、以降も首都高の宝町料金所を過ぎて新大橋通りに出るまでも特徴がない。

 唯一軽くテンションが上がるのは、宝町料金所を過ぎたあたりから町名が八丁堀になるのですね。
 八丁堀と言えば、アタシらの世代にとっては当然<八丁堀の旦那=中村主水=藤田まこと>になるわけでして、ほんの短期間、えと3ヶ月くらいだったかな、仕事で八丁堀に通ってた時はそれだけで興奮したものです。

 話を戻します。
 八丁堀交差点を左折して新大橋通りに入っても何もないってのは同じなのですが、それでも兜町があるのはそれなりに強い。
 株の世界を描いたフィクションは山のようにありますが、個人的にはフィクションではなく、どうしても「光クラブ事件」を思い出してしまう。
 たしかに光クラブ事件の主犯である山崎晃嗣が闇金融業を始めたのは中野の鍋屋横丁ですし、莫大な利益を上げて本社を構えたのは銀座は松屋裏です。
 でも、まさに、抜き差しならない状況に追い込まれた山崎晃嗣が最後の大勝負に出た場所は兜町だったんですね。
 ま、大勝負をかけるには山崎晃嗣の株にたいする知識があまりにも浅く見事に失敗、そして自害という道を選ばざるを得なくなるのですが、そういうイメージもあって兜町に来るとどうも「証券マンたちか行き交う、エリート臭のする」って感じがしない。ま、光クラブ事件にかかわらずあまたのフィクションでもそうなんだけど、人生をかけたギリギリの世界で生きる、いわばものすごく「男臭い世界」にしか思えないのです。

 この一発勝負的な男臭さは、もう競馬や競輪といったギャンブル場でさえ問題にならないほどで、言ってもギャンブルはどこか「遊び」のニュアンスがつきまとう。
 でも兜町はそうではない。遊びのニュアンスなんか微塵もない。日本のギャンブル場はおろかラスベガスやマカオさえ超えるような、何とも言えない切羽詰まった緊張感が街を覆っている。
 どうも、コレがあるから、アタシはこのルートを好まなかったんだと思う。たしかに面白いスポットがないのも事実だけど、兜町を通るにはフヌケた気持ちでは通れない。それはつまり「街を散策する」というある種のヒーリングな心情とは真逆だからね。
 ただし、逆に、ここは一発本気で気合いを入れてやらにゃいかん、という時には、兜町に行くとスイッチが入る。そういう意味で「人形町から近いけど行きやすくはない場所」にある兜町の存在はデカいのです。

 兜町を抜けてしばらく行くと蛎殻町交差点に着きます。だから、まァ、これで終点なのですが、せっかくなのでもう少し続けます。
 蛎殻町交差点の目と鼻の先に「永楽屋シヤツ店」という、実にいい感じの店があります。何たって「シャツ」ではなく「シヤツ」(<ヤ>が小書きじゃない)のがいい。
 ここの建物の建立は1925年、ということなので、青島幸男が生まれる(1932年生)前なのはもちろん、蛎殻町(現在の人形町)で生を受けた谷崎潤一郎も行ったことがあるかも、と思ったのですが、ちゃんと年譜を調べると大正末の時点で谷崎潤一郎はすでに神戸に移住していた。
 しっかし、神戸生まれで人形町に特別な感情を持つアタシからすれば、何で人形町から神戸くんだりに移住するのかマジで理解出来ん。時代が違うと言われればその通りだけど、そんなことを言えば当時の人形町は今よりも「良い街」とも言えるんだから。
 谷崎潤一郎的には「下町嫌悪」と神戸を「代用異国と見立てていた」という意図があったらしいけど、うーん。というかあらためて谷崎潤一郎の年譜を見ると、やっぱこの人も良い意味で狂人ですな。


 こんな感じで長々と書いてきましたが、言っても東京駅から人形町まで<わずか>30分足らずの距離です。どのルートを通ろうが基本はオフィス街であり、ルートをまったく外れない商業施設はというと髙島屋と丸善とコレド日本橋くらいしかありません。
 なのに、これだけ書くことがあるってのは、もうほんと、驚異という他はない。
 アタシもたいがいいろんな街に住んだけど、それこそロンドンでさえ、ここまで書き<広げられる>街なんてどこにもなかった。
 どちらも軽くとはいえ、下山事件と光クラブ事件について書いたように、たしかにアタシはこの手の事件に関心が強い。さらには戦前モダニズムを愛する人間です。
 そう考えれば誰しもがアタシのように、街歩きだけで気分が高揚したりはしない地域なのかもしれない。つまり大多数の人にとっては「どこにでもあるオフィス街」でしかないはずです。

 それでも、逆に言えば、少なくともアタシにとっては人形町単体だけでなくその周辺も間違いなくアタシには特別だと言える。要するに「主役(人形町)も最高だけど、脇役(東京駅から人形町に至るまでの日本橋周辺)も実にいい味を出してる」ってことになるわけで。

実はかなり手の込んだエントリでして、地図を作ったりもそうなんだけど、本文中の画像のそのほとんどは2020年の東京出張の際に実際にアタシがルートを自分の足で<膝栗毛>して撮ってきたものです。
というかそういう機会に恵まれたからこそ、このエントリを書いたというべきか。




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