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憂歌団に花束を
FirstUPDATE2019.10.19
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-ヒットチャートとはまるで縁がない、しかし一部に熱狂的なファンを抱える、ロックバンドではないバンド
 
 つまり音楽に疎い、というか音楽にまともな興味すらない1980年代半ばの高校生では到底知る由もない存在を、大学に入ると知ることになるわけで。
 きっかけはものすごく単純です。
 大学の先輩がファンだったから、と書くと本当に身も蓋もないのですが、事実がそうなんだからしょうがない。
 「これ、めちゃめちゃエエねん。どうや?ええやろ?」
 正直、アタシは衝撃を受けた。歌謡曲ではあり得ないような歌の数々。そしてその<音>。何じゃこりゃ、と。
 もちろんそれが憂歌団だったんですがね。
 ただし一気に憂歌団にのめり込んだわけではない。何故、と聞かれてもたぶん後付けでしかないんだろうけど、憂歌団の<音>は歌謡曲しか知らなかったアタシには馴染みがなさすぎて、つまり未知のものすぎて、怖くてハマれなかったんです。
 
 当時アタシがハマっつーか、それこそ脳天を撃ち抜かれたのはブルーハーツでした。
 これも説明が実に難しいんだけど、たしかにブルーハーツはパンクバンドの体裁ではあったのですが、歌詞は限りなくフォーク的だし、<音>自体もそこまで尖っているわけではない。もちろん歌謡曲に比べたらパンクしてるんだけど、当時はチェッカーズに代表されるように、歌謡曲でもロック系のサウンドが主流だったからね。だからそこまで違和感も何じゃこりゃ感もなかったんです。
 早い話がものすごくすんなり馴染めたわけで。
 
 最近になってあらためてブルーハーツを再聴してみたのですが、ものすごく繊細に作っているのがよくわかった。
 とくにアッと思ったのは構成の妙技と歌詞です。
 わりと複雑な構成にしてあるのに破綻が一切ないのは驚異的だし、歌詞もね、過激な言葉をなるべく使わないように、慎重に他の言葉に置き換えている。
 たぶん自発的ではないんだろうけど、いつからかブルーハーツは「やさしさパンク」と言われるようになったけど、単に弱者に寄り添う世界観だけでなくて言葉ひとつひとつをソフトにしてあるのは本当に凄いと思う。やさしさ=パンクへのアンチテーゼかどうかは知らないけど、目の付けどころとか戦略はともかくキチンと実現出来ているところがね、ハタチちょい過ぎの若者の所業じゃないだろ、と。
 ただ同じ年代だった頃のアタシにそんな<理屈>がわかるわけがない。というか彼らの凄さを<理屈>ではなく<感覚>として突き刺さったというかね。
 
 でもそこで止まっちゃったんですよ。
 アタシはブルーハーツから音楽の幅を広げようと目論んでいて、まだ音楽雑誌だった頃の「宝島」誌をむさぼるように読んだ。んで宝島で知ったブルーハーツと同系統のバンドやパンクと呼ばれる洋楽をいろいろ聴いてみたのですが、まるでピンとこない。というか聴けば聴くほど違和感が生まれてきた。
 これは違う。アタシはたまたまブルーハーツという存在にハマっただけで、パンクは別に好きでもなんでもないってのに気づいてしまったのです。
 たぶんこれはヒロトの資質だったんだろうけど、ブルーハーツはパンクの漫画版だったんだと思う。つまり異様に取っつきやすいパンク。しかも取っつきやすいパンクを目指したわけでもなんでもなく、ヒロトの方向性がたまたまソコだっただけなんじゃないかと。
 
 とにもかくにもアタシはパンクは合わないと悟った。この頃からクレージーキャッツも聴き始めていたけど、当時はまだ自分にとってスイングジャズがそこまで大きなものだと思ってなかったし、そもそもアタシはクレージーキャッツをコミックソングとして聴いていただけで、別にスイングジャズだとは思ってなかったからね。
 ただ、どうも、自分の身体的にクレージーキャッツソングの<音>が合ってるな、とは思い始めていた。少なくともエレキギターがヴワァァァン!みたいなのよりも心地良いぞと。
 
 ちょうどそんな頃です。さきの先輩に「憂歌団のライブがあるねんけど、一緒に行かへん?」と誘われた。
 ああそうか。その手があったか、と思った。
 もちろん確信があったわけではないけど、憂歌団の<音>は少なくともパンク寄りかクレージーキャッツ寄りかでいえばクレージーキャッツ寄りの音だと思っていたし(最近になってヒロトと憂歌団の内田勘太郎がユニットを組んだりしてるのでややこしいけど)、もしかしたら憂歌団にハマれるんじゃないかという期待があったっつーかね。
 正直、彼らのライブをいつ、どこで観たのか、さっぱり記憶がない。ただその衝撃は今でもおぼえている。
 ひと言で言えば「音楽というのはこんなに<近い>ものなのか」と。
 
 それまでアタシにとって音楽とは「遠い存在」でした。
 もちろん今よりは某団体もうるさくなかったから、街中に音楽が溢れていたし、音楽番組もいっぱいあった。
 それでもアタシにとって音楽は流行の一部に過ぎなかった。たしかに1970年代の歌謡曲に興味を持ち始めていたけど、これとて所詮「反流行」の気分があったからに他ならず、結局は流行という枠組を意識していたわけで。
 でも憂歌団のライブに行って、それが180度変わった。
 でも「何がどう」ってのを説明するのは限りなく難しいんです。それはどんなミュージシャンのライブでも、いや音楽イベントでなくても演劇などの舞台でも同じことが言えるのですが、憂歌団の場合はとくに難しい。
 先ほど<近い>という表現を使いましたが、これは形容ではなく本当に近いんです。たまたまステージと客席に分かれているだけで、観客から起こる声も友達に話しかけるようで、声援も「木村ァ~!」とかですからね。それはけして「尊敬する」でも「憧れ」でもない。かといって見下してるわけでもない。つまりは果てしなく対等なんです。
 
 「木村ァ~!○○(←曲名)歌えや!」
 というヤジ(?)にたいしたヴォーカルの木村秀勝(現・木村充揮)は
 「お、おう、ほんならそれ歌うわ」
 と応えることもあるし
 「やかましわー!オレが歌いたいヤツを歌うんじゃぁ!」
 とはねつける時もある。
 それだけじゃなしにギターの弦が切れたらその場でチューニングして一本弦が足りない状態で、つまり5本の弦で何食わぬ顔で演奏を続けてしまう。
 憂歌団のメンバー全員、高い演奏力を誇りながらも「完成されたモノを」みたいな考えはまるでなく、多少メチャクチャになろうがその場の空気を大事にする。んでそのすべてがエンターテイメントになっている・・・。
 
 常にメタモルフォーゼしているにもかかわらず、ちゃんとぶっとい芯のようなものがあり、その範囲で変幻自在に観客と一体化していく彼らののプレイを観て、いや体感して、アタシは放心状態になりました。
 とくにアタシが感動したのは、具体的な曲名は忘れたけど「パチンコ」のような激しいノリだけの曲を全力でやった後、実にしっとりと「JELLY ROLL BAKER S BLUES」を歌ったシーンで、大粒の汗を流しながらの木村の歌に深い感銘を受けたのです。
 ああ、もう憂歌団だ、この人らしかいない。たぶんこの人らを超えるバンドは今後現れないだろうと。それが音楽への関心が薄かった当時のアタシの偽らざる気持ちでした。
 ところが、です。
 ライブに行ってから部屋やクルマの中でも積極的に憂歌団を聴き始めたのですが、どうも、違う。あの、目の当たりにした生の憂歌団とスピーカーから聴こえてくる憂歌団が同一のものとは思えない、それくらい違う。紛れもなく同じなのに、いったい何が違うというのか。
 
 結論を書けば、この人たちの魅力はスタジオ録音ではライブの1/10にも満たないのです。ライブで観客を巻き込んでホールを完全に一体にする能力こそ彼らの魅力であり、それが不可能なスタジオ録音では「キチンと演奏してキチンと歌う」こと以外やることがない。
 だからいつしか憂歌団を聴かなくなった。唯一聴いていたのはライブ録音盤の「生聞59分!」だけで、それとて車内BGMとしても選ばれることはなくなっていきました。
 それでも彼らのライブは何度も行った。そして、すべて素晴らしかった。時にはノリが悪い時もあったけど、そうした「人間、ダルい時もある」というのも含めて大好きだったんです。
 こうしてアタシにとって憂歌団は「ライブには行くけどメディア化されたものはほとんど聴かない」という、きわめて特異な存在になった。たぶんこんな人ら、アタシにとっては最初で最後でしょう。
 
 1995年、いろいろあって、アタシは関西を離れて関東に移住します。
 もうこの頃には憂歌団のライブには行かなくなっていた。しかも彼らのワークフィールドである関西から離れるわけで、メディアによる追体験もしない以上、自然と憂歌団から距離が出来た。
 もしかしたらもう憂歌団を一生、さすがに一生一度もってことはないだろうけど、ライブに行ったり、ましてやスタジオ録音したものを聴くことはほとんどなくなるだろうと。
 音楽の趣味なんて年齢や環境によって変化するのは当たり前であり、この頃にはあれだけ好きだったブルーハーツも聴かなくなっていたし、若干ズレただけで近いうちに憂歌団もそうなるんだなと。
 
 何のことか、この翌年、普通にテレビを付けていたら例の木村のしゃがれ声が聴こえてきた。もう、すぐに、木村だとわかったっつーか、これは憂歌団だとわかったけど、え?どういうこと?こんな仕事するようになったの?と。
 1996年よりはじまった「ゲゲゲの鬼太郎」の第4シリーズで、主題歌の(「♪ ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲェ~」ってやつね)を何故か憂歌団が歌っている。
 けどそもそも元歌からしてブルースアレンジに向くメロディだったし、木村の声も意外にもアニメに(というより「ゲゲゲの鬼太郎」に)ピッタリで、これは上手い起用だなぁと感心しました。
 ま、これからアニソン歌手というか、普通のアニメの主題歌を歌ったりするのは向いてないと思うけど、たまにはこういうのもいいんじゃないの?と。
 ただ、これで憂歌団がメジャー路線に乗るとはまったく思わなかった。それだけはないだろうと。
 
 むしろメジャー路線に乗りたいのはアタシ自身だった。
 ちょうどこの頃から音楽ユニットをはじめ、約1年後に本格派することになるのですが、音楽を始めたからにはやっぱりメジャーデビューくらいしたい。知られた存在になりたい。そのためには、ここいらでPage2に続く。







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