一年未満しか住まなかった街、と言うと、何とも言えない独特の感情が芽生えやすい。もちろん街についてまるで知らない、なんてことはないけど、かといって強い思い入れがあるとまではいかない。それなりに知ってるのに、後年になって再び訪れようとも思わない。
前に書いた「大ヒット曲に隠れて、後年テレビやラジオであまりかかることのない中ヒット曲」みたいな、独特の懐かしさみたいなものがあるんですね。
アタシにとってどこの街が該当するかと言えば、たぶん荻窪だと思う。荻窪に住んでいたのは2001年秋から2002年の夏まで。
荻窪に引っ越してきたことに、能動的な理由は何もありません。
入社して3ヶ月ほど経った頃でしょうか、どうも社長が東京進出を目論んでいるという噂を耳にしたのです。当時のアタシはまだ東京志向みたいなものが残っており(中略)どういう経緯でそうなったのかは忘れましたが、部屋が複数ある広めの住宅を借り、そこのリビングに事務机を置いて事務所とする、なる案が浮上してきたのです。ま、はっきりいえば共同生活です。カッコ良く解釈すれば、上京したてのバンドみたい、といえなくもない(2014年1月31日更新「霊感0感」)
ま、こういった理由で東京に移住することになったのですが、荻窪から離れた理由も能動的ではない。
『現地で採用した社員が増えて手狭になった、さすがにいい年をした男どもが共同生活をいつまでも続けるのは辛い、他諸々理由はありましたが、もっと切実な問題があったのです。
それが幽霊騒動です。(中略)とにかく事務所長(という役職ではないけど便宜上こうする)があまりにも頻繁に金縛りに合うので、これはおかしいんじゃないかとなり、それが他の部屋の社員にも伝播する形で広がっていったのです』(引用元同上)
この騒動のおかげでアタシは人形町界隈にひとり暮らしすることが出来たのですが、以降の経緯は一昨年エントリした超長文連作「決別に花束を」に詳しく書いたから省略するけど、とにかくアタシは唐突に荻窪に住むことになり、そして唐突に荻窪を去るということになったのです。
上記の引用でもわかる通り、住居と事務所が同じ場所なので、いわゆる通勤というものは発生しません。ましてアタシは完全な内勤ですから、極端に言えば朝から晩まで同じ建物内にいるってことになる。
もちろん昼メシを買いに出かけたりはするんだけど、別に出前を取ってもいいわけだし、何ならバイトに買いに行かせてもいい。
つまり駅前にすら行くことがほとんどなかった っつーか。
ま、それでも一日中篭りっきりっての気詰まりだし、あえてちょっと遠めの店まで昼メシを食いに行ったりして気晴らしはしていました。
もちろん休日は積極的に外に出るようにしていた。でもせっかく出るとなったら、もう中央線で新宿とかに行っちゃうんですよ。そりゃあ、荻窪と新宿なら新宿の方が楽しいに決まってる。わざわざ荻窪界隈で留まる理由もないしね。
それでも駅周辺をまったくウロウロしなかったのかというと、さすがにそんなことはない。
というか、マジモンの地元民以外の人に「荻窪」ってどんなイメージがあるんだろうか。
荻窪と付く一番有名なワードは「荻窪ラーメン」でしょうが、何のことか、アタシは荻窪で一度もラーメンを食った記憶がない。別にラーメン屋がひしめいているってわけでもないし、駅前をウロついても特別ラーメン屋が目立っているわけでもありませんしね。
ざっとアタシが記憶に残る場所を挙げていくなら。
◇ なごみの湯
アタシが行ってた頃は「ユートピア」って名前だったはずなんだけど。
名前でわかる通り入浴施設ですが、料金的にもスーパー銭湯ではなく健康ランドになると思う。
わりと広めの仮眠室みたいなのがあって、そこで上映されていた「デンジャラス・ビューティー」を最初から最後まで観たことは妙に印象に残っています。
◇ 伝説の風味焼き ぶたや
伝説って言われるほど美味いかと言われると、どうもそこまででもない気がするんだけど、たまに食べたくなるのも事実で、今でも衝動的に行きたくなります。
◇ こむぎっこ
今となってはたぶん誰も知らない。ま、もうとっくの昔になくなってるんだけど。
とにかく韓国料理の店で、ここの娘がうちの会社でバイトしてたんで、よく行ってました。味も悪くなかったし。
◇ タウンセブン
荻窪といえばここは外せない。とにかく戦後すぐの闇市をそのまま地下に詰め込んだような空気が横溢しており、独特の下世話さと活気は昭和っぽいものが好きな人は必ず惹かれると思う。
◇ 杉並区立中央図書館
住宅街の中に森みたいなのがあって、さらに森の中に図書館があるっつー、独特の佇まいが良かった。
何度も行ったと思うけど、ここで本を借りた記憶がない。場所的にも図書館内で読んだ方が雰囲気があって良かったんだよね。
ま、ざっとこんな感じですが、タウンセブンはともかく、他はどこの街にも似たようなものがありそうな感じで、わざわざ荻窪に行く理由がまったくない。
アタシのように、微妙な懐かしさがあるなら別だけど、東京に行くんなら荻窪は行った方が良い、と人に勧められるスポットは皆無です。
だから「ありそでなさそな」街なのですが、ひとつ、最近知ったどうしても行ってみたい場所があるんです。
それは泉麻人著「東京ディープな宿」で紹介されている「西郊」という旅館です。
建立は1938年。つまり戦前モダニズム真っ盛りの時期なのですが、戦前は高級下宿として、戦後以降は一風変わった旅館として営業しています。(二十一世紀に入ってから新館は賃貸アパートになったらしい)
もう構えからして惹かれる。内装も如何にもこの時代っぽい和洋折衷ぶりで、わかりやすく言えば如月寛多がはだけた浴衣で踊ってそう、というか。(←ぜんぜんわかりやすくない)
宿泊代もけして高くないので、一度は泊まってみたいな、と。
そう考えると、ありそで「ありそな」街に格上げされそうなもんだけど、これとて普通の人が興味を惹かれるかというとね。もちろんアタシみたいに戦前モダニズムフリークにはたまらない場所だけどさ。
荻窪に懐かしさも覚えないし、戦前モダニズムフリークでもない人にとっては、やっぱ「ありそでなさそな」ってのがピッタリくる。
でもそれでいいと思うんだよね。どこまで行っても地元民以外は関係のない、ごくごく普通の住宅街。そういう街が一番東京らしいとも言えるんだから。