グッバイ平成
FirstUPDATE2019.4.30
@Scribble #Scribble2019 #2010年代 #2000年代 #1990年代 #藤子不二雄 単ページ 2位じゃダメなんですか ドラえもん いたわりロボット #みうらじゅん

そういや、みたいな実にいい加減な感じでしかないのですが、どうやら平成も終わるみたいで、ま、これも何かのタイミングだと思ってね、いろいろ書いてみようかなと。つまり何か特別言いたいことがあるってんじゃあ、ござんせん。

今考えても凄いな、と思えるのが「世界で一つだけの花」での、サビの「ナンバーワンではなく、オンリーワンでいい」みたいな歌詞です。(中略)ちょうど平成の中間くらいの時期にこの歌が流行ったってのは、かなり象徴的なことだと思うんです。昭和という時代が「ナンバーワンを目指す」時代とするなら、平成は「オンリーワンで良い」という時代だった。ただ、本当にオンリーワンで良い、となってから、というか、偶然かもしれないけど、この歌が流行して以降、日本の企業の世界的な影響力が著しく衰えた。(中略)はっきりいえば、日本人にオンリーワンは向いてなかったと思うんです。オンリーワンで良い、と言われる中で力を結束して、強い何かを生み出せるような人種じゃなかったと(2016年09月20日更新「再び、オンリーワンからナンバーワンへ」


かつて「2位じゃダメなんですか?」とのたまった某大臣がいましたが、平成という時代を振り返った時、「2位でもいい」とか「ナンバーワンでなくオンリーワン」とか、最初から「負けることを想定した言葉が受け入れられる時代」だったような気がします。
書くまでもないことだけど「2位でもいい」とか「ナンバーワンでなくオンリーワン」とかってね、所詮は慰めの言葉なんですよ。少なくともこれから勝負する人間の言葉じゃない。

何というか、今になって考えれば「だったらお前がやってみろ」に近い情けなさを感じる。
芸能であれスポーツであれ、そういうね、見られることを前提とした仕事において「だったらお前がやってみろ」ってのは絶対に吐いちゃいけないんです。言いたくなる気持ちは痛いほどわかるけど、当の本人がそれを言ってはおしまいなんですよ。

これは別に芸能やスポーツに限らず、どんなことでも1位を目指すのは当然なんです。「1位になるつもりで頑張ったけど、ダメだった」ってのと、最初から言い訳がましく「2位でもいい」とか「オンリーワンだから大丈夫」とか言いながらやるのでは天地ほど違う。たぶんそんな気持ちでやっても2位にもオンリーワンにもなれないですよ。

「ドラえもん」に「いたわりロボット」という回があります。
あまりにも真理を突きすぎたためか、強烈すぎるラストのせいか、長らく単行本に収録されなかった問題作です。
何だかね、どうも、この話ののび太を見てると、今の日本の姿のような気がするんですよ。って気になる方は「ドラえもん いたわりロボット」でググッてね。

別にゆとりだろうが、過剰に神経質だろうが、そういう時代になるのはしょうがないんですよ。アタシには生きづらいように感じるけど、そういう時代なんだと受け入れるしかない。
だけれども「負けても悔しくない」的な歌詞が支持されるってのは本当にマズい。みんなFacebookの「いいね!」の数とかくだらない勝ち負けは気にするクセに、ものすごく<いたわられよう>としているとしか思えないんです。

インターネットのような目の前にいない状況ならば他人とかいくらでも罵倒するのに、自分はいたわられたいとか、そんな勝手な話があるか。
ま、それが人間の本質で、昭和が平成がという問題じゃないのはわかってるけどさ。
こうした風潮に意義を唱えた人も「世界に一つだけの花」が流行った当時からいた。たとえばみうらじゅん。まるでナンバーワンを目指すのが悪いみたいじゃないかと。
つかね、自分と違う意見の人を「時代遅れ」とか「老害」で片付けちゃうと正解が見えなくなると思うんです。

今の方が正しいことはある。そして昔の方が正しいこともある。それが普通じゃないの?何でもかんでも「今が正解!」とか言う人の方がアタマが硬直化してるような、ね。
とにかく平成は終わる。っつーことは平成という時代も昭和同様古い時代になるわけです。かといって令和はまだ何の歴史もない。
だからね、これは千載一遇のチャンスなんですよ。もう今は新しいも古いもない、何が本当に正解か精査出来る大チャンスです。

んでアタシは思う。令和にいたわりロボットはいらない、とね。







Copyright © 2003 yabunira. All rights reserved.