活かせなかったことを恥じるべきレベル
FirstUPDATE2018.8.24
@Scribble #Scribble2018 #芸能人 #テレビドラマ #笑い 単ページ 大泉洋 あにいもうと 明石家さんま 小林信彦

昨年(現注・2017年)でしたか、徹底解剖と称して「男女7人夏物語」の話を書きました。(現注・リライトしたものをココに置いてます)

上記エントリでは、あのドラマが如何に画期的だったか、明石家さんまという<芸人>をどれほど上手く<役者>として使ったかを長々と書いたのですが、あれこそ明石家さんまという存在なくして不可能なドラマであり、リメイクなんてもってのほかです。ま、そんな話もないのは幸いだけど。
しかし、たったひとり、この人なら、まァリメイクは難しいとしても、痴話喧嘩の果てに恋仲になる、なんてロマンティックコメディが出来るんじゃないかと思える人がいます。正確には、いた、というべきか。
何度も名前を挙げている、大泉洋その人です。

大泉洋がタレントではなく「役者」として認められたのは悪いことではないのですが、いまだに本当の意味で役者・大泉洋を活かした企画がないのはどういうことだ、と思うわけで。
今大泉洋に割り振られる役のほとんどは「コメディリリーフ的な脇役」か「暗い顔をした主役」のどちらかです。舞台の方では三谷幸喜に気に入られ、ずっと重要な役で使われているけど、どうもどれもピンとこない。
大泉洋の役者としてのいろんな側面を出したいと思ってやってるのかもしれないけど、そんなのもっと歳を重ねてからでいいんですよ。
それよりも、ある意味ワンパターンかもしれないけど、大泉洋の表面的な良さを全面に出したような役を、それも主演をやらさないでどうする、と。

大泉洋の主演連続ドラマは2009年の「赤鼻のセンセイ」一本で止まってしまいました。(現注・2019年に「ノーサイド・ゲーム」で主演したけど、これはコメディではない)
アタシは大きな期待を持って全話見ましたが、とてもじゃないけど良い出来と言えず、視聴率も絶望的に悪かった。
そして致命的だったのは、あきらかに大泉洋のアテ書きにもかかわらず役にまったく合ってなかったことです。

これはリアルタイムでも書いたのですが、「水曜どうでしょう」などのバラエティ番組で見せた大泉洋のキャラクターは「空気を読めすぎるくらい読めてしまう」のが面白かったのです。しかし何を思ったのか「赤鼻のセンセイ」の主人公は「まったく空気が読めない」キャラクターにしてしまった。
正直こんなキャラクターにしてしまったことに何の意味もない。これがね、脇役ならそれでいいと思うのですよ。でも大泉洋はこのドラマの主役です。いらんことをする必要はまったくなかったと今でも思う。

思えば植木等はバラエティ番組で見せていた「とてつもなく厚かましい」ってのと「どこまでもいい加減で無責任」というキャラクターを肉付けした映画の主人公を演じた。ちゃんと脚本としてテレビでのキャラクターを落とし込んであったわけです。
もし「水曜どうでしょう」他で見せたバラエティ番組でのキャラクターをフィクションのキャラクターとして落とし込んでいたら、「赤鼻のセンセイ」のような、あんな悲惨なことにならなかったと思うし、そもそもあんな内容のドラマにはしなかったと思う。

では大泉洋主演モノに向く題材を挙げるとするなら、最初に書いたような「痴話喧嘩の果てに恋仲になる」みたいなロマンチックコメディ。これは絶対に出来るし面白くなる。
あとは「パパと呼ばないで」や「池中玄太80キロ」のような擬似親子モノのコメディもイケるはずで、変に捻ったものよりオーソドックスな話の方が絶対いいんですよ、この人の場合は。

そう考えれば、先日放送された「あにいもうと」は現時点では最良の企画だった気がする。
ベテラン揃いのスタッフがオーソドックスな話をやる場合に、今一番向いているのが大泉洋で、やや古いが徹底的に手堅い山田洋次のシナリオを大泉洋は「脱線することなく現代の息吹を感じさせる=現代性を保たせた」素晴らしい演技でした。
役柄も今までのような暗い顔をした男ではなく、あくまで「喜劇的演技者による真面目な演技」になっていたし、真面目ったって細かい笑いどころも作っており、現場では大泉洋の演技に共演者が笑いをこらえるのが大変だったといいます。

小林信彦が大泉洋の演技を森繁久彌→渥美清のラインに位置していると絶賛したのも当然です。だいたい大泉洋は昔の辛口の人に賞賛されやすい。筒井康隆も好ましい役者と評していましたし。
大泉洋は芸人でも新劇的な意味での役者でもない。もうズバリ書くなら、彼こそは純粋な喜劇人、もしくはコメディアンなのです。

二十一世紀の世に現れた、主役がつとめられる喜劇人。こんな極めて貴重な人材を、凡百の「何でも出来る器用な役者」なんて枠に当てはめてどうするんですか。
たしかにもう年齢的にはいろいろと遅い。45歳ではやれる役柄が限られる。ロマンチックコメディはもちろん擬似親子コメディも、もうすぐ違和感のある年齢になってしまう。
無駄な回り道をしたな、と思う。そんなことを言ってもどうしようもないのはわかっているけど、ついそう言いたくもなる。

同時に植木等などは幸福だったんだな、と思う。
当時の渡辺プロダクション(つか渡辺晋)の「真面目な役なんていつでも出来る。それよりも観客が求める無責任男を全うすべきだ」という方針は正しかったとしか言いようがない。
その時は植木等本人は不満タラタラだったらしいけど、後世から眺めると下手に真面目な役をやらなくてよかったと思うし、無責任男を貫いたからこそ「本日ただいま誕生」や「新・喜びも哀しみも幾年月」の名演技が生まれたんだと思うしね。

「水曜どうでしょう」の大泉洋をフィクションのキャラクターに落とし込んで、それを発展させたロマンチックコメディや大衆的な擬似親子コメディを見たかったなぁ。何つーか、悔しいわ。







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