このエントリタイトルを見て「こりゃあド下ネタじゃねーか」と思った方は間違いなくド変態級のドエロ野郎です。
だったらテメエもドエロ野郎だろって?
そうですが何か?
いいじゃありませんか。
♪ あァなたもわたしもドエロ野郎~
ってことで。
真面目にやります。
何度もしつこく書いてるように、アタシはブログ、つまりここですね、にかんして一切他人様に読んでもらうことなんて考慮していません。
前も書いたけど、アタシは基本褒められても嬉しがらない人間だし、ブログを褒められようが貶されようが別に収入には変わりがない。tumblr(現注・当時使っていたSNS)に広告収入なんかないからね。
どのみちカネにならないんだったら、他人様からの賞賛より、自分が書きたいことだけを書くのを優先させるのは当たり前です。いわば趣味なんだから興味のないことなんか書きたくないもん。
ただ、それでも、まァ結局は他人様を考慮してってことではないんだけど、それこそ他の人が書いてるブログを読んだ時にね、ああ、こういうことは自分のブログではやらないでおこう、みたいなことはあるわけでして。
昨年から「徹底解剖」と称して特定の映画やテレビドラマを掘り下げた長文を書いてきました。(現注・現在は廃止。タイトルに「複眼単眼」とあるものがその後継だけど「特定の映画やテレビドラマ」といったフィクションの解析よりはずっと幅が広い)
しかし読んでいただいた人にはわかってもらえるだろうけど、一切、ストーリーを書いてないのです。粗筋程度のことすら書いてない。いや、「徹底解剖」カテゴリに限らず、映画の話でも具体的にストーリーを追う、というのはやっていません。
何でそこまで粗筋を嫌がるのかですが、まずひとつが非常にめんどくさい。前に「物語のダイジェストを作るには才能がいる」みたいに書いたけど、そりゃあ、ただ見たまんまを全部書いていくのならある意味ラクですよ。(もちろん文字打ちは面倒だけど)
でも本当に要点を摘んで、かつ、割っちゃいけないネタは割らない「ちゃんとしたダイジェスト」は非常に手間がかかるのです。下手したら通常エントリ10本分くらいの手間と時間がかかる。しかも大変なわりには誰も読まない。自分自身でさえ、過去エントリを読み返した時でさえ飛ばすんだから。
それに、とくに映画はですが、未見の映画の粗筋を読んでも面白くないんですよ。もちろん見た映画の粗筋なんか読む必要はないわけで、果てしなく無意味な行為っつーか。
んで、これは結構決定的な理由なんだけど、長い粗筋入りの文章って何だか幼稚臭いのですよ。
これがね、それこそ双葉十三郎先生みたいに短くサラッと、しかも要点を突いた粗筋だったらいいけど、粗筋を書いたブログの文章って粗筋の箇所がものすごく長い。これが嫌なんですよ。
今年(現注・2018年)「徹底解剖」カテゴリでやった「孫悟空」(現注・リライトしたものはココ)なんか、映画の感想すらほぼ書いてませんからね。じゃあ何を書いてるんだって言えば、作品の成り立ちとか、後世に与えた影響とか、そんなことばっかりです。
だけれども、本来「分析」ってのはそういうことだと思う。<感想>でいいのならどれだけ頑張ってもそんなに長く書けないけど、分析なら調査の仕方次第でいくらでも長く書くことは出来ますから。
もちろん映画であれ小説であれ漫画であれ、論評を書く時に「スジは割らない」というルールはあります。
けど最初に書いたように、このブログ自体が他人様に読んでもらうことを考えてないので、この辺のルールを守るかどうかはわりとどうでもいい。それでも、自分の中のポリシー(ってほど大仰なもんじゃないけど)として、あんまり幼稚臭いことは避けたいし、ついでに面倒なことも極力避けようと。
つまり粗筋を書いたりスジを割ってしまうことにたいして、メリットは皆無なのにデメリットは山のようにあるっつーか。
というか、マジで粗筋は難しいよ。さっき書いたみたいなアタマからケツまで流れを全部書く、ふうのじゃない、適度な長さ、過不足なく魅力を伝えられている、でも中盤以降の展開は極力書かない、そんな粗筋が作れるなんて、持って生まれた能力+相当な修練+手間暇を惜しまない、くらいクリアしてないと無理です。早い話がアタシには出来ないと。
出来ないことを無理してやる必要ないもん。何たってブログは趣味なんですから。