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「植木等ショー」徹底解剖
FirstUPDATE2018.6.26
@クレージーキャッツ @植木等 @植木等ショー @鴨下信一 @砂田実 #テレビ 全2ページ コンセプト 最高傑作 音楽コント ワンマンショー 企画書 小林信彦 PostScript

 紆余曲折の末、何とか船出した「植木等ショー」でしたが、番組開始当初は混乱をきわめていた、と言っても過言ではありません。

 「植木等ショー」第一回の映像を見るとわかるのですが、植木等の表情が異様に硬いのです。これは、普通に考えるなら自身の冠番組のスタートだから、と捉えられるのですが、後に植木等が「テレビ探偵団」に出た際「(客席が)シーンと静まり返っちゃって、盛り上がらない盛り上がらない、やりにくいやりにくい」と語っているところからみても「ヤバい。この舞台は今までクレージーでやってた時とまったく違う」という緊張が表れてしまったとみるのが妥当でしょう。
 結局「格式ある劇場(=日生劇場)で公開収録をする」という、バラエティ番組、ショー番組としては画期的(やりすぎ、ともいえる)な収録はたった3回で挫折します。
 ただし公開収録を完全に止めたわけではない。その後も目黒公会堂などの<庶民的な>場所での公開収録は続けられましたが、スタジオ収録と併用になった。
 残念ながらすべての回の映像が残っているわけではないので公開収録とスタジオ収録の割合は不明ですが、鴨下信一演出分にかんしては1回(「われもし指揮者なりせば」)を除いてすべてスタジオ収録だったと思われるところからしても、ほぼスタジオ収録に切り替わったとみて良いと思う。
 つまり「シノップシス」にあった公開収録にする理由として挙げられた「芸術よりもスポーツに近いものにした方が観客はより昂奮を味わえるから」という理念は、たった放送3回分で早くも崩れ去ったと言うことになるわけです。

 こうして「植木等ショー」は番組のスタートまでだけでなく、番組が始まって以降も企画の大幅変更を余儀なくされているわけで、スタッフも最初は砂田実とプロデューサー兼任で森伊千雄が交互で演出をするはずが、番組が始まってから鴨下信一が呼ばれ、ブレーンとして参加したはずの中原弓彦(小林信彦)が台本を書く、といった事態になります。
 ここまで混乱をきたすと普通なら番組自体が滅茶苦茶になりそうなものですが、植木等というネームバリューとブッキングしたゲストの良さ、そして何より演出の砂田実と鴨下信一の両名が植木等という素材に惚れ込み、徹底的に良さを引き出せたからでしょう。幸いにも視聴率は上昇を続けました。
 そして第11回の鶴田浩二がゲストの回において37.0%(関東地区)という番組最高視聴率を記録することになるわけです。
 たしかにこの時代は今よりも全体的に視聴率の高いのだが、それでも37%という数字(週間番組視聴率ランキングで9位)はすごい。

 「植木等ショー」は最初から2クールの予定だったようで、年内の放送終了(実際は翌年の1月まで)は決定していたようです。
 そして最終回の3回前、第24回で日本のバラエティ番組史上に残る傑作を生み出すことになります
 残された映像からになってしまいますが、「植木等ショー」の最高傑作が第1期第24回「われもし指揮者なりせば」であることに異論がある人はそうはいないでしょう。

 第1期「植木等ショー」は14回から、第2期は全回カラーで制作されたのだから、第1期第24回になる当回は当然元映像はカラーで制作されたはずです。
 現存する「われもし指揮者なりせば」がモノクロの若干不鮮明なキネコなのは残念ですが、しかし、すべての「遅れてきた世代」のクレージーファンはこういった映像が現存することに感謝すべきでしょう。
 これは資料や現存する映像からの推測になってしまうのですが、ジャズ喫茶やジャズ喫茶規模の小ステージはクレージーのメンバーのみで演奏、公会堂や日劇などの大ステージではフルオーケストラを従えて「クレイジーコンサート」と称して大掛かりな音楽コントを行うのが通例だったはずです。
 「クレイジーコンサート」は植木等が指揮者になり、他のメンバーは代わる代わる楽器を持ってステージに登場し、ギャグを繰り広げる。たしかにクレージーのみの演奏を楽しめないのは残念だけど、通常演奏を行わなくても良い分、各人は自由に動けるわけで、コントの幅が大きく広がった。

 結果的にですが、この「フルオーケストラをバックに配置する」スタイルは「8時だョ!全員集合」においてザ・ドリフターズに受け継がれたといっていい。
 志村けん加入後、つまり中期以降は音楽コーナー自体が消滅しましたが、番組開始当初はメインコント→ゲストの歌唱の次に音楽コーナーが設置されており、ここではドリフのメンバーが歌ったり(もちろんギャグ混じりであるけど)、軽く楽器を演奏することもあった。そして加藤茶と西城秀樹によるドラム合戦といった名物も生まれています。
 クレージーがこのスタイルでコントをやった、現存する最古の映像は「10周年だよ!!クレイジーキャッツ」(1965年)ですが、おそらく放送枠に収めるためなんでしょうがかなりカットされており、そのせいかややまとまりに欠ける印象を受けます。
 その点「われもし指揮者なりせば」は最初から「植木等ショー」の放送時間に収まるように構成されており、ショーとして見事に完成されているのです。

 制作の経緯は「クレージーTV大全・植木等ショー!」掲載の鴨下信一のインタビューを読んでいただきたいのですが、とくにすごいのは通常の構成をほぼ排除し、完全に「ハナ肇とクレージーキャッツ」の番組にしてあるところです。
 正式タイトルとはならなかったのですが、企画段階で作成された「シノップシス」と「オリジナル・ビル」には「ワンマン・ショー」というワードが入っていることからもわかるように、この番組は「クレージーキャッツの植木等」ではなく、ひとりのエンターテイナー植木等のための企画であったわけです。
 だから「シノップシス」にも「オリジナル・ビル」にも「他のメンバーを排除することはないが、必要に応じて出てもらう程度に留める」というようなことが記載されています。
 しかし「われもし指揮者なりせば」だけは例外中の例外で、極端に言えばクレージーキャッツという存在を知らない人に「クレージーとは如何なる存在だったのか」を伝える最高の映像資料になっている、とさえ言えるのです。

 台本は谷啓と中原弓彦の合作ですが、あまりにもクレージーらしすぎる展開で、とくにギャグの後に小走りで指定のポジションに戻るとか、よくわからないけど、とりあえずバンザイしておけ、みたいな終わり方など、クレージーでありすぎる。
 定番パターンの桜井センリと石橋エータローがピアノの取り合いになって、植木等が喧嘩を止めるわけでもなく「始まった!石丸さん、あとお願いします」といって消えるのが実に可笑しい。しかも再び現れた植木等が着替えてるのがいよいよ可笑しい。
 演奏される「ラプソディ・イン・ブルー」は、植木等は「これはクラシックです」と言い張っていますが、実際はクラシックとジャズの中間のような作品で、作者のガーシュインはジャズのつもりで作ったと言われています。だから東京交響楽団のようなクラシック系のフルバンドとジャズバンドのクレージーが一緒になって演奏するにはもっとも適した楽曲であり、鴨下信一は最初からこの曲ありきだったというから、これは慧眼でしょう。
 こうした選曲の良さを含めて、クレイジーコンサートの傑作になり得たはずなんです。

 翌年の1月11日分の放送をもって第1期「植木等ショー」は終了となりますが、最終回に岩坂正義さんという植木等のそっくりさんが登場していています。
 アタシの「クレージーTV大全・植木等ショー!」への関わり方は調査のみで、インタビュー、取材には基本ノータッチだったのですが、例外的に岩坂さんにたいしてだけは電話でお話しさせていただきました。
 岩坂さんはあくまで一般人なのでここに掲載するわけにはいかないのですが、若かりし頃、つまり「エースコック そっくりショー」に出場した頃の写真を拝見させていただいた感想を言えば、植木等をひと回りシャープにした感じで、植木等本人が「植木等ショー」の頃よりもハードな雰囲気を漂わせていた初期の「ニッポン無責任時代」の頃にとてもよく似ています。

 こうして第1期は終わったのですが、おそらくこの段階ですでに第2期は決定していたはずです。
 しかしこの間、第1期から第2期の間、つまり1968年2月から6月の間に植木等、そして「植木等ショー」を取り巻く環境は大きく変化していたのです。

 映画の話で恐縮ですが、1968年と言えば、ゴールデンウィークに公開された「クレージーメキシコ大作戦」がコケた年として、ファンには記憶されているはずです。
 ずいぶん昔に「メキシコ大作戦の興行収入はこの年の全邦画中4位なのだから、実はコケてないのではないか」と指摘されたことがあります。
 たしかに興行収入だけをとればそうなのですが、<ゴールデンウィーク興行>で<動員数170万人>というのは当時で言えば失敗なのです。ましてや前々作「クレージーの怪盗ジバコ」と前作「日本一の男の中の男」がともに300万人を超えている上に、前年のゴールデンウィーク作品「クレージー黄金作戦」も300万人近い動員数なのだから「メキシコ大作戦」は半減に近い。
 後に坪島孝が語ったところによると、「メキシコ大作戦」のメキシコロケでのスタッフがとんでもない人数になったらしく、ギャランティはともかく経費面で相当費用がかさんだらしい。
 つまり制作費をかけたわりには観客動員数も約半分となれば、これはコケたと言われても仕方ない。

 痛いのは収支の問題ではなくイメージの低下です。
 とにかく世間的に「あのクレージーがついに失速した」というイメージが付いたのはあまりにも大きく、しかも次世代のコント55号やクレージー直系の後輩とも言えるザ・ドリフターズも台頭してきていた。
 第1期「植木等ショー」の頃は、そうしたマイナスイメージは世間からは持たれていない。植木等と言えばスーパースターであり、番組の面白さ関係なく「あの植木等の番組だから」という理由だけで視聴率が稼げる。
 しかし第2期は「メキシコ大作戦」の失敗で「落ち目」と思われる中でやらなければいけない。今度は逆にどれだけ面白いことをやったとしても、なかなか視聴率が上がらないということになってしまう。
 植木等が不安になって当然でしょう。だからせめて第1期と同じクオリティを保とうと、なるべく同じスタッフでやりたかったのだと思う。

 おそらく、植木等が「植木等ショー」という番組に<こだわりだした>のはこの頃ではないかと思う。
 植木等のワンマンショーを、というのは渡辺晋の思惑であり、当初植木等はノッてはいなかった。しかし砂田実と鴨下信一という植木等の理解者による心ある演出に加えて、植木等の心の中でずっと燻っていた「本当にやりたいことがやれる」番組こそ「植木等ショー」である、と気づいたのでしょう。
 植木等は気分屋で積極的なタイプではないのですが、優秀なスタッフを嗅ぎ分ける嗅覚は鋭く、いわば砂田実と鴨下信一は植木等のお眼鏡に叶った、ということになります。
 ところが(鴨下信一演出回で台本を担当した中原弓彦=小林信彦に言わせると<オフビート>な面白さを狙った)鴨下信一が第2期「植木等ショー」を外れることが決定的になっていたのです。

 植木等はTBSの上層部に自ら電話をかけてまで鴨下信一続投を懇願したと言いますが、ただでさえ「メキシコ大作戦」がコケて焦っているのに、面白いことをやらせてくれる鴨下信一がスタッフから外れるというのは植木等にとって一大事だったことは容易に想像がつく。
 ここまで植木等にたいして「真面目というほどでもない」だの「仕事にたいして前向きなタイプとは違う」など若干否定的な書き方をしてきましたが、その代わりスタッフの能力を見分け、一度信頼したスタッフにはとことん任せるタイプだとも言えるのです。
 植木等が心から信頼したスタッフは谷啓は当然として、青島幸男、萩原哲晶、宮川泰、古澤憲吾といったあたりですが、「植木等ショー」をやることによって、その中に砂田実と鴨下信一も加わった、ということになった、というか。(実際は砂田実とはもう少し古い付き合いだけど)

 現存する「植木等ショー」の映像は、何故か第1期は番組フォーマットが固まる前の序盤に集中しており(例外が第24回の「われもし指揮者なりせば」)、そのせいか第1期は今の目で見るとあまり面白くないのです。
 植木等にどうやっていいのか戸惑っている様子がはっきり見て取れるし、何より番組にたいする熱量もまだ薄い時期です。
 ところが第2期は「何がなんでも面白くしてやる」という植木等の意気込みが見えて、現存する映像で比べる限り第2期の方がはるかに面白い。
 鴨下信一が外れた影響からかオーソドックスなスタイルのショー番組にこそなったのですが、映画の植木等ともクレージーの一員としての植木等とも違う、のびのびした植木等像を作ることに成功したと言えます。
 何としても成功させたいという気持ちもあってか、第1期でしきりに歌いたがったというメランコリックな楽曲はあまり歌わず、あくまで世間からの植木等像に近いところで勝負していったというふうにも思える。

 現存する中でとくに優れていると思えるのが第16回「植木等の大カマトト!」と第22回「植木等の大ショック」です。
 どちらもメインの楽曲のオリジナルが外国曲ということで極めてソフト化が難しく、実際に見たことがある人が限られているのが残念ですが、これらの回を見る限り、華やかなレビュウ的なことをやらせたら、日本で植木等に敵う人はちょっといないと思わされます。
 「おお植木ショー(「おお宝塚」の替詞)」や「大ショックのテーマ(「運が良けりゃ」の替詞)」など、あくまでゲストをたてながら扇の中央で誰よりも光り輝く植木等は本当にすごい。
 それにしてもレビュウ出身でない、一介のギタリストだった人がいったいどうやって、このレビュウ感覚を身につけたのだろう。もちろん「シャボン玉ホリデー」他で鍛えられたこともあるとは思うのですが、それにしても植木等はズバ抜け過ぎている。
 こうした味が映画で活かされなかったのがつくづく悔やまれます。

 植木等はまったく司会に向いていないし、「植木等ショー」という番組を成立させるために、いわば不向きでしかもやりたくないことをやらされた番組とも言える。
 しかし司会者ではなく番組のホストとして見れば、いくらゲストをたてても最終的に植木等が目立ってしまうという点において、まことにワンマンショーに相応しい人だったと思う。
 少なくとも、クレージーの活動を後年振り返るにあたって、「植木等ショー」を見ているのと見ていないのでは評価が変わってしまう。ある意味伝説的番組「シャボン玉ホリデー」より重要である、とさえ言えてしまう。
 こんな製作上のゴタゴタが多かった番組を後世に残すべきレベルにまで引き上げたのは、砂田実や鴨下信一といったスタッフの力量と、何より植木等の思い入れとやる気があればこそです。

 もし植木等が生きていたとして、「植木等ショー」をどう思うかと問うたなら、きっとこんな答えが返ってくるはずです。
「あれ、やっといて、良かったな」

アタシもかかわらさせていただいた「植木等ショー!クレージーTV大全」ですが、その時こぼれた話から自分なりの「植木等ショー」論を書いてみました。
とはいえ一応「クレージーTV大全」にかかわらせてもらった手前、こういうのを書くのはどうかとは思ったのですが、ま、もうディスコンになったみたいだし、そろそろいいのでさないか、と思いましてね。




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