ボツにしたテキストに「ヤブトラダムスの大予言」ってのがありました。
「「近い将来、世の中からフィクションが消滅する」という大胆極まる内容だったんだけど、読み返してみると、思ったほど説得力がない。突飛な内容で説得力じゃないんじゃあ、これはボツにするよりしょうがないわけで」(2018年1月10日更新「封印されたyabuniramiJAPAN 2017年分」より)
んで、今回のエントリタイトルが「ヤブトラダムスの大余談」。まるで上記の内容をリトライするみたいに思われるかもしれませんが、ぜんぜん違います。
じゃ、何をやるのか、ですが。
ブログなるものを書いているとね、つい別のことが思い浮かんじゃうんですな。ま、大抵は我慢するんだけど、時として我慢出来なくなって「余談ですが」みたいな感じでその時浮かんだことを書いたりしちゃう。
ま、一応題材とまったくかけ離れてはないし、手短にやればよろしいんじゃないッスかね?くらいの気持ちで結構頻繁にやってしまうわけで。
「大抵は我慢する」のに「結構頻繁にやってしまう」とはどういうことだ、と言われるだろうけど、我慢しても頻度としては頻繁と言われるレベルになってるわけで、つまりは一切我慢しないとエントリが余談に埋め尽くされてしまうっつーかさ。
そこでアタシは考えた。ならばこんなことをやったりしたら楽しいんじゃないか。
例えばしりとりでも、最初のワードが必要です。だからとりあえずテキトーな言葉を決める。ま、大抵「しりとりなんだから「しりとり」でいいんじゃね?」みたいになるんだけどね。で、しりとりの「り」からリンゴ→ゴリラ→ラッパみたいな感じで続いていくわけです。
んでこれをブログでやってみようと。
具体的にはとりあえずテキトーな題材を決める。で、そこからどんどん余談で繋げていくのです。
当然最初に決めた題材はどっかにすっ飛んでいってる。でも構わない。何故なら主役は最初に決めた題材ではなく「余談」の方だから。
ま、んなくだらないことを思いつきはしたんだけど、たぶんやらねぇだろうなと。
しかし、ふと、「ヤブトラダムスの大余談」という駄洒落を思いついた。内容に則した実にくだらないエントリタイトル。そこから一気にやる方に気持ちが傾き、晴れてこのテキストを書くに至った、とこういうことです。
ただ今回は「こーゆーことを、やりますッス!」という説明が長くなったので、もう余談がそんなに書けなくなってしまった。これ、たぶん今後もたまにやろうと思ってるので、今回のはプロローグだとお考えください。
プロローグと言えば、アタシも当ブログに長文を書く時にはプロローグと称するエントリを入れたりするけど、あれ、本当に意味があるんだろうか。
コトバンクによればプロローグの原型は紀元前からすでにあったらしいけど、わざわざプロローグなんて銘打たなくても普通に第1章とか第1幕とかでいいはずなんだよね。
でも「プロローグ」とやった方が、何となくそれっぽい。くだらない文章や芝居でも、もっともらしくなる。
もっともらしい、とか、ハッタリとか、忌み嫌われる傾向にあるけど、やっぱそういうのは大事なんですよ。ブログ如きでも、何らかのハッタリがあった方が人々は読んでくれるもん。
ハッタリのカマし方は何でもいいんだけどね。管理人の肩書きでも、如何にも研究しましたって証拠でも、一流企業ふうのサイトデザインでも。
ま、アレですよ。中身で勝負!なんて息巻いてるのに限ってロクな中身がなかったりするから。
ハッタリといえば、先ごろ放送が終了した「とんねるずのみなさんのおかげでした」の最終回(とコントの最終回)を見て、ああそうだったと。
アタシもすっかり忘れてたんだけど、若い頃の石橋の魅力って「ハッタリ芸の面白さ」だったんですよ。
木梨は何故かそんなふうには言われず、もっぱら石橋だけだったけど、もうこれでもかってくらい生意気だとか天狗とか言われてね。
今は同類の人がいないので説明がいるんでしょうが、石橋の場合は毒舌とかじゃないんです。かと言ってさして暴力的でもない。
「夕やけニャンニャン」のタイマンテレフォンのコーナーなんか石橋のハッタリ芸を上手く活かしたもので、ま、要するに電話越しで喧嘩をするってコーナーなんだけど、口喧嘩の上手さとかぜんぜん関係なくて、石橋がハッタリをカマしまくって、タイミングを見計らって一方的に電話を切る、というね。つまりそれが芸になってたから笑いになったんです。
インタビューなんかでもとにかく石橋は「吹く」んです。吹いて吹いて、となったら最後は自虐でオトすのが基本だけど、タイマンテレフォン同様自分の都合だけでさっと切り上げるのが上手かった。
ただハッタリ芸って視聴者側に精神的余裕がないと通用しないんですよ。とんねるずがのし上がった時期はバブル前夜だったからみな余裕があったけど、今は違うもんねぇ。
バブル前夜といえば、もしかしたら今と一番違うのは「我が街にチェーン店が出来るのが嬉しかった頃」ってことかもしれない。
マジで嬉しかったんですよ。そりゃコンビニとかなら単純に便利になるんだけど、利用する予定も機会も一切なさそうな引き出物販売の店でさえチェーン店ってだけで嬉しかった。それくらい普通の街にチェーン店はなかったから。
それがバブル期に入ったくらいからどの街にもチェーン店があるのが当たり前になり、今では「チェッ!チェーン店かよ。店が出来るなら個人経営の店の方が良かったのに」みたいな感覚さえ生まれた。いや世間一般はどうかはわからんけど、アタシ個人はそうです。
チェーン店がやたら出来るのが何が嫌といっても、街の風景が全部一緒になってしまうんですよ。つまり街の特色が消える。これはつまらん。
でも便利になったでしょ?と言われてもね。買い物といっても今はamazonとかも使うし、隣町へ行ってもチェーン店である限り置いてあるものが同じ、となったら、もしかしたら逆に不便になったのかも、とさえ思う。
不便といえば、あ、もういいか。とにかくこんな感じでやります。人が読んで面白いかはともかく、アタシ的にはかなり楽しいんで。