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複眼単眼・孫悟空
FirstUPDATE2018.2.7
@戦前 @エノケン @岸井明 @柳田貞一 @山本嘉次郎 #複眼単眼 #映画 #東宝 #音楽劇 #戦争 全2ページ @孫悟空 検閲 @エノケンのざんぎり金太 色川武大 小林信彦 PostScript

 ここからしばらくは話半分に聞いてもらいたい。ま、多少は証拠めいたものがあるとはいえ確証が取れてるわけじゃないんでね。

 「孫悟空」は音楽劇であり、アクション劇であり、また喜劇でもあります。さらにファンタジーの要素もたっぷり取り込んでいる。
 日本で「孫悟空」が作られる前年にアメリカで「オズの魔法使」というファンタジー映画が作られた。もちろんジュディ・ガーランドの主演作品です。
「オズの魔法使」はモノクロ映画として始まりますが、魔法の国に着いた途端カラー映画になる。いわゆるパートカラーというやつです。
 作品の内容と相まって、パートカラーが抜群の効果を上げており、時代を超えたと謳われる傑作になったのは周知の通りでしょう。
 アタシは「孫悟空」は過去に作られた西遊記映画ではなく、もっとも影響を受けたのは「オズの魔法使」だと睨んでいる。とくにおとぎの国のセットが「オズの魔法使」の魔法の国のセットに酷似しているからです。
 しかし「孫悟空」が制作される前の時点では、日本で「オズの魔法使」は公開されていない。もちろん映画関係者なら何らかの方法でフィルムを入手することは可能だろうし、実際目の当たりにして見事に影響された、とするのが妥当です。
 しかし公開されてないから、パクリだの何だのと言われないというのも都合がいい。

 そして、本当に真偽はわからないのですが、実は「孫悟空」も「オズの魔法使」同様パートカラーで制作された、という話があるのです。
 カラーで撮影されたフィルムは残っていないし、本当か否か確認しようもないんだけど、一部関係者がそう証言しているし、当時の新聞広告には「総天然色」(もしくは「着色版」)という文字が踊っているものも存在します。

 念のため申し上げれば、「孫悟空」が封切られた1940年の時点で、日本では長編カラー映画はただの一本も制作されていない。もちろんパートカラーも、です。1937年に「千人針」という中編のカラー映画が制作されているけど(これは一部のみ現存している)、本邦初の長編のパートカラー映画、となれば衆知の関心を引くのにこれほど強力な武器はない。

 正直これ以上のことはわからない。本当に一部とはいえカラーフィルムで撮影されたのか、また撮影されたとしてもパートカラー作品として劇場で公開されたのかなど、何ひとつはっきりした証拠がないのです。
 しかし実際にカラーフィルムが使われたかどうかはともかく、大手映画会社としては初めてカラー撮影に挑戦しようとした、というのが本当であれば、これはとんでもない意気込みです。
 もしパートカラーなら、おそらくおとぎの国のシーンがカラーであったのは確実で、もしほんの一部でもカラー映像が残っていれば、映画史を揺るがす大事件になると思う。
 ただ残念ながら映像どころかスチールすら一枚もカラーのものは存在が確認されていないのですがね。(カバー画像はディープラーニングによって人工着色した上で合成したものです)
 以上、真偽不明の話、おしまい。

 さて、アタシがここまで「孫悟空」について書いてきた理由は、たぶん日本の喜劇映画史の中で、もっとも本気で作られた作品だと思うからです。
 それはPage1で述べたような特撮の導入や、先程の真偽不明ながらパートカラーで撮影された、ということもある。
 しかしスタッフからキャストに至るまで、ベストの仕事をしようという熱気が映像から溢れているからなんです。
 というわけでここからは、主演者であるエノケンにスポットを当てたい。何より熱気に溢れているのはエノケン当人なんだから。
 エノケンの喜劇人人生を深追いする気はありませんが、彼は根っから音楽喜劇好きで、晩年、テレビコメディに出演した時でさえ、すぐにミュージカル的なことをやりたがったといいます。
 そもそもエノケンのスタートは浅草オペラのスターだった柳田貞一に弟子入りしたことから始まったわけで、その後喜劇的素養を認められて地位を掴むことになるのですが、エノケンにとっては「笑わせること」と同じくらいの比重で「歌うこと」があったはずなんです。

 紆余曲折の末、東宝の前身のひとつであるP.C.L.で主演映画を撮り始めたエノケンでしたが、彼が標榜する「シネオペレッタ」(これは山本嘉次郎による造語らしい)の域まではなかなか到達できなかった。
 もちろん幾多の挿入歌が入った映画ではあったんだけど、笑いと音楽が完全に一体となったシネオペレッタは当時の技術では極めて困難だったのです。
 最初期はダビング(映像と音を別撮りして後で重ね合せるという意。つまりアフレコやプレスコ)すら難しく、日本で最初の屋外ロケでのレビュウシーンを挿入した「エノケンの青春酔虎伝」は何と生バンドをロケ先まで連れていき、その場で演奏させて、もちろんエノケンや二村定一もその場で歌っている。
 だからよく聴くと風切り音やノイズ(ヒスノイズやホワイトノイズではなく文字通り<物音>)が聴こえてくるんだけど、それが一発撮りの迫力となって「限りなく生のエノケンを見ている」という錯覚に陥るんですよ。

 その後も「エノケンの近藤勇」では音楽と動きを完全にシンクロさせたり、「続・エノケンの千万長者」では当時流行りのニグロ歌手を模した素晴らしいレビュウシーンがあったりするのですが、全編にわたって音楽が鳴り響くような映画はなかなか作られなかった。
 この間もエノケン映画の人気は上昇を続けたけど、庶民が喝采をおくったのはエノケンの喜劇的演技であって、色川武大のように「映画を撮っていた頃のエノケンはギャグが枯渇しており、レビュウの人として見ていた」という人は極めて稀だったと思う。
 そうなると当然映画から音楽要素が薄くなり、ギャグが重要視されるようになる。色川武大が指摘した通り「ギャグが枯渇して」いたエノケン映画は今の目で見るとまるで笑えないんだけど、とりあえずそれは置いておく。
 エノケン自身が「最後の輝き」として挙げた舞台が、1941年に東宝国民劇として公演された、音楽要素の詰まった「エノケン竜宮へ行く」なのだから、映画から音楽要素が薄くなることに忸怩たる思いがあったことは想像に難くない。

 これは山本嘉次郎とて同じだったはずです。
 山本嘉次郎は当時の監督としては非常に珍しく「譜面が読める」人だった。エノケンが山本嘉次郎に全幅の信頼を置いたのは「そこ」だったと言われますが、総決算のつもりで作られたと思われる「エノケンのざんぎり金太」も「エノケン喜劇」の総決算ではあったけど「エノケン音楽劇」の総決算にはなっていない。
 ならば、この際、潤沢な予算を使って、そして東宝が抱える人材を総動員して、エノケン音楽劇の総決算を作ろうと目論んだのではないか。
 音楽劇というのは、本当に手間暇とカネがかかるのですよ。みすぼらしいセットで歌い踊っても音楽劇ならではの華やかさが出ないし、歌えるスター、踊れるスターを取り揃えるだけでなく、バックダンサーを湯水の如く使わなければ、これまたショボくなる。
 もちろん、豪華なセット、歌うスター、踊るスター、大量のバックダンサー、どれも予算がバカにならない。
 しかし東宝の威信をかけて莫大な予算で制作される「孫悟空」ならば、エノケンと山本嘉次郎が夢見た「音楽が全編にわたって鳴り響くシネオペレッタ」が可能になる。

 エノケンが歌うのはもちろん、岸井明、金井俊夫、服部富子、北村武夫、李香蘭、汪洋、高峰秀子、渡辺はま子、宏川光子、北村季佐江などが代わる代わる歌い、当時トップダンサーだった益田隆や日劇ダンシングチームが踊る。
 これはもしエノケン映画として作られていたのならこれだけのメンツをブッキングするのは到底不可能で、主演はエノケンだがあくまで東宝が全精力を傾けて制作する超大作でなければ無理だったはずです。
 音楽担当もエノケン一座の人で、ほとんどのエノケン映画で音楽を担当していた栗原重一を指揮に据え、そこにベテランの鈴木静一が加わるという盤石の体制を敷いているのもすごい。

 西遊記は7世紀の、今の名称でいえば中国が舞台ですが、「孫悟空」は原作に捉われず、何でもありのハチャメチャファンタジーになっています。
 中国っぽいのは出だしだけで、あとはアラビア風になったり、「オズの魔法使」のような幻想的なおとぎの国に行ったり、未来の国ではテレビモニター(もちろん日本でテレビジョンの本放送が始まるはるか前)まで登場する。
 かと思えば浅草オペラのヒット曲をメドレーで歌ったり、孫悟空たちが元気になる場面では「ポパイ」の音楽が鳴る、というサービスぶり。他にも「オレたちひょうきん族」のタケちゃんマンとブラックデビルを思わせるエノケンと高勢実乗の変身合戦、なんて趣向まで入っている。
 映画そのものが「何でもあり」なのだから、当然音楽も何でもありになっていて、砂漠の国で流れるのは「アラビアの唄」を換骨奪胎したようなメロディだし、未来の国ではちゃんと電磁波っぽいノイズ音が使われている。(どうやって作ったのだろう?)
 他にも「三匹の子ぶた」の挿入歌「狼なんかこわくない」、「ピノキオ」の挿入歌「星に願いを」、「白雪姫」の挿入歌「ハイホー」の旋律が「まるまる」使われているのはすごいというか何というか。
 そうはいっても当時の日本映画では外国曲に歌詞だけ翻訳して歌うなんて普通のことだし、この時点でとくに「デ◯ズニーが特別うるさい」ということもなかったわけで、騒ぎ立てることではないのですがね。

 多彩を超えた雑多でカラフルな音楽、ハリウッド映画にもヒケをとらない大量のダンサーを投入したダンス、何より戦前モダニズム文化の粋を集めてレビュウシーンを素晴らしいものにしようとした情熱。
 これらが本当に一体となっている戦前作品では「孫悟空」が最高で、今も評価が高い、戦前に作られた音楽喜劇映画の「鴛鴦歌合戦」や「歌ふ狸御殿」よりも「孫悟空」の方が完成度も高い、というのが私見です。
 しかし、ここまでこの作品を賞賛気味に書いてきてナンですが、実際、日本の映画史上もっとも重要な作品100選には入るとは思う。それくらいのエポックメーキングな作品なのは疑う余地はない。
 だけれども「面白い作品」という観点になると100選どころか1000の中に入るかも怪しい。

 まず、これはどうしようもないことなんだけど、ギャグがほとんど笑えない。戦前の喜劇映画に共通していえることとはいえ、正直爆笑とは程遠い感情しか湧いてこないのです。
 しかし、これは強調しておきたいのですが、これでも戦前の喜劇映画の中では、エノケン映画との比較でも「まだ笑える方」なのです。
 小林信彦の「一少年が観た<聖戦>」の中で「孫悟空」でのエノケンについて「この映画でのエノケンは面白くない」との記述がありますが、アタシはそうは思わない。というのは「孫悟空」でのエノケンが頭抜けて面白いからではなく、エノケン映画のエノケンがたいして面白くないからに他ありません。
 小林信彦が面白いと評する「エノケンのどんぐり頓兵衛」や「エノケンのちゃっきり金太」あたりは、正直アタシにはあまり面白くないんですよ。(「ちゃっきり金太」にかんしてはビデオになってる版より30分ほど長い最長版を観ての感想だと言うことをお断りしておく)

 個人的な、「孫悟空」を除く戦前エノケン映画のベスト3は、「エノケンの魔術師」、「エノケンの誉れの土俵入」、「エノケンのざんぎり金太」で、次点が「エノケンの頑張り戦術」、「エノケンの爆弾児」、「磯川兵助功名噺」、「天晴れ一心太助」といったところか。(いずれも順不同)
 純粋なエノケン映画ではないので選外としましたが、長谷川一夫とエノケンが共演したオールスター映画「待って居た男」は純喜劇ではないのでギャグ自体は少ないとはいえ、ユーモアミステリとしてはよく出来ている。
 これらの作品でのエノケンと比べて「孫悟空」でのエノケンが特別つまらない、とはいえないんです。

 エノケンというのはフシギな人で、理由はさっぱりわからないのですが、ダメな時期の作品はとことんダメなのですよ。
 逆に良い感じの時は作品自体も良くなる傾向があり、1939~1941年あたりに良作が集中している。1942年以降は自身の問題ではなく、時代の影響で制限が強まっていったから評価保留にするにしても、終戦を迎え、少なくともエノケン映画のようなイデオロギーのない作品にとっては自由な時代になったら、今度は何故かダメになった。
 まァ、この辺のことは主題から逸れるので割愛させていただきますが、そう考えれば「孫悟空」はエノケンにとって最良の時期に作られた作品であるといえるはずです。
 つまり今の目で観て笑えるかはさておき、エノケンらしさは随所に発揮されており、せっかくの超大作をエノケンが足を引っ張っているとはなっていない。むしろエノケンの華と説得力がなければ、ハチャメチャなファンタジーとして作られた「孫悟空」はバラバラになっていた可能性すらある、と思うくらいなんです。

 そしてもうひとつ。自分が人に無条件で「孫悟空」を勧めることが出来ない理由は、モノクロ作品である、ということです。
 Page2の冒頭に書いたように、制作段階でパートカラーだった可能性はあるといっても、現存しているのがモノクロフィルムのみなのだから意味がない。
 ファンタジーというものは賑々しければ賑々しいほど、きらびやかであればきらびやかであるほど良い、というのが持論なのですが、いくら大金をかけ、豪華なセットと豪華なキャストを揃えたとしても、モノクロというだけで魅力が半減どころか数分の一になってしまう。
 しかしこれとて制作された時代を鑑みれば、出来ることは100%やっているのは間違いないわけで、これまた製作陣を責めることは出来ない。
 ただ、つくづく、カラーシーンが現存していないのが残念なだけです。

 これだけは言える。邦画史上、ここまで「たかが」娯楽映画に全スタッフ、全キャストが情熱を燃焼させた作品はほとんどない。
 数々の長所があるには違いないけど、マイナスが大きすぎて長所をすべて打ち消している、という見方に反論する気は無い。
 しかし80年近く前の作品にたいして、必要以上のネガティブ意見をぶつけるのは野暮でしょう。それより今こそ、人々が戦前にたいして持っている暗いイメージを根本から覆す「孫悟空」に賞賛を贈るべきではないかと思ったり。
 とはいえ視聴してもらわないことには始まらないわけですが、幸い、ムック本の付録という形とはいえ、2020年には遂にDVD化された。これもディスコンになってはいるのですが、VHSしかなかった頃に比べるとかなり視聴しやすくなったと言える。

「モノクロ映画です」
「ギャグは笑えません」
「今の目で見るとダンスもけしてレベルは高くありません」
「ハチャメチャで整合性なんか皆無です」
「知ってる役者はたぶんほとんどいないと思います」


 もし、これらのことを了承していただいて、なおかつ「よっしゃ!ミナまで言うな」と思っていただけるのであれば、本当に心の底から観て欲しい。
 時間の無駄だったと思われる可能性もあるけど、逆に「こんな映画があったのか!」と驚いてもらえる可能性もあると信じているからね。

しかしまあ、怒涛の動きがあったもので、2020年に「黒澤明DVDコレクション」として「孫悟空」がDVD化されたと思ったら、今度は后篇(後編)のオープニングが発見されて、それが付加された形で単独でDVD化されるとは!
でも出来ればBlu-rayで出して欲しかったな。ま、衛星劇場で(おそらく)リマスタリングされた高画質なものが放送されたから良かったけどね。




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