すぐやる化
FirstUPDATE2018.1.25
@Scribble #Scribble2018 #テレビ #笑い 単ページ 萩本欽一 #さまぁ~ず モヤさま 紅白歌合戦 有村架純 福田典子 #明石家さんま #2010年代 #大晦日 tumblr

去年の大晦日の話です。ま、テレビの話だけど。
とにかくモヤさまのハワイの回の再放送をやってたんで見てたんだけど、あれ見るとやっぱ今の福田アナはいろいろダメだわ、と痛感しました。

モヤさまについては「2017年テレビ総まくり」で「ダラダラした番組なんだから、せめてアシスタントはピシッとしたアナウンサー喋りをすべき」みたいに書いたけど、どうもそれだけじゃないぞと。
話は変わりますが、萩本欽一の発言は深いものが多いのですが、同時にわかりづらいものも多く、前に書いた「100万円全部見せちゃダメ」なんて、あまりにも噛み砕けなさすぎて笑ってしまいます。こんなん、文字でならともかく、耳で聞いて一発で理解出来る人なんていないよな。

他にも「考えちゃダメ」ってのもね、理屈はわかるけど納得しづらいというか、バラエティ番組に出たら思考停止した方がいいのか、みたいに捉えられちゃう可能性がある。これはあんまり良くない。
バラエティ番組において次にどんな行動をすれば良いのか、その答えが「思考が不必要」というのは納得がいきづらい。そして本当に思考を止めてしまうと、やっぱり成り立たないわけで、つか考えちゃダメってのも考えないってことになってしまうから。
考えるのはひとりで十分(萩本欽一の番組なら萩本欽一ひとりだけ)、あとは操り人形に徹しろ、みたいに思われてもしょうがないと思うんですよ。

アタシ流に萩本欽一の発言を解釈するなら「思考の時間は短ければ短かいほど良い」そして「短時間で思考出来ないのであれば何も考えない方がマシ」ということになる。
つまりは「考えるっていう余計な<間>を作るな」ということなんですね。違う?
人間ってね、考えてる時は、やっぱり考えてる顔になるんです。当然その思考中は流れが止まる。考えてる時間の分だけ間が空く。これではどれだけ素晴らしいアイデアでも笑いは生まれない、と。

とくに女性は如何にも「今考えてます」みたいな表情になる人が多いんです。
今年(じゃねえな、昨年か/現注・2017年)の紅白でも思ったけど、有村架純なんか典型的な「考えてる顔」になっちゃう人なんですよ。たしかにそういう表情があると一所懸命やってる感じにはなるんだけど(それはNHKの狙いでもあると思う)、そうした表情が増えると妙に醒めた感じにもなりやすい。だって流れに乗ってないんだから。司会が流れに乗ってないと番組がシラジラした感じになっちゃうのはしょうがないんです。

「良く考える」というのは誠実だったり真面目と捉える人もいると思うんだけど、少なくともバラエティ番組のようなエンターテイメントで流れを止めてまで、要するにテンポを乱してまで「良く考える」なんて害悪でしかない。
もし、どうしても「良く考え」たいのであれば、最低でも「今考えてますよ」ふうに見えないゴマカシをやらなきゃいけないんです。
「さんまが例の引き笑いをしている時は次のことを考えてる時」なんて言われますが、あれはしっかり考えながらも不用な<間>を作らないようにする、さんまの編み出したテクニックです。

しかし所詮ペーペーのタレントやアナウンサーがさんまのような高等テクニックが使えるわけがない。考えてる時は考えてる表情になってしまう。もちろん考えてることによって<間>も出来てしまう。
ならば、なんです。
そんなテクニックないんでしょ?だったら一切考えずに、とにかくやってみようってのは。
ここまで説明したら萩本欽一の発言はもっともとしか言いようがないんですが、いきなり「考えちゃダメ」ってのはね、いくらなんでも説明が足りなさすぎるだろ、と。

モヤさまの福田アナも有村架純同様「考えてる」ってのがモロに出るタイプで、不用な間が出来てしまって番組にテンポが出ない。
その点、大晦日の再放送で久々に見た狩野アナはまるで考えていなかった。さまぁ~ずの「やれ」と言う言葉に、聞くのが早いかやるのが早いかレベルで、すぐにやる。
結果、仮に狩野アナの行動が面白くなくても番組のテンポは損なわれない。もちろんハマった時は笑える。

さっきから「モヤさまはダラダラした番組」と書いてるけど、全体的にダラダラしてるからこそ細部はテンポ良くやらなきゃいけない。そうでないと番組として成立しなくなってしまいます。
となるとアシスタントのアナウンサーの技量で番組の良し悪しが変わってしまう。
アタシがあまり好きでなかった大江アナの時も、狩野アナの時も、こないだ一回こっきりでやった大橋アナの時も、みんな基本「すぐやる」んです。ところが福田アナだけ思案ののち、行動に移しているわけで。

何というか、アタシは「さまぁ~ずへの信頼度」の問題だと思う。
おそらく大江アナも狩野アナも、さまぁ~ずに全幅の信頼を置いていたと思うんですよ。さまぁ~ずの言うことなら面白い、下衆なことでもアナウンサーとして許されるギリギリの下衆さで抑えてくれる、みたいな。
逆に言えば、もし仮に面白くなくても、アナウンサーとしての行動として逸脱したとしても、それは自分たちのせいではない、という開き直りもあったと思う。

モヤさまはさまぁ~ずの冠番組です。つまり全責任はさまぁ~ずが取らなきゃいけない。だから福田アナもさまぁ~ずに全責任をおっ被せて、どうなっても知らないよ、みたいに開き直ればいいんですよ。
ま、福田アナの「やり方」をひと言で言えば「小賢しい」ということになる。さまぁ~ずの考えよりも自分の判断を優先させてるってことになるんだから。
つか福田アナ個人にとってもこれは良くないよ。このままだと「真面目かもしれないけど、頑固で自分の考え優先」みたいなイメージになっちゃうよ。

これってバラエティか報道かとか関係ないと思う。そういうタイプの人と仕事したいと思う人なんか、あんまりいないと思うんだけどねぇ。







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