シティでもボーイズでもないけど
FirstUPDATE2017.10.25
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別に自分の人生を塗りつぶすつもりでブログを書いてるわけじゃないんだけど、1980年代以前のこと、んで2000年代以降のことはわりと書いてるのに、1990年代のことを意外と書いてないってのに気づいてね。

それでも1990年代後半にかんしては、音楽をやってた頃の話とか、編集者時代のこととか、こないだも「決別に花束を」なんていう超長文を書いたりもした。だけれども1990年代前半についてはほとんど書いたことがない。
なので1990年代前半について何か、と思ったんだけど、考えてるうちに「シティボーイズ」という名前がせり上がってきた、というわけで。

アタシが高校生の頃だったかに「どんぶり5656」というね、実に風変わりなコント番組が深夜に放送されていたんです。
関西ローカル番組なのに出演者は東西混合という奇妙な組み合わせで、関西からは西川のりおやタージン、関東からは竹中直人、シティボーイズ、中村ゆうじ、といった面々で、関西からの出演者が土着的な人ばかりなのにたいし、関東の人らはシュールでサブカルの匂いがする人たちを集めていたんですね。

リアルタイムでの記憶しかないから正確な判断は出来ないんだけど、ものすごい面白い番組だったのかと言われると、そこまでは思ってなかった。ただ違和感と物珍しさは強烈で、笑うためというよりは異様な空気感を味わうために見ていたって感じでした。
そういうね、スノビッシュなもんてのは、何しろ高校生ですからね。敏感なんですよ。

大学に入って、笑いに目覚めたって話は何度も書いてるけど、この頃猛烈に観たい舞台がありました。それがラジカル・ガジベリビンバシステムの舞台で、その夢が叶ったのは1988年のことでした。
ラフォーレ原宿で行われた「最後の正月」はそれまでのラジカル・ガジベリビンバシステムの舞台に比べると「わかりやすい」と言ってる人が多かったけど、それでも関東流のシュールな笑いの世界は当時のアタシを虜にするには十分でした。

ラジカル・ガジベリビンバシステムを簡単に説明しておくと、竹中直人、シティボーイズ、中村ゆうじといった先に挙げた「どんぶり5656」に出ていた人たちが中心となって作られたユニットで(もちろん関西系の人たちはいない)、途中で竹中直人が抜けてシティボーイズと中村ゆうじが中心になった。
中村ゆうじは長年大食い番組の司会をやってたのでわかると思いますが、ではシティボーイズは?と言われても、もしかしたらわからない人も多いんじゃないかと思います。

シティボーイズは大竹まこと、斉木しげる、きたろうによるコントトリオで、今は個人での活動が中心ですが、今もってトリオは継続しています。(テレビで3人が揃うことはまずないけどね)
アタシは何のことか、大竹まことを除く2人とは実際に会ったことがある。ま、本当に会っただけだけど。
きたろうについては前に書いたはずだけど、大学時代に「なっとく歴史館」っていう番組のエキストラで参加した時に会った。舞台やテレビのまんまのトボけた味の人で、別にエキストラを笑わせるつもりはないんだろうけど、ポソっと面白いことをつぶやく。ああ、こういう芸風、いいなぁ、と感心したことを憶えています。

斉木しげるにかんしては、たぶん書いたことがない。結構恥ずかしい話なんで書かないようにしていたっつーか。
んで、ここから1990年代前半の話になります。
笑い好きの後輩といろいろ喋ってる時に「一回お笑いのオーディションを受けてみようか」という話になったことがあって。もちろん本気で芸人になるつもりなどなかったのですが、そういうのをね、経験としてやっておくのも、遊びとして楽しいんじゃないかと。

そうは言っても人様に見てもらうわけだからね。必死でネタを考えたし、相当練習もした。オーディション前日なんか、夜中の公園で100回以上通し稽古をやったのを憶えている。
アタシたちが受けたのは人力舎という事務所のオーディションです。今でいえばアンジャッシュ、アンタッチャブル、ドランクドラゴン、おぎやはぎといった人たちが所属している事務所です。

今はもう移籍したみたいだけど、この頃はシティボーイズも人力舎に所属しており、オーディション会場に行くと審査員として斉木しげるがいたんです。これは相当ビックリした。
アタシたちは斉木しげるらを前にネタをやった。散々練習はしたけど、やっぱり緊張していたのか思うようには出来ず、自分たちでもイマイチだったと感じていました。

ネタが終わると斉木しげるが寸評を語ってくれた。
「ネタの途中でさ、大笑いするとこあるじゃない。あそこ、本気で笑ってないでしょ。そこは何度稽古したとしても本気で大笑いできるようにしなきゃ」
アタシたちは黙ってうなづくだけだった。今考えても完璧な指摘っーか完全に図星を突かれた感じで、手遊びでやってることを見事に見抜かれていたんです。

もう一度斉木しげるは口を開いた。
「それと・・・、グループ名はもっと考えた方がいいよ。それで世に出るのなら。・・・ま、シティボーイズってのも、どうかと思うけど」
その時つけたグループ名は忘れた。何しろ遊びでやったことなんでテキトーにやっつけでつけた名前だったんでしょう。
それにしても、斉木しげるが自分たちのグループ名を軽く自虐ネタにしたのがおかしくて。アタシらはオーディションを受けてる立場なのに、あまりにおかしくて吹き出してしまいました。

正直、シティボーイズが如何に面白いかはわかってるつもりだったけど、斉木しげるにたいしては「二枚目」という感想しかなく、そこまで強いイメージはなかった。
たぶん文章にしてもこの面白さは伝わらないと思う。斉木しげるのあの口調を聞かなければ理解できないはずです。
つまりそれが「芸」なんですね。
もうひとつ嬉しかったのは、実は斉木しげるが寸評を言ってくれたのは、10組以上の受験者のうちアタシたちのグループと、あとひと組くらいだった。まァ、本気でやってないことは見抜きつつ、ちゃんと練習はしてきているってのはわかってくれてたんだなと。

ま、あんまり時代感は出てないけど、これも1990年代前半の話ってことで。







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