最初「♪ お・ね・が・い タッチ!タッチ!リズムタッチ!」ってタイトルにしようと思ったけど、いくら何でもネタの使い回しが酷すぎるから止めた。
今回はタッチはタッチでも漫画のタッチの話です。あ、だからあだち充の漫画じゃないってば。あ、それも漫画のタッチか。
子供の頃にドラえもんなんかはアホほど模写したけど、赤塚不二夫モノは模写したことがない。だから赤塚タッチがわかんないんですよ。いくら後年赤塚不二夫を読んでも模写したことがなければタッチまでは理解できないんです。(中略)模写をしてなきゃ模写はできない。何だか禅問答のようですが、たかがニャロメひとつ描くのにもそれだけの行程が必要なのです(2015年8月23日更新「描くんだったらニャロメ一択」)
上記の引用でもわかる通り、子供の頃にもっとも模写したキャラクターはドラえもんでした。
もちろんドラえもんだけじゃなくて藤子キャラは、もう、片っ端から模写した。「「笑ゥせぇるすまん」のモグロ」ではなく「「黒ィせぇるすまん」のモコク」(←この微細な違いを何人がわかってくれるか)の模写すらしたことがあります。
それくらい藤子漫画に淫していたし、藤子漫画のキャラがそっくり同じに描けるイコール漫画家になれる、くらいに思ってましたから。
模写、というとどうしても子供の手遊びのイメージですが、意外と大人になってからも、ついつい、という感じで漫画のキャラクターなんかを描いてしまう。だんだん新しいキャラクターを描こうとは思わなくはなるんだけど、昔取った杵柄じゃないけど、子供の時によく描いたキャラクターは手グセみたいなのがついていて、いくらでも描けてしまいます。
ただ、問題もある、というと大仰だけど、大人になってしまえば子供の時の手グセでキャラクターを描いても、何ら羞恥心も嫌悪感もない。
ところが「子供文化嫌悪期」においては、そうじゃないんです。
引用ばっかりだとウザいと思うので止めておきますが、早い子なら小学校高学年、遅い子でも中学に入ったくらいから、子供文化を異様に嫌悪するようになる。アタシはこれを「子供文化嫌悪症」と呼んでるんだけど、ま、一種のハシカみたいなものです。
その例にもれず、アタシも子供文化嫌悪症にかかった。だから一時期、子供向けの代表みたいな藤子漫画を読んでることを異様に隠すようになり、同時に「こんなもん、読むなんてカッコ悪い」なんて意識すら芽生えるようになったんです。
当然、この時期アタシは藤子キャラの模写も止めている。しかし当時のアタシにとって「ラクガキ」は非常に重要なものだったので、では藤子キャラに代わる「何か」を模写しようと思いつきます。
子供文化嫌悪期にハマっていた漫画といえば、「うる星やつら」とか、一連の吾妻ひでお作品とかですが、意外とこれらの作品からは模写していない。まったくじゃないけど、あんまりやらなかった。
理由ってほどじゃないけど、高橋留美子にしろ吾妻ひでおにしろ、「線」がね、難しいというより複雑で面倒くさいんですよ。ともに劇画っぽいタッチじゃないし、とくに吾妻ひでおなんか「絵」としてはシンプルなんですが、タッチとしては複雑です。
もうこの頃には漫画家になりたいとか思ってなかったからね。完全なラクガキにしては高橋留美子や吾妻ひでおのタッチは無意味に面倒だと。だからあんまり模写しなかったんです。
ではどんな漫画を一番模写したか、といえば、意外すぎるかもしれないけど植田まさしなんです。
ご存知「コボコラ」でお馴染み、いや「コボちゃん」でお馴染みの植田まさしですが、この頃は第一次植田まさしブームの真っ最中で、「フリテンくん」が劇場アニメ化されたくらいだから。
植田まさしのタッチは非常に簡単です。ただ藤子不二雄あたりと比べると完全に異質で、慣れるまではかなり苦労する。でも一度慣れてしまうと、あっという間に「かりあげクン」や「課長」のキャラが描けてしまう。そして植田まさしタッチを一切崩さずオリジナルのキャラクターも作れるようになります。(関係なさすぎるけど、もう遅いんだけどオードリー若林主演で「かりあげクン」の実写化をやればよかったのに)
もちろんクオリティはホンモノに比べると圧倒的に低いですよ。でもラクガキレベルなら十分で、目に入るもの片っ端から植田まさしキャラふうにできる。「シンゴウくん」とか「ヒョウシキくん」とか。
藤子不二雄にしろ植田まさしにしろ、昔よりは下手になってるけど、今でも何となくは描けてしまいます。
でも本当は望むタッチがあるんだよね。ま、たしかにニャロメを描くために赤塚不二夫タッチも欲しいんだけど、一番身につけたいタッチは荒井清和タッチなんです。
以前、荒井清和の代表作である「べーしっ君」について書いたけど、荒井清和と聞いてもうひとつ思い出されるのが「ファミ通」のクロスレビューのレビュワーの似顔絵です。
写真も見たことがない編集者の似顔絵なので、実際どこまで似ているかわからないのですが、これがすごかった。
似顔絵にしろモノマネにしろ、どこかに悪意が内包されてないと、「上手い!」とはなってもなかなか「面白い!」とはならないものなのです。
しかし荒井清和の似顔絵は、悪意のカケラも見えないのに、何でか面白い。微妙にすっとぼけた感じにはなってるんだけど、もうホント微細なもので、真面目に漫画のキャラクター化をしてある。なのに面白い、というのは驚異的です。
ま、さすがに今さら荒井清和タッチを身につけるのは無理だからさ、でも荒井清和にだったら似顔絵を描いて欲しいと思うもん。
街にいる似顔絵描きに興味を惹かれたことなんか一度もないけど、もし荒井清和が似顔絵を描いてくれるんだったら、それなりの金銭もいとわない。
つかマジでそんなイベントやったらいいのにね。いやイベントだけじゃなくて、ほれ、披露宴の入り口のところに下手な似顔絵が飾ってあったりするけど、あれもし荒井清和タッチなら、もうアタシならひっくり返って笑う。もしよく知ってる人なら3年くらいは思い出し笑いできそうだ。