上岡龍太郎とクレージー
FirstUPDATE2017.6.23
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 そんなに長々書くようなネタではないのですが。

 進駐軍時代、もしくはジャズ喫茶時代のクレージーが如何様な存在であったか、これは残念ながらほとんどわかっていません。
 もちろんクレージーのメンバーの7人、当時はクレージーのメンバーだった稲垣次郎といった人、あと数多くのクレージーにかんする論評を書いた小林信彦もジャズ喫茶で観た印象を記している。
 しかし、もう、本当にそれだけなんですね。もしかしたら当時の雑誌等々を掘り起こせば何らかの文章は出てくるかもしれませんが、おそらく皆無に近いレベルではないかと推測されます。(小林信彦は自分が書いたものが初めてクレージーキャッツについて雑誌に載った文章だとしている)
 しかし本当は当時共演していた人からの印象が聞けてもよさそうなものなんです。複数のバンドが出るイベントにもクレージーは出ているし、でも何故かないわけで。

 さて、もうずいぶん前になりますが、かつて上岡龍太郎という芸人がいました。
 この人のことは本サイトにもいっぱい書いて来たのですが(例えばココとか)、何しろ2000年に引退したので、もしかしたら今の若い人は知らないかもしれません。
 上岡龍太郎は紛れもない上方の芸人ですが、キャリアのスタートはジャズ喫茶での司会でした。
 京都に「ベラミ」というジャズ喫茶があったそうで、音楽狂いの高校生だった上岡龍太郎は「司会の勉強」という形でベラミに出入りし始めます。
 ベラミには関西からだけではなく東京からもバンドを呼んでいたそうで、その中にハナ肇とクレージーキャッツがいたそうです。
 話としては犬塚弘に声をかけてもらったのが上岡少年にはものすごく嬉しかった、というような内容なのですが、クレージーマニアとして注目すべきことも言っている。
 クレージーといえばジャズのコミックプレイなのですが、演奏が終わった後、ほとんどのメンバーはステージから降りたにもかかわらず、植木等と谷啓だけが舞台に残っていた、というのです。
 そこで植木等と谷啓が何をやったかというと、上岡龍太郎曰く「ほとんど漫才みたいなもの」で、上岡少年に「ああいうのも、ええなあ」と思わせたほど、面白かったらしい。

 谷啓は進駐軍からジャズ喫茶に拠点を移した時に「言葉ではなくすべて音楽でやらなければいけない進駐軍でのステージと違い、日本語が通じるジャズ喫茶ではどうしても演芸的な要素が入っていく」ことにたいし複雑な感情があった、と後に語っていますが、実はもっと積極的に「演芸的な」、しかも音楽要素抜きの喋りだけで「面白」いことをやっていた、というのは注目に値します。
 谷啓や小林信彦他の話、雑文を総合すると、舞台で谷啓とコンビ的にやっていたのは犬塚弘、というのが定説でしたが、「喋り」の相方としては植木等だったというのは実に面白い。
 この頃からすでに谷啓は「奇才」であり、クレージーのネタもほとんど谷啓が作っていた。当然メンバー内での信頼も絶大であったことは想像に難くありません。
 一方植木等はというと、あくまでギター兼ヴォーカリストで、小林信彦によると「東北訛りでボケる」ことと「竹脇昌作(アナウンサー。竹脇無我の父)の真似」が当時の植木等の持ちネタだったそうですが、笑いということにかんしては特別目立った存在ではなかったようで、これにかんしても小林信彦は「人気の中心はハナ肇。通俗的にウケてたのが石橋エータロー、通好みが谷啓だった」と記している。
 つまり、こと人気という面では植木等はまったく目立った存在ではなかったということになります。

 アタシは小林信彦のことを疑うわけではありませんが、この時点ですでに谷啓と互角に「漫才のようなもの」が出来た、となると、やはり植木等の能力(と人気)はすでにある程度のラインまできていたのではないかと思います。
 時期でいえば上岡龍太郎が高校生の頃、なおかつすでに植木等がクレージーに在籍しているわけですから、おそらく1958年頃ではないかと推測できるのですが、1958年というとまだ「おとなの漫画」は始まっておらず(ということは青島幸男とも出会っていない=のちの無責任男に繋がるキャラが生まれる前)、植木等は本当に一部の人だけに知られた存在でした。(それはハナ肇や谷啓や他のメンバーもですが)
 それにしてもです。まだ世間から認められる前のハナ肇とクレージーキャッツの舞台を観て、この人たちは面白いと感じた上岡龍太郎の見巧者ぶりには本当に舌を巻く。
 しかも当時上岡龍太郎はまだ高校生ですよ。当然、いわゆる「東京の笑い」や「音楽をベースとした笑い」にも慣れてない頃ですよ。すごすぎます。
 もちろんこの話をしたのはクレージーが売れてからなんですから脚色が入ってないとは言わない。しかし面白いと思っていなければ植木等と谷啓で漫才めいたことをやっていたとか憶えているわけがないし、これもいつだったかは忘れたけど、まったく知られていない「クレージーのネタでこんなのがあった。オモロイやろ?」みたいなことも言っていた。当然これもジャズ喫茶時代に観たネタでしょう。

 少しクレージーから話は逸れますが、まだ無名時代の有吉弘行が上岡龍太郎の番組の前座にずっとついていて、その毒舌芸をジッと観察していた、といいます。
 まァ有吉と上岡龍太郎は同じ「芸人」だから、そういった隠れた影響もわかるのですが、片や芸人、片やコミックジャズバンド、と芸とか芸風としては一見何の繋がりもなさそうに見える上岡龍太郎とクレージーですが、こういう繋がりがあったってのはアタシ的には実に面白い話なんですがね。

これ、伝説的トーク番組「鶴瓶上岡パペポTV」で喋った話なんだけど、もうどの回か忘れちゃった。調べるのもメンドイから各自お調べください。




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