逆コンパイルしなくてもよいように
FirstUPDATE2017.6.2
@Scribble #Scribble2017 #音楽劇 @戦前 #東宝 単ページ 継承 コンパイル

まァ、逆コンパイルってのはプログラム用語なんだけど、別にプログラミングの話がしたいわけではありません。

というか、長々と逆コンパイルに関する説明的なことを書いてみたんだけど、長いわりには上手く説明できてないんで(本職のプログラマじゃないからしょうがないけどさ)、ばっさりカットします。
逆コンパイルというのは要するに「完全な形で元の状態には戻せない」という意味です。ややこしい言葉でいえば不可逆という。ほれ、不可逆圧縮とか聞いたことあるでしょ。CD音源をMP3のような不可逆圧縮音源にしてしまうと、再びCDと同等の音質には戻せないっつーアレですよ。

完全な形でなくてもいいから、とか、今後改変したり参照したりするようなことが一切ないのであれば、元となるソースは不必要です。しかしその判断は実に難しい。「その時点」では不必要でも、将来に渡って不必要かどうかなんかわかりっこないからです。
プログラムなんかはそういうことが起こりやすい。ソースを紛失したために移植ができない、なんて話は山のようにありますし。

しかし最初に書きました通り、今回はプログラムの話をするためのエントリではありません。いわゆる「ロストテクノロジー」について書きたいんです。
ロストテクノロジーといえば、最近「なんでも鑑定団」界隈で話題になった曜変天目茶碗なんか最たる例でしょう。
あれもね、贋作か否かの見分け方が「現代で再現可能か否か」になってるのが面白い。再現可能なら贋作、不可能ならホンモノっつー。
ま、ロストテクノロジーの話になると、どうしても曜変天目茶碗のような工芸品の話になっちゃうんだけど、今回はその話でもない。つかアタシもほとんど知らない世界の話だしね。

さて、一昨年にアタシは「TOHO大作戦」(2015年7月1日付)という妄想ネタを書きました。もし2000年頃に東宝映画の総決算っつーか一大オールスター映画を作っていたらこんな感じになったんじゃないか、みたいなね。
内容は妄想爆発ですが、マジメなことも書いてある。

(もし本当に制作したとして)意味があるかないかでいえば、大いにあったんじゃないかと思うのです。ひとつは東宝という会社のカラーの再確認。もうひとつは技術の継承です。往年のスタッフと若いスタッフが一緒になって映画を作ることで技術が継承できる。役に立たない技術も、そりゃあるだろうけど、残していった方が良い技術だっていっぱいあったはずだから。役者だってそうです。音楽喜劇ったって、もう立ち振る舞いがわからないはずで、その辺のことも植木等や加山雄三と現場をともにすることで勉強できるのです


アタシは何度も「東宝は音楽喜劇路線を復活させるべし」と書いている。そして同時に「現実的に考えたら不可能」とも書いてきた。
それは商売の話関係なく、もう音楽喜劇がわかる人が東宝内部はもちろん(つか現在東宝にお抱え監督はいないはずだし)、「シン・ゴジラ」のように外部から人材を引っ張るとしても、残念ながら今の日本で正統な音楽喜劇が作れそうな監督が思いつかないのが現状です。
それでももし強引に作るとなると、どういうやり方をしなければならないのか、というと、方法論としては

・舞台で音楽喜劇を作った経験がある人(これはそれなりにいる)に無理矢理映画を撮らせる
・普通の映画が撮れる人に過去の音楽喜劇作品を勉強させて撮らせる

このふたつしかない。
前者は幾度となく試みられ、そしてほぼ例外なく失敗してきました。
舞台上がりの映画監督が成功するというのはあまりにも稀なことで、才人・三谷幸喜だって本当の意味で上手くいってるとは言い難いし。
となると後者になるんだけど、これこそまさに「逆コンパイル」なんですよ。出来上がったものを参考にして、あらたに作り直すってのは。

東宝の前身となったP.C.L.の第一回作品「音楽喜劇 ほろよひ人生」(1933年)はまさに外国の音楽喜劇を「逆コンパイル」して作ったような作品です。
ものすごくよく頑張ってるのはわかるけど、技術の蓄積がまったくなく、所詮見よう見まねだから「やりたいことはわかるんだけど」みたいなシーンが多発しています。

やっと技術が蓄積され、P.C.L.→東宝のみならず各社が「こなれた」音楽喜劇が作れるようになったのは1930年代の終わりからです。
東宝は「(エノケンの)孫悟空」、日活は「鴛鴦歌合戦」、大映は「歌ふ狸御殿」などですが、5年の歳月と、その間にそれなりの本数をこなしてやっと「こなれた」んです。
単純計算でも、逆コンパイルがこなれるまで、5年もかかる。つまり今から過去の作品を逆コンパイルしても、こなれた頃にはとっくに東京オリンピックも終わってる、なんてことになるわけです。
もしちゃんと技術が継承されていっていれば、もう一度「ほろよひ人生」と同じラインに帰る必要はなかったのに。

その点、特撮スペクタクルは途中危ない時期はあったにせよ、何とか技術の継承が出来た。だからこそ「シン・ゴジラ」に繋がったと思うし。
「シン・ゴジラ」は作れる環境にあった。しかし音楽喜劇はとてもじゃないけど、作れる環境にない。
だけれども、もし今度音楽喜劇にチャレンジするのなら、今度こそ「技術の継承」を織り込んでやらなきゃ。

そして実際に作る作らないは別にして、作るとなったらいつでも作れるよってのはキープしなきゃならんのじゃないかねぇ。







Copyright © 2003 yabunira. All rights reserved.