封印されたyabuniramiJAPAN パート6
FirstUPDATE2017.3.2
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実に一年以上ぶりのボツネタ供養エントリ「封印されたyabuniramiJAPAN」第6弾です。何でこんなに間隔が開いたのか、というと、いうまでもなくボツネタが溜まらなかったから。アタシにとっては良いことでしかないのですが。

◇ ヤキウ関連
・もうこうなったら「総監督」しかない
・三軍制反対!そうじゃなくて
・二番打者論

◇ じゅうねんひとむかし
・4月22日号

◇ その他
・オートメーション(旧)
・そこに真面目はいらない
・今、日本人が一番知りたいこと

一年余りで、たったこれだけ。しかも「じゅうねんひとむかし・4月22日号」はタイトルだけ変えてエントリしたし(2016年12月25日更新「スパムと詐欺」)、オートメーションも後半部を書き直しただけのテキストはエントリしたので、厳密にはボツではありません。
するとトータルでたった5個しかないってことになる。さらにいえばヤキウ関連の3つは昨年のシーズン前、つまり2016年3月までに書いたもので、「そこに真面目はいらない」と「今、日本人が一番知りたいこと」は書き始める前から、ああこれはボツだけど一応書いておこう、みたいな感じでした。
そうすると、純粋な、何が純粋かわからんけど、とにかくこの一年近くはボツらしいボツがなかったってことになるわけです。
うーん、これはすごいことなのかどうなのか。

だからといって、本来ボツにすべき内容だったり文章の稚拙さに目を瞑って、無理矢理エントリしてるってわけでもない。ここんところはわりと安定した内容&文章になってる、と思ってるくらいで。
何故安定して書けるようになったか、考えられる理由はひとつしかない。
それは、一エントリあたりを長くしたから。
それこそ昔は一エントリあたり1500文字を目安にしていました。それがこの一年ほどは2000~2500文字くらいで、と大幅に長文化させた。
何でこんな逆張りに近いことを始めたか、です。
何度も「長文は誰も読んでくれない時代になってきている」みたいなことを書いてきましたが、結局ね、よくよく考えてみれば、誰かに読んでもらうことなんか一切欲してないのに、無意識に「読みやすい適度な長さで抑えよう」としてたんです。

いや、もし読んでもらうっつー目的で長さを抑えるなら1500文字では長すぎるのです。せいぜい500~700文字くらいで書かないといけない。でもその程度だったら、さらにつづめてtwitterに書きます。
ここで書くことは、長さが必要だと思うことを書いているつもりです。つか長さが必要なことしか書かないようにしている。
となると1500文字というのは、如何にも中途半端で、誰でも読めるというほど短くないし、かといって脱線できるほど長くもないわけで。

アタシの中で、文章の面白さっていうのは「脱線の面白さ」だと思っています。
言いたいことだけをビシッと書く。それはそれでいいんだけど、どうにも肩が凝る。読んでて疲れるのは脱線できない程度の長さなんですね。
ところが脱線が挟まると、文章としては長くなってるはずなのに、グッと読みやすくなるんです。
あんまり関係なさそうなウンチクを語ったり、いや、だから、その、なんていうかな、←みたいなね、こういう口語のような言い回しもできるようになる。
例を挙げましょう。いや挙げませんが、「例を挙げる」ってのも、やっぱり脱線なんです。一見わかりやすく説明するみたいな感じだけど、例なんてよほどバチッとハマった時以外は、却ってわかりづらくなるのがオチです。
それでも「例え」を入れるのは、例えが箸休めの役割をするからです。

何度も書くように、アタシはこのブログは他人に読んでもらいたい、なんて微塵も思っていません。だから箸休めなんか入れても関係ないだろ、と思われるかもしれない。
でも後で自分で読み返した時に、ものすごく読みやすくなる。
と同時に読みやすくなるだけじゃなくて、ものすごく書きやすいんです。
当ブログは一応ワンテーマでひとつのエントリですが、完全にワンテーマで書いてしまうと煮詰まってしまうんですよ。広がらないからえらく閉塞された場所にいるような気になってしまう。
ところが「箸休め」だったりデータ的なことを挿入したりするだけで、気分的にラクになるせいか、一気に書けるようになるんです。

黒澤明の空前絶後の傑作「生きる」でね、途中で主人公が死んで、いきなりお通夜のシーンになるでしょ。あの跳躍が「生きる」を傑作たらしめた理由だと思うけど、実際に自分でやってみると、殊の外難しいんです。
たかがブログでも一切流れを分断させずに跳躍させていければ、本当に歯切れが良い文章になるとは思うんだけど、下手打てば、何だか話がポンポン変わってるように見えて、何が言いたいのかわからない文章になっちゃうんです。
アタシは巨匠でも世界の藪似でもないから、そうそう歯切れなんか出てくる文章が書けるわけがない。
だったら、口語とか例を交えながら、たどたどしいかもしれないけど、流れは切れてない、みたいな文章の方が身の丈には合ってるんです。

と、↑の段落は話をズラすために「生きる」の話を持ってきて「脱線」させたんだけど、こーゆー文章の方がね、アタシ個人は好きなんです。
好きだから上手く書けやすい。上手く書けやすいからボツになりづらい、と考えてもらえればボツが減った理由がわかってもらえるんじゃないかと。
ガチガチの縛りだらけの好みじゃない文体の文章よりは、自由で好みの文体の文章の方が上手く書ける。当たり前すぎるくらい当たり前ですが、この姿勢を保てばさらにボツは減るな、と。

だから、ま、次回の「封印されたyabuniramiJAPAN」はだいぶ先になるはずです。







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