結局、叔父から譲り受けた日立ベーシックマスターレベル3はまったく使いこなせなかったって話でしたが、それでも自宅にマイコンがあるというのは本当に楽しいことである、というのは嫌ってほどわかった。それは後々考えれば非常に大きいことだったと思うわけで。
Page1にて「レベル3にはほとんどソフト、とくにゲームはなかった」みたいに書きましたが、それでもひとつもないということはなかった。
そんな希少なゲームソフトの中でもっとも遊んだのがアスキーから発売されていた「中日-巨人戦」で、タイトルからもわかるように、これは全マイコン機種の中でも極めて初期にリリースされた野球ゲームです。
もちろんアタシが大の野球好きだから購入したんだけど、アタシが心を寄せるのは中日でも巨人でもなく阪神タイガースです。このゲームは中日と巨人の選手しか登録されていないので、つまりは阪神の選手を登場させることは出来ない。
ところがこのソフト、一部がBASICという、名前からしてビギナー向けの高級言語を使って作られていたので、ほんの少しでもBASICの知識があれば簡単に選手データを書き換えることが出来たんですね。
そうか、プログラミングが出来れば、仮に一からすべてを作れなくても、既存のゲームを改造したり出来るようになるんだ、と。ま、これもハックと言えばハックか。
とにかくこれで、プログラムを出来ないより出来るようになった方がいいんだな、ということは理解したっつー。って結局ゲームかよって話ですが。
でも正直レベル3でやろうとは思わなかった。とにかく何をやるのも遅かったから。ま、プログラムが速く動かないってのはマシン負荷の少ないゲームを作れば良いのかもしれないけど、パソコンにプログラムを読み込むのが遅いのは如何ともし難かった。
アタシはPage1で「他人さんのプログラムを動かそうと思えばソースコードを手入力するしかなった」みたいに書きましたが、問題はその後です。
せっかく入力したプログラムをどうやって保存するかですが、当時のマイコンにはハードディスクなんてものは搭載されていない。マイコンの電源を消せばプログラムも消えてしまいます。
となると外部に保存するしかないんだけど、これがね、ハードルが高いんですよ。
すでにフロッピーディスクドライブはあったけど、メチャクチャ高い。下手したら本体より高いんだから話にならない。
安価で、となると方法はひとつしかない。それがカセットテープを外部記憶装置として使う方法です。
ところがこれが信じられないくらい遅い。多少凝った、それこそ先の「中日-巨人戦」程度のゲームを読む込むだけで30分以上待たされる。
もう当時を知らない人には信じられないかもしれないけど、ゲームをスタートさせるのに30分かかるんですよ。これがどれだけ苦痛か!
もう嫌だ。二度とカセットテープを保存媒体として使いたくない。しかしフロッピーディスクドライブ搭載の機種はとてもじゃないけど高くて買えない。
何とかならないものか、と思っていた頃、マイコン雑誌の片隅で「新型ディスクが開発された」みたいな記事を目にします。
フロッピーディスクに比べたら容量は少ないし、ディスク媒体特有のランダムアクセスも出来ない。その代わりコストが極めて安く、ドライブの値段は下手したらフロッピーの1/10くらいだという。
しばらくしてこの新型ディスクを搭載したマイコンが発売されます。シャープから発売された「MZ-1500」がそれで、例の新型ディスクがクイックディスクという名称で標準搭載されていていたんですね。
機能的にはエントリ向けだったこともあって価格も十マンを切る、という。これならお年玉にプラスアルファで買って買えないことはない、ということで新発売するなりすぐに飛びついた。いや飛びついてしまったというべきか。
MZ-1500はたしかに面白いマシンではあったし、レベル3などに比べるとはるかにゲームが作りやすい機種だったことは間違いありません。
しかし肝心なところが抜け落ちていた。いやアタシの考え的に。
シャープは日立に比べると、ま、マイコン業界内での話ですが、ずっとメジャーなメーカーで、MZシリーズはそれなりに地位もあった。だけれどももうこの頃には「売れ線」のマイコンは決定しつつあったのです。
その中にMZ-1500は入っていない。どころかMZシリーズ自体が外れてしまった。となると要はゲームが、もといソフトがあまり出ないことに他ならない。
さすがにレベル3に比べたらはるかにゲームもあったし、中でもアタシは当時の大ヒットゲームだった「ロードランナー」をMZ-1500で遊んだ、というかドハマりしたりもした。
でも一年も経たないうちにMZ-1500用ゲームは目に見えてリリースされなくなっていったんです。
もう嫌だ、二度とマイナー機種は買わない、と決めたものの、売れ線になってる機種は価格が高く、とてもじゃないけど高校生には買えないわけです。
この頃のマイコン御三家は日電PC-8801シリーズ、富士通FM-7シリーズ、シャープX1シリーズでした。
正直これら以外の機種を買った人は悲惨で、もはやプログラムの規模が大きくなって個人で市販ソフト並みのものを作るのは不可能に近くなっていた。しかし市販ソフトなんかまるで発売されない。
そこで、かは知らないけど、日電(NEC)・富士通・シャープ以外の、いわば<負け組連合>はアスキー・マイクロソフト連合と組み、共通仕様の「MSX」という規格を立ち上げます。
たしかにMSXは成功か失敗かで言えば中程度の成功だったと思う。当時としてもかなり低いスペックだったけど、ゲームもかなり発売されたのもあってアタシも買ったし(安かったからね)、低性能がむしろ好都合というか比較的扱いやすいのが決め手となって、アタシはBASICからアセンブラまでMSXで覚えた。そういう意味では個人的にも売り上げ的にも成功と言えるはずです。
けど<パソコン>ではなく<ゲーム機>として見ればあまりにも中途半端すぎた。
アクションゲームはファミコンには到底敵わず、マイコン御三家向けに発売されていた、ブーム真っ只中だったアドベンチャーゲームや、その後の爆発を予感させるほど話題になり始めていたRPGもMSXにはあまり移植されなかった。されたとしてもグラフィック的にかなり厳しいものばかりで。ま、MSXの性能を考えたらしょうがないんだけどね。
というかずっとゲーム!ゲーム!と騒いでるけど、何でそこまでゲームにこだわるのか、そんなにゲームが好きだったのかって話ですが、今考えてもアタシはそこまでゲームが好きな人間ではなかったと思う。今とか本当にやらなくなったし。
だけれども、当時のマイコンを語るならゲーム抜きでは語れない。まだビジネスでは使えない、かと言ってプログラムの規模が大きくなって個人ではたいしたことが出来ない、となったら「このマイコンとかいうシロモノのこの機種で、いったい何が出来るのか」をはかるとなると、もうゲームしかなかったんです。
当時のゲームは大仰に言えば「コンピュータグラフィック」をもっとも身近に体験出来るものだった。だから当時のゲームはとにかくグラフィックの美麗さが求められた。つかもっと言えば「グラフィックの美しさ>>>>ゲーム性」でさえあったんです。
一番わかりやすい例はアーケードゲームの「ゼビウス」で、いまだにアタシは「最もグラフィックが美しいゲームは?」と問われたらゼビウスと答える。とんでもないクオリティの3Dゲームが当たり前の今でさえ、ナンバーワンはゼビウスだと思っているんです。
当時の素人プログラマーたちは「どれだけゼビウスに近いグラフィックを実現出来るか」にチャレンジした。もちろん当時のマイコンの性能では不可能レベルだったんだけどね。
ところがひとりの天才がそれを可能にした。いやね、そりゃあモノホンのゼビウスに比べたら劣りますよ。でもマイコンの性能を考えれば限界までゼビウスに近づけたと言えるはずです。
作者は森田和郎。残念ながら早逝されましたが、アタシは当時も今も、この人は本当の天才だと思っています。
まァね、彼が作った「アルフォス」は、ゼビウスのデッドコピーと言えばデッドコピーなんです。でもあれだけワクワクさせてくれたゲームというかプログラムはなかったと思うわけで。
最終的にアルフォスはあまりにもゼビウスに似ている、ということでナムコからクレームが入り「・namco」のクレジット入りになったけど、当時はね、結構このことにビックリしたんですよ。
何というか、著作権意識が著しく低かったというか、ナムコでいっても「ディグダグ」や「ギャラクシアン」をマイコンに移植した、完全なデッドコピーですよ。そのソースコードがマイコン雑誌に堂々と載ってたんです。もちろん無許可で。
しかもそれらさえ有料配布の対象になっていた。当時のマイコンの性能からして完全移植には程遠いけど、こんな大手を振ってデッドコピーがまかり通っていた時代、なんて今の若い人には考えられないんじゃないかね。
著作権意識の低さの例としてもうひとつ、当時は「レンタルソフト屋」なんてのまであった。今のDVDやCDと同じくマイコン用のソフトをレンタルしてくれるという。
ここまで書いてきたように、当時のメディアはフロッピーはまだ時期尚早で、大半がカセットテープで販売されていました。カセットテープってことは、早い話がダブルデッキとかがあれば何の知識もなくても簡単にダビング出来る。つまりソフトを<購入>しなくても<レンタル>さえすればまったく同等のものが手に入ったんです。
しかし基本、アタシには関係のない店だった。
生活圏内にひとつだけレンタルソフト屋があったから何度かは行ってみたけど、置いてあるのはマイコン御三家をはじめとするメジャー機種向けソフトだけ。レベル3にしろMZ-1500にしろ、ぜんぜんお呼びじゃない。
アルフォスはPC-8801だったし人気もあったから当然置いてあったけど、指を咥えて見るだけだった。
ああ、うちにPC-8801があればアルフォスが遊べるのに・・・。
だからアタシはアルフォスを遊んだことがない、と言うと思うでしょ?ところがあるんですよ。
アタシが生まれ育ったのは神戸市です。もちろんそれなりの規模の街だけど、秋葉原や大阪の日本橋のようにマイコンショップが鈴なりにあるわけではありませんでした。
しかし神戸を代表する家電小売店の「せいでん」(アタシを含めてうちの家族はみな旧名の<星電社>と呼んでたけど)は信じられないくらいマイコンに力を入れてくれていたので、そこまで不満はありませんでした。
話が逸れるから先に書いておくけど、ちなみに<せいでん>は今はないに等しい。ヤマダ電機と吸収合併されて、一応ロゴは残っているけど店内の雰囲気はヤマダ電機そのもので、あれでは「まだ現存する」とは言い難いわけで。
<せいでん>はかなり広いフロアをまるまるマイコン売り場にしており、品揃えも充実してたんだけど、並行してマイコン教室にも力を入れていました。
マイコン教室というからにはマイコンが何台も設置してある。教室が開かれている時は当然そのマイコンを使うんだけど、常時教室をやってるわけでもなく、例えば平日の夕方なんかだとまずやってないわけです。
アタシはそれを見るたびに何とも言えない気持ちになった。どうせ遊ばせてるんだから使わせてくれてもいいのに、と。
ところがある日、いつものように<せいでん>に行くとマイコン教室のマイコンが自由に使える、ま、有料だけど、とにかく時間貸しみたいなことを始めていたのです。
その瞬間、レンタルソフト屋と結びついた。そうか、あそこでアルフォスを借りてきて、ここで遊べばいいんだ!
数十分待って(何しろカセットテープだからね)アルフォスが起動した瞬間の感動は忘れない。ゲームそのものが面白かったって記憶はさっぱりないけど、自分は今、時代の最先端のプログラムに接しているんだ!というね。
さて最初に戻ります。
アタシは「マイコンという趣味が今に繋がっていることなんてほとんどない」というふうに書きました。
しかしひとつだけあるとするなら、直接的ではないけど「マイナーの悲哀は味わいたくない」というね。
マイコンにかんしてはことごとくマイナー路線で行ってしまったわけで、そのせいで時代の最先端に身を委ねることが出来なかった。たしかにアルフォスに接することは出来たし、極めて貴重な体験だったとは思うけど、所詮は体験したってレベルだもん。
まるでマイナーな趣味を持ってることを誇りみたいに語る人がいるけど、マジでとんでもない話です。んな人はマイナーの悲哀を知らないか、ただのスノビズムかのどっちかだと思う。
マイナーすぎると無価値と判断されて淘汰されてしまう。淘汰ならまだいいけど無価値となった時点で破棄されてしまってこの世から消えてしまうんです。
だからアタシはクレージーキャッツも戦前モダニズムも、ほんの少しでもいいからメジャーに近づいて欲しいと思う。まだまだ資料集めも中途なのに貴重な資料が破棄されるなんて悲しすぎるもん。
だったら最初からもっとメジャーな趣味にしておけばいいだろうって?それはそうなんだけど、どうもねぇ、MZ-1500を勢いで買った時みたいに、後で「しまった!これに手を出したら泥沼だぞ!!」って気づくパターンばっかりなんだよなァ。
こういうマイコンの話って「どこまでをマイコンとするのか」は線引きが難しいのですが、アタシの場合は「マイコン時代の終焉=コンピュータというものから離れた時期」なのでそこは困りませんでした。 というか今でも8ビットCPUって生産されてるの?いや何でもいいならされてるんだろうけど、Z80直系のとか生産されてるんだろうか。 |
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